三国志14

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【三国志14】荀顗の武将能力値紹介

荀顗(ジュンギ) 統率16 武力12 知力70 政治74 魅力69 魏の尚書。荀彧の第4子。陳泰の舅。【演義】司馬昭が曹髦を殺した際、参内を拒む陳泰を呼びに行き、陳泰に「義父上は私以下の人物になられたか」と嘆かれた。後に司空となり、晋王となった司馬昭が後継人事を迷うと、長幼の序を重視して司馬炎を推した。【正史】司馬懿に評価され、「荀彧の子だけのことはある」と言わしめた。毌丘倹討伐の功で司空となる。晋建国の功臣として侍中、太尉と昇進し、臨淮公に封ぜられた。博学多識で三礼、朝廷の儀礼に通じていた。何曾と並んで仁と孝を尽くした者として称賛されている。
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【三国志14】諸葛靚の武将能力値紹介

諸葛靚(ショカツセイ) 統率58 武力63 知力66 政治65 魅力67 魏の武将・諸葛誕の子。【演義】諸葛誕が反乱を起こすと、呉に援軍を求めるための人質として呉綱と共に孫綝の下に送られた。その後は呉に仕え、右将軍まで昇進。279年、晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩と共に迎撃に向かうが、あまりに劣勢のため降伏を主張。しかし、張悌に拒否された。【正史】孫晧が武昌に遷都した時、丁固と共に建業を守る。山賊の施但が来襲すると牛屯で撃破した。268年には丁奉と共に合肥を攻める。呉滅亡後、幼少期に親しかった武帝・司馬炎から侍中に迎えられるが、固辞した。
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【三国志14】荀惲の武将能力値紹介

荀惲(ジュンウン) 統率18 武力12 知力60 政治66 魅力62 曹操の幕僚。荀彧の子。【演義】父・荀彧が自害した際、その死を曹操に伝えた。【正史】荀彧の死後、後を継ぐ。曹操の三男である曹植と親しかったため、曹操の死後、曹丕から疎まれた。曹丕の妹を妻としていたため、粛清などは免れたとされる。
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【三国志14】諸葛尚の武将能力値紹介

諸葛尚(ショカツショウ) 統率64 武力75 知力62 政治55 魅力69 蜀の丞相・諸葛亮の孫。諸葛瞻の長子。【演義】魏の鄧艾が蜀に侵攻した時、綿竹関で父と共に迎撃する。緒戦は諸葛亮の木像を押し立てて鄧艾軍の鄧忠、師纂らを迎撃し、自ら勇戦して両将を追い返した。しかし、呉に要請した援軍を待ちきれずに諸葛瞻が出陣し戦死すると、張遵のいさめを振り切って出陣し、乱戦の中で戦死した。【正史】「国から大恩を受けながら、黄皓を斬らなかったばかりに敗北を招いてしまった。これ以上、生きていて何になろうか」と嘆き、魏軍に突撃して戦死した。
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【三国志14】淳于瓊の武将能力値紹介

淳于瓊(ジュンウケイ) 統率74 武力67 知力29 政治28 魅力33 後漢の官吏。後に袁紹に仕える。【演義】何進暗殺の混乱の最中、外に連れ出された少帝と陳留王が帰還した際、迎え出た。その後、袁紹に仕え、官渡の戦いに参戦。烏巣の兵糧基地を守る大将となる。しかし生来の酒好きで、泥酔していたところを曹操軍の奇襲に遭い、捕虜となる。その後、身柄を袁紹に送り返されるが、激怒した袁紹に斬られた。【正史】黄巾の乱後、蹇碩、袁紹、曹操らと共に西園八校尉に任ぜられる。烏巣で曹操軍相手に奮戦するが捕らえられ、降伏せずに惜しまれながら曹操に斬られた。
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【三国志14】諸葛緒の武将能力値紹介

諸葛緒(ショカツショ) 統率41 武力40 知力27 政治46 魅力49 魏の雍州刺史。諸葛沖の父。【演義】263年、蜀討伐の総大将・鄧艾の命令で、沓中[トウチュウ]にいる姜維の退路を断った。しかし、姜維が雍州を攻める動きを見せたため雍州に軍を返し、姜維に突破を許してしまう。その後、剣閣に籠もる姜維を攻撃するが敗退。激怒した鍾会に斬られそうになるが、諸将の取りなしで命を救われ、洛陽に護送された。【正史】蜀遠征中、蜀軍に恐れをなして前進しようとしないと鍾会に告発され、軍勢を奪われて都に召還された。その後は晋に仕え、太常などを歴任した。
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【三国志14】荀彧の武将能力値紹介

荀彧(ジュンイク) 統率54 武力14 知力95 政治99 魅力94 曹操の参謀。荀攸の従父。元は袁紹配下。【演義】兗州の黄巾残党を平定して人材を募った曹操の配下に加わる。曹操は荀彧を得ると「我が子房だ」と喜んだ。呂布に兗州を襲われた際、程昱と共に三県を死守。李傕の下を離れた献帝を保護するよう進言し、官渡の戦いでは劣勢で弱気になった曹操を励ますなど、第一の謀臣として曹操軍を支えた。しかし、曹操の魏公就任に反対したため不興を買い、何も入っていない器を送られ(お前は用済みだという意味)、服毒死した。【正史】三公を出した名門の出。「王佐の才」と評された。
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【三国志14】諸葛均の武将能力値紹介

諸葛均(ショカツキン) 統率29 武力25 知力51 政治65 魅力67 諸葛珪の子。諸葛瑾、亮の弟。【演義】諸葛珪が早くに死んだため、兄と共に叔父の諸葛玄に育てられた。諸葛玄の死後、諸葛亮と共に臥龍岡[ガリョウコウ]の草廬で暮らし、農業を営む。劉備が二度目に諸葛亮を訪問した時、諸葛亮に間違えられた。三度目の訪問で、諸葛亮が劉備に仕えることになると草廬の管理を任された。【正史】蜀に仕え、長水校尉となった。草廬で劉備と応対したという記述はない。
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【三国志14】朱霊の武将能力値紹介

朱霊(シュレイ) 統率72 武力72 知力67 政治53 魅力38 もと袁紹の武将。後に曹操に仕える。【演義】曹操の命を受け、路昭と共に、袁術討伐のため徐州に入った劉備に従軍する。袁術の死後、自立を図る劉備に兵を預けたまま帰還して曹操の怒りを買うが、荀彧の取りなしで助かった。渭水の戦いでは徐晃と共に黄河を渡って伏兵し、馬超を挟撃する態勢を取った。【正史】曹操が陶謙を攻めた際、袁紹から援軍として派遣され、曹操を名君と見てそのまま仕える。しかし、曹操と性格的に合わず、兵を取り上げられ于禁の配下にされたこともある。曹丕の代に後将軍まで昇った。
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【三国志14】諸葛瑾の武将能力値紹介

諸葛瑾(ショカツキン) 統率75 武力34 知力81 政治89 魅力90 呉の官僚。諸葛恪、喬の父。諸葛亮、均の兄。【演義】魯粛の推薦で孫権に仕える。赤壁の戦いの前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶため来訪した時、諸葛亮と再会し、孫権に仕えるよう勧めた。以後、荊州の領有などを巡って、孫権の使者として劉備や関羽との交渉に当たる。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、曹真と夏侯尚の軍勢を陸遜と共に撃退。後に諸葛亮が五丈原に出陣したのに呼応して襄陽を攻めるが、曹叡に敗れた。【正史】諸葛亮とは公の場では会っても、個人的に会うことは避けた。孫権とは生死を越えた信頼関係で結ばれた。
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