三国志13

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【三国志13】黄皓 の武将能力値紹介

黄皓(コウコウ) 統率1 武力1 知力30 政治10 蜀の宦官。劉禅の寵愛を受ける。【演義】董允の死後、政権を掌握。こびへつらう閻宇のために姜維を左遷するなど、姜維の北伐を妨害する。鍾会と鄧艾による蜀攻略戦が始まっても、劉禅に巫女の言葉を信じさせ援軍を拒否。江油城が鄧艾に落とされたと聞き驚く劉禅に、誤報だと告げる。劉禅の降伏後、鄧艾に斬られそうになり賄賂を使って逃れるが、劉禅と共に洛陽に送られた後、司馬昭の命で斬られた。【正史】董允の死後、侍中となった陳祗[チンシ]と結託し政権を握った。司馬昭に処刑されたという記述はない。
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【三国志13】虞翻 の武将能力値紹介

虞翻(グホン) 統率43 武力46 知力86 政治81 会稽太守・王朗の郡吏。後に呉に仕える。【演義】孫策に敗れた厳白虎を王朗が迎え入れた時、孫策と敵対しないように進言するが拒否される。王朗が孫策に敗れた後、孫策に招かれ、華歆を投降させた。赤壁の戦いを前に孫権と同盟を結ぶべく諸葛亮が訪れた時、張昭らと共に弁論で阻止しようとするが、逆に論破される。後に呂蒙が荊州攻略戦を起こした時、公安を守る傅士仁を説得して投降させ、作戦を成功に導いた。【正史】剛直な性格で孫権の意に逆らう発言をしたため交州に追放された。以後は古典の研究に余生を費やした。
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【三国志13】姜維 の武将能力値紹介

姜維(キョウイ) 統率92 武力89 知力90 政治66 魏の天水太守・馬遵の配下。後に蜀将となる。【演義】第1次北伐で蜀軍を迎撃し、一度は諸葛亮を破るが諸葛亮の策にはまって蜀軍に投降。以後は蜀将として諸葛亮の北伐に参加し、諸葛亮臨終の際に兵法を伝授された。諸葛亮の死後、出兵に消極的だった費禕が死ぬと、大将軍となって北伐を指揮。鍾会と鄧艾が蜀に攻め寄せた際、剣閣に籠もって抵抗するが、先に降った劉禅の命で降伏。蜀再興を志して鍾会と挙兵するが、敗死した。【正史】諸葛亮から、「馬良以上の才能の持ち主、涼州最高の人物」と絶賛された。
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【三国志13】甘寧 の武将能力値紹介

甘寧(カンネイ) 統率92 武力93 知力76 政治18 呉の勇将。元は錦帆賊の頭目。腰に鈴を帯びていた。【演義】黄祖の部下となる。孫権軍と戦い凌操を討つが重用されず、同僚の蘇飛の勧めで孫権に投降。孫権軍の将として黄祖を追いつめ、蘇飛が捕らえられると命乞いした。その後、赤壁、南郡、合肥[ガッピ]などで呉軍の先鋒として奮戦。濡須口では百人で夜襲を成功させ、魏の張遼に匹敵する活躍と称賛された。凌操の子・凌統から仇として命を狙われるが、楽進に襲われた凌統を戦場で助け和解。後に夷陵の戦いで、沙摩柯の矢を受け戦死した。【正史】夷陵で戦死したという記述はない。
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【三国志13】毌丘倹 の武将能力値紹介

毌丘倹(カンキュウケン) 統率78 武力74 知力55 政治56 毌丘興の子。毌丘甸の父。毌丘秀の兄。魏の幽州刺史。【演義】字は仲聞。遼東の公孫淵が燕王を名乗り挙兵したことを曹叡に知らせた。曹芳が司馬師に廃されると、文欽と共に司馬師打倒の兵を挙げるが、呉の孫峻と司馬師の両軍から攻められ敗北。逃走中に慎県の県令・宋白に酔い潰され、殺された。【正史】曹叡の太子文学となり、親しい待遇を受けた。公孫淵の反乱鎮圧や東方遠征で活躍。呉に敗れた諸葛誕の後任として鎮東将軍となり、諸葛恪の侵攻を防いだ。司馬師に敗れ逃走中、張属に射殺された。
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【三国志13】夏侯尚 の武将能力値紹介

夏侯尚(カコウショウ) 統率79 武力72 知力75 政治65 魏将・夏侯惇(正史では夏侯淵)の甥。夏侯徳の弟。【演義】劉備軍との漢中攻防戦では、韓浩、張郃と共に瓦口関で黄忠に敗れ、夏侯徳が守る天蕩山[テントウザン]でも敗退。定軍山では黄忠に捕らえられ、陳式と人質交換される際に黄忠の矢を受ける。その後、徐晃と共に襄陽を守り、曹真と組んで江陵を包囲するが、陸遜に敗れた。【正史】代郡で起きた胡族の反乱を曹彰と共に鎮圧。曹丕の代、上庸を攻略して征南大将軍となる。江陵包囲戦では諸葛瑾を破った。愛妾の死を悲しむ余り重体となり、惜しまれながら死亡。曹丕とは身分を越えて親しかった。
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【三国志13】霍峻 の武将能力値紹介

霍峻(カクシュン) 統率73 武力66 知力73 政治62 霍弋の父。もと劉表の武将。後に劉備に仕える。【演義】益州侵攻中の劉備に孟達から推挙された。孟達と2人で葭萌関の守りにつき、張魯の幕下にいた馬超が攻め寄せた際は劉備に援軍を要請した。曹操との漢中攻防戦でも葭萌関を守護。黄忠と厳顔が来援するまで、張郃の攻撃を防いだ。【正史】劉表が死ぬと劉備に帰順した。劉璋軍の扶禁、向存らに葭萌関を包囲されるが、寡兵で1年間守り抜き、逆襲して向存を斬る。劉備が益州を平定すると梓潼太守となるが、漢中攻防戦に参加することなく死亡した。
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【三国志13】王朗 の武将能力値紹介

王朗(オウロウ) 統率47 武力35 知力79 政治81 王粛の父。後漢の会稽太守。【演義】厳白虎と共に孫策と戦うが敗れ、曹操に仕える。曹丕の代に御史大夫となり、華歆らと共に献帝に位を譲るよう強要。その功で司空となり、曹叡の代には司徒となる。諸葛亮の北伐で夏侯楙が敗れると、曹真を推薦して自らも従軍。陣頭で諸葛亮との論戦に敗れ、憤死した。【正史】経書に通じ、陶謙に招かれ会稽太守となる。曹操から招集されると、曲阿から長江と海を行ったり来たりして数年がかりで上京した。曹真に従軍し諸葛亮との論戦に敗れたという記述はなく、天寿を全うしている。
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【三国志13】王脩 の武将能力値紹介

王脩(オウシュウ) 統率54 武力27 知力77 政治78 袁家の臣。後に曹操に仕える。【演義】袁紹の死後、袁尚の暗殺を謀る袁譚をいさめ、職を解かれる。袁譚が曹操に討たれると、禁令を破って袁譚に弔意を示し、曹操から司金中郎将に任ぜられた。【正史】北海太守・孔融に仕えた後、袁紹、袁譚の臣となった。曹操に仕えた後は魏郡太守として功績を挙げた。魏建国後は大司農郎中令となり、在職中に死亡した。
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【三国志13】袁尚 の武将能力値紹介

袁尚(エンショウ) 統率63 武力75 知力42 政治38 袁紹の三男。袁譚、袁煕の弟。母は劉氏。【演義】容姿に優れ、袁紹の寵愛を受けた。袁紹が死ぬと審配、逢紀らに擁立されて後継者となる。長兄の袁譚と対立し、曹操と交戦中に袁譚が曹操と結ぶと、次兄の袁煕を頼って幽州に逃走。曹操が北上すると遼西の烏丸、遼東の公孫康を頼って再起を期す。しかし、曹操を恐れた公孫康に討たれ、袁煕ともども首を曹操に送られた。【正史】曹操に鄴を包囲された時、降伏を申し出たが拒否される。公孫康の兵を奪おうとし、返り討ちに遭った。
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