三国志14

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【三国志14】孫朗の武将能力値紹介

孫朗(ソンロウ) 統率34 武力43 知力30 政治40 魅力42 孫堅の庶子。母は後妻の呉氏(呉国太)。孫策、孫権、孫翊、孫匡の異母弟。孫尚香の実兄。【演義】孫堅の死後、一族と共に曲阿に移住する。江東を制圧した孫策が死に瀕すると、兄弟で助け合って孫権を補佐するように遺訓された。【正史】演義では呉国太の子に孫朗と孫仁がいるとしているが、孫仁は孫朗の別名。洞口の戦いで呂範が曹休と戦っている間、呂範の命に背いて火を用い、軍用資材を消失する失策を犯す。このことで孫権の怒りを買い、姓を孫から丁に改められ、終身の禁固刑に処された。
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【三国志14】趙弘の武将能力値紹介

趙弘(チョウコウ) 統率66 武力72 知力28 政治22 魅力13 黄巾の武将。【演義】張角の病死後、韓忠、孫仲と共に数万の軍勢を擁して宛城を占拠していた。朱儁と劉備が率いる討伐軍に攻められ、韓忠が大敗を喫すると降伏を申し出るが、朱儁に拒否された。奮戦して一度は討伐軍から宛城を取り戻すが、朱儁の加勢に来た孫堅軍に攻められ、槊を繰り出して孫堅に突きかかったところを返り討ちにされた。【正史】南陽黄巾の総帥・張曼成秦頡[シンキツ]に討たれると後を継ぎ、10万余の兵で宛城を占拠し続けた。朱儁の包囲を数カ月耐えるが、最後は朱儁に斬られた。
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【三国志14】趙広の武将能力値紹介

趙広(チョウコウ) 統率65 武力68 知力53 政治51 魅力60 蜀の武将。趙雲の次男。趙統の弟。【演義】諸葛亮の第2次北伐の直前に趙雲が死ぬと、諸葛亮に訃報を伝える。劉禅から牙門将に任ぜられ、兄と共に趙雲の墓を守るよう命じられた。【正史】262年、姜維に従って沓中[トウチュウ]で屯田する。その後、前線で戦死した。
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【三国志14】孫魯育の武将能力値紹介

孫魯育(ソンロイク) 統率16 武力8 知力58 政治56 魅力68 孫権の娘。母は歩練師。孫魯班(全公主)の実妹。朱拠に嫁ぎ、朱公主と呼ばれる。後に劉纂に嫁いだ。【演義】記述なし。【正史】孫魯班は皇太子・孫和をざん言し、魯王・孫覇を孫権の後継者に立てようとしたが、孫魯育は姉に従わなかったため、ふたりの関係に亀裂が生じていた。孫亮の時代に丞相として専権を振るった孫峻の暗殺計画が露見。首謀者の孫儀らが自殺に追い込まれた際、姉・孫魯班が孫峻に孫魯育も陰謀に加担していたと嘘の密告をする。そのため、孫魯育は孫峻に誅殺された。
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【三国志14】張郃の武将能力値紹介

張郃(チョウコウ) 統率89 武力89 知力69 政治57 魅力72 魏の武将。もと袁紹の配下。【演義】官渡の戦いで袁紹に従軍。烏巣が曹操に急襲されると、郭図の策に従い高覧と共に曹操の本営を攻めるが敗退。郭図に責任をかぶされ、やむなく曹操に降った。その後、魏将として各地を転戦。漢中の張魯を攻めた際は夏侯淵と共に先鋒となる。劉備との漢中攻防戦では張飛に大敗し、曹洪に斬られそうになった。諸葛亮が北伐を起こすと、街亭で馬謖を破るなど蜀軍を苦しめるが、第4次北伐の際、木門道[ボクモンドウ]で戦死した。【正史】黄巾の乱では、韓馥の指揮下で鎮圧に当たった。
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【三国志14】孫礼の武将能力値紹介

孫礼(ソンレイ) 統率77 武力81 知力65 政治74 魅力73 魏の武将。【演義】曹叡を襲った虎を斬り殺し、信任を得た。諸葛亮が北伐を開始し、蜀軍が街亭に迫ると、辛毘と共に曹真を援護。以後も曹真に従って、相次ぐ諸葛亮の北伐軍と戦う。曹真の死後は司馬懿の指揮下で郭淮と共に戦った。【正史】幽州を平定した曹操に取り立てられ、山陽、平原、平昌の太守を歴任。曹休が呉を攻めた際は深入りをいさめ、曹叡の宮殿造営にも反対した。曹叡の死後は曹爽と対立し、揚州刺史として前線に配置され、呉の全琮を退けた。曹爽が死ぬと中央に戻り、司空となった。
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【三国志14】張紘の武将能力値紹介

張紘(チョウコウ) 統率24 武力22 知力86 政治95 魅力84 呉の幕僚。張昭と共に「二張」と称された策士。【演義】孫策が江東に進出する直前、周瑜の勧めで張昭と一緒に招かれた。孫策が江東を制覇すると、成果を献帝に上奏するため許昌へ向かい、曹操と会見。帰国後は顧雍を推挙し、孫策の後を継いだ孫権を人材登用面で補佐した。臨終の際、秣陵に拠点を移すように遺言。孫権はこれに従い、秣陵を建業と改めた。孫策や孫権が血気にはやって前線に出ようとするのをいさめ、赤壁の戦いの前は曹操との交戦に反対するなど、穏健派の代表だった。【正史】秣陵への遷都を献策し、孫権が実行した後に病死。
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【三国志14】孫亮の武将能力値紹介

孫亮(ソンリョウ) 統率21 武力10 知力70 政治76 魅力70 孫権の七男(末子)。母は潘氏。孫登、孫和、孫覇、孫休の弟。呉の第2代皇帝。妻は全氏(全尚の娘)。【演義】孫和が皇太子を廃されると代わりに皇太子となる。252年、孫権の没後、10歳で第2代皇帝に即位。聡明で知られていたが、政権は諸葛恪、孫峻、孫綝らに握られた。258年、孫綝の暴政を憎んで、全紀、劉丞らと共に孫綝討伐を謀るが、全紀の父・全尚が妻(孫綝の従姉)に明かしてしまい計画が発覚。会稽王に落とされた。【正史】260年、復位を企てていると噂を立てられ、侯官侯に落とされる。任地に向かう途中に自害。毒殺とも。
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【三国志14】張虎の武将能力値紹介

張虎(チョウコ) 統率74 武力73 知力44 政治34 魅力59 魏の名将・張遼の子。【演義】諸葛亮が第2次北伐を起こした時、曹真の先鋒となり、副先鋒の楽綝と共に前線を守った。その後も相次ぐ北伐に対し、曹真、司馬懿の指揮下で、しばしば楽綝と協力して迎撃に当たる。特に第5次北伐では呉班を射殺する戦果を上げた。諸葛亮の死後、遼東で公孫淵が反乱を起こすと、司馬懿に従い鎮圧に当たった。【正史】張遼の死後、後を継いで偏将軍になったという記述のみ。
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【三国志14】孫慮の武将能力値紹介

孫慮(ソンリョ) 統率28 武力12 知力74 政治76 魅力79 孫権の二男。孫登の弟。孫和、孫覇、孫奮、孫休、孫亮の兄。【演義】記述なし。【正史】幼い頃から聡明で孫権に可愛がられ、建昌侯に封ぜられた。孫権即位後、孫慮を王の位に就ける動きがあったが、これは実現しなかった。しかし、鎮軍大将軍に任じられて仮節を授けられ、半州に幕府を開くことを許された。半州では見事な統治を行っていたが20歳で早世し、孫権を嘆かせた。
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