三国志14

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【三国志14】孫覇の武将能力値紹介

孫覇(ソンハ) 統率34 武力60 知力61 政治63 魅力71 呉の皇族。孫権の四男。【演義】記述なし。【正史】若くして聡明であったため孫権の寵愛を受ける。兄の孫和が皇太子となると、魯王に封じられたが、勢力内での待遇は同じとされたため、双方の側近の重臣たちが派閥争いを起こして分裂した。孫権が積極的に鎮めようとしなかったため争いは長引き、重臣ともども自害に追い込まれた。
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【三国志14】張休の武将能力値紹介

張休(チョウキュウ) 統率54 武力27 知力74 政治77 魅力73 呉の重臣・張昭の末子。張承の弟。【演義】孫権が呉の初代皇帝に即位した時、皇太子・孫登の補佐役となる。【正史】諸葛恪、顧譚、陳表と共に孫登の学友となり、孫登に「漢書」を講義した。兄の張承は別の侯に封ぜられていたため、張昭の死後、その爵位を受け継いだ。孫登が若死にすると、中央に戻って侍中、揚武将軍に昇進。しかし、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、孫覇一味が流した悪評により交州への移住を命じられる。その後、対立していた孫弘の謀略により自害を命じられた。
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【三国志14】孫登の武将能力値紹介

孫登(ソントウ) 統率62 武力37 知力79 政治80 魅力88 孫権の長男。孫和、孫覇、孫休、孫亮の兄。【演義】母は徐氏。229年、孫権が呉の皇帝となると、皇太子に立てられた。241年、父に先立って死亡し、弟の孫和が皇太子となる。【正史】生母の身分が低かったため、代わりに徐氏に育てられた。孫権が呉王になると太子となり、諸葛恪、張休、顧譚、陳表らを学友に当てられ、東宮(太子の宮廷)は多士済々と評判になった。孫権が可愛がっていた孫和と親しくなり、臨終の際、孫和を皇太子にするよう書き遺す。温厚で思慮深く、領民を思いやる政治をした。
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【三国志14】張顗の武将能力値紹介

張顗(チョウギ) 統率43 武力62 知力30 政治21 魅力38 袁尚の武将。のち曹操の武将。【演義】袁紹死後の家督争いでは、馬延と共に袁譚を攻撃した。のち審配の守る城が曹操に攻められると、救援に向かったが大敗。曹操の捕虜となり、呂翔らの説得を受けて帰順、配下となった。その後、長坂の戦いで単騎の趙雲を包囲したが逃げられている。赤壁の敗戦で落ち延びようとする曹操とは合流を果たしたが、甘寧に討ち取られた。【正史】曹操の捕虜になって以降の記述はない。
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【三国志14】孫綝の武将能力値紹介

孫綝(ソンチン) 統率28 武力46 知力65 政治17 魅力6 孫静の曾孫。孫綽の子。丞相・孫峻の従弟。【演義】孫峻の死後、後を継いで政権を欲しいままにし、滕胤、呂拠、王惇らを殺して暴政を敷いた。魏の諸葛誕が反乱を起こすと、朱異、全端、唐咨らを援軍に出すが成果なく、朱異を処刑し、降伏した全端、唐咨らの家族も皆殺しにした。その暴虐を恐れた第2代皇帝・孫亮に誅殺されそうになるが、未然に防いで逆に孫亮を廃立。孫休を新帝に迎え、丞相、荊州牧となる。しかし、孫休の命を受けた丁奉、張布らに捕らえられ、処刑された。【正史】孫亮を廃した際、共謀者の全公主も流刑に処した。
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【三国志14】張既の武将能力値紹介

張既(チョウキ) 統率74 武力35 知力75 政治88 魅力85 魏の官僚。【演義】渭水の戦いで曹操が馬超を討伐した後、夏侯淵の推挙で京兆尹となり、夏侯淵と共に長安を守った。【正史】曹操が司空になると召還された。袁尚軍との戦いでは鍾繇の命で馬騰を説得し、馬超らに郭援を討たせた。曹操が荊州攻略に動き出すと、後顧の憂いを絶つために馬騰に出仕を促して馬超に軍勢を統率させる。馬超が反乱を起こすと、曹操に従い鎮圧に当たった。魏建国後は尚書、雍州刺史となり、張魯討伐、劉備との漢中攻防戦に参加する。曹丕即位後は異民族の反乱平定に奔走した。
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【三国志14】孫仲の武将能力値紹介

孫仲(ソンチュウ) 統率64 武力71 知力36 政治6 魅力11 黄巾の武将。【演義】張角が病死した後も、趙弘、韓忠と共に宛城に籠もって抵抗を続ける。朱儁と劉備が率いる討伐軍が来襲すると、突破して逃れようとしたが、劉備が放った矢に当たり、戦死した。【正史】南陽黄巾の張曼成、趙弘、韓忠が朱儁らに討たれた後、孫夏が総帥となって抵抗を続けた。しかし、孫夏も朱儁に斬られ、南陽の黄巾賊は解散する。演義の孫仲はこの孫夏を描いたものと思われる。
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【三国志14】張角の武将能力値紹介

張角(チョウカク) 統率89 武力25 知力86 政治80 魅力98 黄巾の乱の指導者で、太平道の教祖。張宝、張梁の兄。天公将軍を自称。【演義】南華老仙から授かった「太平要術の書」で呪術を会得した。病気の治療を通じて太平道を組織し、大賢良師を自称。蒼天(後漢)の次は黄天が立つと言い広め、朝廷転覆を謀る。計画の途上、一味の馬元義が捕まり露呈すると、各地の教団を率いて蜂起。盧植や董卓が率いる反乱鎮圧軍に対して優勢に戦うが、間もなく病死した。【正史】張角が挙兵すると、黒山、白波などの賊軍が各地で挙兵し、それぞれ数千から数万の兵を率いた。
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【三国志14】孫静の武将能力値紹介

孫静(ソンセイ) 統率66 武力52 知力72 政治71 魅力72 孫堅の末弟。孫策、孫権の叔父。孫瑜、孫皎の父。【演義】董卓討伐戦の後、敵対関係となった劉表を攻めようとする孫堅をいさめるが、聞き入れられなかった。孫堅の死後、孫策と共に江東に進出し、王朗を追討して会稽郡を守る。孫権が黄祖を討った際は、呉郡を守った。後に曾孫の孫峻、孫綝が呉の政権を欲しいままにした。【正史】王朗討伐に功があったため、孫策から重要な地位を与えられそうになるが、断って故郷の呉郡富春県の守備に就いた。孫権の代に昭義中郎将に任ぜられるが、後に官を退き、家で死亡した。
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【三国志14】張闓の武将能力値紹介

張闓(チョウガイ) 統率35 武力66 知力8 政治1 魅力10 徐州刺史・陶謙の配下。【演義】もと黄巾の残党。陶謙の命で、曹操に招かれ兗州に向かう曹操の父・曹嵩を護衛する。しかし、曹嵩一行が持つ財宝に目がくらみ、部下と謀って曹嵩らを皆殺しにすると、財宝を奪って淮南に逃げた。激怒した曹操は徐州に侵攻するが、その間に呂布に兗州を奪われる。【正史】演義と同様。曹操は曹嵩暗殺の責任を陶謙に負わせ徐州に侵攻して民衆を大量に殺害した。後に孫盛は、責任は陶謙にあるのに、陶謙が支配する地域を破壊するのは間違っていると評している。
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