三国志14

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【三国志14】張燕の武将能力値紹介

張燕(チョウエン) 統率80 武力81 知力54 政治48 魅力62 黄巾の乱に呼応して蜂起した黒山賊の将。元の名は褚燕で、張牛角の後を継いで黒山賊の首領となり、張燕と改名。強くて敏捷だったことから「張飛燕」と呼ばれた。【演義】都を追われ袁紹の庇護を受けていた呂布に敗れる。滅亡寸前の公孫瓚から援軍を要請された時は、使者が袁紹に捕まり、救援できなかった。その後、曹操が袁尚を駆逐して冀州を平定すると、曹操に降伏。楽進、李典と共に壺関に籠もる高幹を攻めた。【正史】黄巾の乱後、一度朝廷に降伏するが、董卓の長安遷都後に再び挙兵し、公孫瓚と結んで袁紹に対抗した。
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【三国志14】孫峻の武将能力値紹介

孫峻(ソンシュン) 統率64 武力69 知力68 政治26 魅力10 孫堅の弟・孫静の曾孫。孫恭の子。孫綝の従兄。【演義】孫権に気に入られ、近衛を統率するが、諸葛恪に職権を奪われる。253年、滕胤と共謀して諸葛恪を斬り、丞相、大将軍となって政権を欲しいままにした。その後、病死し、従弟の孫綝が後を継ぐ。孫綝もまた暴政を敷いたため孫休に討たれ、その際、孫峻の墓も暴かれた。【正史】孫権臨終の際、次帝・孫亮の補佐役に諸葛恪を推した。諸葛恪暗殺後、密通していた全公主(孫魯班)と対立する孫和を自殺させる。孫英、孫儀らに殺されそうになるが阻止し、朱公主(孫魯育)も連座させた。
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【三国志14】張裔の武将能力値紹介

張裔(チョウエイ) 統率66 武力43 知力67 政治76 魅力68 蜀の幕僚。【演義】諸葛亮らと共に、劉備に皇帝になる決意をさせた幕僚の一人。諸葛亮の「出師の表」では忠節の臣と評された。【正史】はじめ劉璋に仕えた。劉備が益州を制圧すると、劉備から巴郡太守と兼ねて司金中郎将に任じられ、農具と武器の製造を司った。のち益州太守に転じたが、呉への帰服を望む雍闓に捕らわれ、孫権のもとに送られた。劉備死後、諸葛亮の命を受けた鄧芝のはたらきで蜀に帰還。以後は諸葛亮の参軍として活躍し、諸葛亮が北伐のため漢中に駐屯した際は留府長史として成都を任された。
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【三国志14】孫秀の武将能力値紹介

孫秀(ソンシュウ) 統率55 武力51 知力53 政治56 魅力67 呉の武将。孫権の弟・孫匡の孫。孫泰の子。【演義】晋の驃騎将軍として登場。孫晧が晋に降伏した時、「孫策が礎を築いた呉の国を、今、孫晧が捨て去ってしまった。天よ、これは誰の罪か」と嘆いた。【正史】孫晧の代に、前将軍、夏口の督となる。呉の皇族の中でも特に帝位に近く、大きな兵権を握っていたため、孫晧から警戒された。270年、身の危険を感じ、妻や子飼いの兵士を連れて晋に亡命、驃騎将軍となる。この厚遇ぶりから、以後、呉将の晋への亡命が相次いだ。呉の滅亡後、伏波将軍に降格するが、以後も重んじられた。
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【三国志14】趙叡の武将能力値紹介

趙叡(チョウエイ) 統率55 武力60 知力38 政治44 魅力40 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いで、淳于瓊の配下として烏巣の兵糧陣地を守った。大酒飲みであった淳于瓊の油断が祟り、曹操の夜襲を受けて味方の将兵ともども戦死した。【正史】淳于瓊を含む五人の将で一万の軍勢率い、兵糧を輸送したが、宿営した烏巣の地で曹操軍五千の夜襲を受け壊滅。淳于瓊は生け捕りになったが、他の四将は斬られた。
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【三国志14】孫資の武将能力値紹介

孫資(ソンシ) 統率22 武力13 知力79 政治70 魅力58 魏の幕僚。子に孫宏。孫に孫楚。玄孫に孫盛。【演義】街亭での大勝に乗じて蜀に攻め入らんとする司馬懿に対し、呉と蜀が争い、疲弊するのを待つべきだと進言した。のち曹叡が危篤に陥ると、劉放と共に機密を掌握。後事を託す大将軍には曹爽が相応しいと推挙し、本来の候補だった曹宇を帰国させた。【正史】曹操に召し出され、曹丕、曹叡の代には劉放と共に機密に携わった。曹叡が危篤に陥ると、演義同様、曹爽と司馬懿を曹芳の後見人にするよう勧め、政敵だった曹宇らを罷免。曹芳が即位すると衛将軍まで昇進した。
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【三国志14】孫氏の武将能力値紹介

孫氏(ソンシ) 統率18 武力16 知力60 政治62 魅力64 孫策の娘。陸遜の妻。【演義】記述なし。【正史】陸遜が孫権に仕えるようになると、孫権の命で陸遜の妻となった。孫策が江東に進出した際、「呉の四姓」のひとつ・陸家の陸康を討ったため、孫策と陸遜の一族は敵対関係となっていた。陸遜が孫権に出仕し、孫氏を妻に迎えたことは両家の和解を象徴する出来事だった。しかし、その後も孫権と呉の重臣たちとの対立は続き、陸遜は孫権の後継者問題に巻き込まれて憤死する。
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【三国志14】孫策の武将能力値紹介

孫策(ソンサク) 統率93 武力92 知力69 政治68 魅力91 孫堅の長男。孫権の兄。妻は大喬。呉の長沙桓王。【演義】父と共に劉表軍と戦い、父の死後は袁術に属す。玉璽を質に袁術から兵を借り、江東に進出。劉繇、厳白虎、王朗らを討って短期間に江東一帯を平定し「小覇王(覇王とは項羽のこと)」と呼ばれた。後に袁術から独立。曹操と内通したため処刑した許貢の食客に襲われ重傷を負う。後事を弟の孫権、義兄弟の周瑜に託して早世した。【正史】袁術の配下時、「呉の四姓」陸康を討ち、江東の名士層と対立。孫権と陸遜(陸康の同族)の和解で決着するが、以後も呉では皇帝と臣下の対立が頻発する。
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【三国志14】孫弘の武将能力値紹介

孫弘(ソンコウ) 統率3 武力12 知力44 政治27 魅力5 呉の官吏。【演義】記述なし。【正史】陰険で腹黒く、目上の者に媚びへつらって出世した。二宮の変では孫覇派に与す。不仲だった張休が孫覇派の讒言で交州に流されると、孫権に讒言を重ねて張休を殺させた。また孫和派の朱拠が孫亮の立太子に反対して左遷されると、詔書を捏造して自殺させた。孫権が死ぬと、同じく後事を託された諸葛恪の謀殺を画策するが、逆に殺された。
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【三国志14】孫皎の武将能力値紹介

孫皎(ソンコウ) 統率77 武力67 知力65 政治71 魅力72 孫静の三男。孫瑜の弟。孫権の従弟。【演義】字は叔明。孫権が関羽を攻めようとした時、呂蒙と共に関羽討伐の指揮を任されそうになる。しかし、指揮官を2人置くと指揮系統が混乱するとして呂蒙が拒否したため、後方からの補給を担当することになった。【正史】曹操軍が濡須に侵攻するたびに迎撃して食い止め、精鋭と評される。程普、黄蓋、孫瑜らが死ぬと、後任となり兵を引き継いだ。演義と異なり、関羽討伐戦では呂蒙と共に出陣し、荊州平定に大きく貢献している。些細な理由で甘寧と喧嘩し、孫権に仲裁されたこともある。
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