三国志14

武将

【三国志14】張承の武将能力値紹介

張承(チョウショウ) 統率75 武力69 知力75 政治70 魅力72 後漢の臣。後に曹操に仕える。張延の子。兄に張範。【演義】記述なし。【正史】董卓が朝廷を牛耳ると兄・張範に説得されて官を辞し、共に揚州に逃れた。そこで兄に代わって袁術の招聘に応じたが、袁術を批判して不興を買い、再び野に下った。曹操が冀州を平定した際、やはり兄に代わって曹操の招聘に応じ、諫議大夫に任命された。のち丞相参軍祭酒と趙郡太守を兼任した。
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【三国志14】趙雲の武将能力値紹介

趙雲(チョウウン) 統率91 武力96 知力76 政治65 魅力81 蜀の五虎将軍の1人。趙統、趙広の父。【演義】はじめ袁紹、公孫瓚に仕えたのち、劉備の配下となる。長坂坡の戦いで単身、曹操軍に斬り込み甘氏と阿斗(劉禅)を救出。漢中攻防戦では一騎で曹操軍の進軍を止め、劉備に「子龍は一身これすべて胆なり」と称えられた。街亭の敗戦でも、趙雲の部隊だけは1兵も損なわず撤退に成功。他にも蜀攻略戦、南蛮平定戦など諸葛亮の遠征には常に同行し、劉備や諸葛亮から信頼された。【正史】博望の戦いで同郷の夏侯蘭を捕らえ、助命を嘆願。以後、自分からは夏侯蘭に接近せず慎重に身を処した。
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【三国志14】張承の武将能力値紹介

張承(チョウショウ) 統率75 武力69 知力75 政治70 魅力72 呉の武将。張昭の長男。張休の兄。妻を早くに亡くし、諸葛瑾の娘を後妻とする。その間に生まれた娘は孫和の妃となる。張震の父。【演義】234年、諸葛亮の第5次北伐に呼応して孫権が魏を攻めた時、孫韶と共に広陵から淮南へ侵攻するよう命じられた。【正史】若い頃から学才で知られ、諸葛瑾、歩騭、厳畯と親しかった。長沙で山間異民族の討伐に当たった後、濡須都督、奮威将軍となる。人物を見る眼に優れ、蔡款[サイカン]、謝景らを見出し、諸葛恪の滅亡を予言した。
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【三国志14】張允の武将能力値紹介

張允(チョウイン) 統率73 武力68 知力42 政治56 魅力49 劉表の武将。後に曹操に仕える。【演義】劉表の死後、劉琮を後継者にしようとする蔡瑁一派の計画に加わる。曹操への降伏が決まると、蔡瑁と共に降伏の使者となり、2人とも曹操から水軍の指揮を任される。赤壁の戦いの緒戦で呉の水軍に敗れるが許され、水軍を更に増強。その充実ぶりを警戒した周瑜によって、蔡瑁と2人で呉に内通しているという虚報を流され、激怒した曹操に斬られた。【正史】重病の劉表を案じて劉琦が面会を求めた時、蔡瑁と共に追い返した。曹操に降伏した後の記述はない。
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【三国志14】張紹の武将能力値紹介

張紹(チョウショウ) 統率23 武力32 知力31 政治59 魅力46 蜀の官僚。張飛の次男。張苞の弟。【演義】張飛の死後、夷陵に出陣した兄の張苞に代わり、領地を守った。後に私署侍中、尚書僕射となる。263年、魏の鄧艾に綿竹関を突破されると、劉禅の決断に従い、譙周、鄧良と共に玉璽を鄧艾に渡して降伏を申し出た。蜀の滅亡後、張峻と共に国内諸郡を回って、抵抗を続ける軍民に降伏を説いた。翌年、譙周、樊建、郤正と共に劉禅に付き従って洛陽に移った。【正史】兄の張苞が若くして死んだので、後を継いだ。蜀の降伏後、劉禅の洛陽行きには同行していない。
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【三国志14】趙昱の武将能力値紹介

趙昱(チョウイク) 統率45 武力34 知力71 政治81 魅力79 後漢の臣。【演義】記述なし。【正史】若い頃から広く学問を修め、その性格は高潔にして廉直、親孝行でも評判だった。孝廉に推挙されて莒[キョ]の県長を任されると、その統治ぶりは国の範とされた。黄巾の乱でも兵を集めて勲功第一となるが、栄達を拒否して下野。その後、陶謙に脅されて出仕したが、忠実正直であったために疎まれた。やがて献帝から広陵太守に任ぜられたが、曹操の徐州侵攻の最中、頼ってきた笮融を助けるも、その笮融に殺された。
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【三国志14】張松の武将能力値紹介

張松(チョウショウ) 統率15 武力6 知力88 政治82 魅力19 劉璋の幕僚。張粛の弟。【演義】劉璋が張魯に脅かされると、使者となり曹操に援軍を要請しようとした。しかし、曹操からぞんざいに扱われたため、楊脩を言い負かし、曹操の「孟徳新書」を暗記して驚かせる。その態度が曹操の怒りを買い、交渉は決裂。帰途、劉備から歓迎を受け、劉璋に代えて劉備を蜀の統治者にしようと目論む。劉備に蜀の地図を渡し、張魯を防ぐ名目で劉備を蜀に入れることに成功。決起を促すが、張粛に計画を通報され、劉璋に処刑された。【正史】劉備と面会中に蜀の地図を書き、内情を知らせた。
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【三国志14】仲長統の武将能力値紹介

仲長統(チュウチョウトウ) 統率8 武力19 知力60 政治69 魅力46 後漢末の学者。【演義】記述なし。【正史】若い頃から博識で記憶力に優れ、文才にも長じていた。各地を遊学して常林や繆襲[キュウシュウ]から高く評価され、その名声は華北に響いていたが、州や郡からの召し出しには応じなかった。黙っていたかと思うと急に話し出すなど、常人には理解し難い性格の持ち主だったという。のち荀彧に推挙され、曹操に仕えて参丞相軍事となったが、早世した。著作に「昌言[ショウゲン]」。
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【三国志14】張昭の武将能力値紹介

張昭(チョウショウ) 統率33 武力3 知力84 政治97 魅力81 呉の幕僚。張紘と共に「二張」と称された策士。【演義】孫策が江東に進出する前、周瑜の勧めで張紘と一緒に招かれた。孫策の死期が迫ると、後継者の孫権を内政面で補佐するよう遺言される。赤壁の戦いでは曹操への降伏を主張。孫権と同盟を結んで曹操と対抗しようとする諸葛亮を、論戦で説き伏せようとして失敗した。以後も呉の元老として孫権を補佐し続けた。【正史】徐州の名士だったが、争乱を避けて江東に逃れた。剛直な性格で、陶謙からの推薦を断って投獄されたり、孫権と喧嘩して屋敷に火をかけられたこともある。
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【三国志14】段煨の武将能力値紹介

段煨(ダンワイ) 統率55 武力48 知力54 政治73 魅力70 董卓の武将。【演義】献帝が長安を脱して弘農郡へ向かう途上、華陰県で衣服や食事を提供した。のち曹操に敗れた李傕を殺して首を献上し、曹操から盪寇[トウコウ]将軍に任ぜられた。【正史】華雄が孫堅に敗れた時、連合軍への抑えとして華陰県に入った。よく農業を促進して民に安寧をもたらし、董卓死後も華陰県に留まり続けた。献帝が長安から脱してくると、演義同様に供応する。また一時期、賈詡にも頼られた。のち李傕討伐に参戦して功を挙げ、入朝して大鴻臚、光禄大夫まで昇進した。
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