三国志14

武将

【三国志14】盛曼の武将能力値紹介

盛曼(セイマン) 統率61 武力68 知力66 政治51 魅力56 呉の武将。【演義】記述なし。【正史】建平太守。蜀が滅びた直後の264年、陸抗、歩協、留平らと共に軍勢を率いて旧蜀領へ侵攻し、巴東で羅憲を包囲する。しかし、魏の胡烈が2万の兵を率いて羅憲の救援に来たため、撤退した。
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【三国志14】曹植の武将能力値紹介

曹植(ソウショク) 統率20 武力22 知力81 政治70 魅力80 曹操の四男。母は卞氏。曹丕、曹彰の弟。曹熊の兄。建安文学を代表する詩人。臨淄侯[リンシコウ]。陳王。【演義】曹操から才能を愛され、曹丕と後継の座を争った。楊脩の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊脩の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。【正史】「贈白馬王彪」「野田黄雀行」「洛神賦」などの遺作がある。「洛神賦」は甄氏への想いを詠ったとも。
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【三国志14】成公英の武将能力値紹介

成公英(セイコウエイ) 統率73 武力70 知力80 政治62 魅力68 韓遂の武将。【演義】記述なし。【正史】韓遂が曹操に敗れて夏侯淵に追撃された時、羌族を頼って難をしのぎ、夏侯淵が撤退した後に勢力を挽回する策を献じた。夏侯淵が帰還し、かつて韓遂の部下だった閻行が残ると、韓遂と共に羌軍を率いて攻撃。しかし、その最中に韓遂が死んだため、曹操軍に降伏した。黄初年間、隴右[ロウユウ]で異民族の伊健妓妾[イケンギショウ]、治元多[チゲンタ]らが反乱を起こすと、涼州刺史・張既と共に鎮圧に当たるが病死した。
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【三国志14】曹彰の武将能力値紹介

曹彰(ソウショウ) 統率83 武力90 知力40 政治35 魅力71 曹操の三男。母は卞氏。曹丕の弟。曹植、曹熊の兄。武芸に秀で、素手で猛獣を倒した。ひげが黄色かったことから、「黄鬚児」と曹操に呼ばれた。任城王。【演義】代郡で反乱を起こした烏桓を平定した後、劉備軍との漢中攻防戦に参加。劉備軍の呉蘭を討ち取るが、戦況は変わらず、結局、曹操軍は漢中から撤退した。曹操の死後、大軍を率いて上京するが、賈逵に説得され、兵権を返上して領地に戻った。【正史】曹操から読書を課せられても、前漢の名将・衛青や霍去病のように武功を立てることを望んだ。
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【三国志14】成宜の武将能力値紹介

成宜(セイギ) 統率73 武力71 知力40 政治45 魅力52 韓遂の武将。【演義】曹操に殺された馬騰の復讐戦に臨む馬超と韓遂に呼応し、長安を攻め落とす。渭水の戦いで、渭水北岸にあった曹操の陣営に夜襲をかけるが見破られ、夏侯淵に斬られた。【正史】後漢末、長安以西(関中)に勢力を張った軍閥の一角。211年、曹操が西征の動きを見せると、馬超や韓遂と共に挙兵する。しかし、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が対立。そこを曹操軍に攻められ、李堪と共に敗死した。
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【三国志14】曹純の武将能力値紹介

曹純(ソウジュン) 統率76 武力71 知力62 政治40 魅力73 曹操の武将。曹仁の弟。【演義】赤壁の戦いの後、曹仁と共に南郡を守った。周瑜の攻勢を幾度か退けるが、周瑜の偽葬儀にだまされ、おびき出されたところを撃破された。その間、南郡は劉備軍の趙雲に奪われた。【正史】精鋭騎兵「虎豹騎」を率いる。南皮包囲戦では袁譚を討ち、白狼山の戦いでは烏桓の蹋頓を捕らえた。長坂の戦いでは劉備軍を追走し、物資や敗残兵を接収。赤壁の戦い後は、曹操に従って譙に帰還し、間もなく死亡。学問好きで学者を敬愛した。
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【三国志14】鄒丹の武将能力値紹介

鄒丹(スウタン) 統率61 武力64 知力34 政治37 魅力39 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚から漁陽の太守に任命される。元劉虞配下の鮮于輔らが推す閻柔と対立。閻柔が率いる烏桓と鮮卑の連合軍に敗れ、斬られた。
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【三国志14】倉慈の武将能力値紹介

倉慈(ソウジ) 統率68 武力37 知力68 政治84 魅力83 魏の官僚。【演義】記述なし。【正史】曹操が淮南で屯田を始めた際に登用され、綏集[スイシュウ]都尉に任じられた。曹丕の代に長安県令に転じると、清廉で簡潔な統治で官民に慕われた。曹叡の代には敦煌太守に昇進。当時、敦煌は豪族たちが跋扈する無法地帯だったが、豪族たちの力を抑えつつ、貧民救済、土地の再分配、裁判の公正化、胡族との交易促進などに尽力し、多くの民に徳望を称えられた。
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【三国志14】鄒靖の武将能力値紹介

鄒靖(スウセイ) 統率72 武力65 知力66 政治56 魅力68 後漢の武将。【演義】黄巾の乱に際し、幽州太守・劉焉に義勇軍を募って討伐するよう提案して採用される。その後、応募してきた劉備、関羽、張飛らを率いて青州の黄巾賊を打ち破った。劉備らが盧植の援護に向かうと、別行動を取った。【正史】黄巾の乱で、劉備らを引き連れて黄巾賊討伐戦に参加したという記述があるのみ。正史では、劉焉は幽州に赴任しておらず、鄒靖が劉焉に仕えていたという記述はない。
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【三国志14】臧洪の武将能力値紹介

臧洪(ゾウコウ) 統率68 武力49 知力73 政治76 魅力80 後漢の武将。【演義】記述なし。【正史】広陵太守の張超に才能を評価され、郡の功曹となって太守の実務を執った。董卓が洛陽を蹂躙した際、張超に決起を促す。決起に集まった諸侯が盟約を結ぶ際、誓約の言葉を述べる役割を担い、立派に果たした。のちに張超の窮地を袁紹が見逃したため袁紹と対立し、捕らえられて殺された。
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