三国志14

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【三国志14】董旻の武将能力値紹介

董旻(トウビン) 統率49 武力60 知力24 政治10 魅力20 董卓の弟。【演義】董卓が政権を握ると、左将軍に任ぜられた。王允の連環の計によって董卓が暗殺された際、郿城[ビジョウ]にいた一族ともども捕らえられ、処刑された。【正史】何進が暗殺された時、宦官と通じて何進暗殺に荷担した罪で何苗(何進の弟)を斬った。
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【三国志14】唐彬の武将能力値紹介

唐彬(トウヒン) 統率68 武力74 知力66 政治53 魅力60 晋の武将。【演義】晋の広武将軍。279年、晋が呉討伐戦を起こすと、龍驤将軍・王濬と共に水陸20余万の兵を率い、旧蜀領から長江沿いに進軍した。【正史】若い時は腕力に頼る武将だったが、後に「易経」など経史に通じるようになった。呉討伐の後、雍州刺史まで昇進した。
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【三国志14】董白の武将能力値紹介

董白(トウハク) 統率5 武力2 知力43 政治51 魅力57 董卓の孫娘。【演義】記述なし。【正史】190年、董卓が長安に遷都した際、15歳未満でありながら渭陽君として領地を与えられた。印綬授与の際は、都尉、中郎将、刺史ら重臣が先導役となり、華やかに行われた。董卓の死後、王允によって董卓の一族や董卓に加担した者たちが粛清されたとき、董白も連座させられたものと思われる。
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【三国志14】蹋頓の武将能力値紹介

蹋頓(トウトン) 統率82 武力81 知力52 政治34 魅力55 遼西烏桓の首領。丘力居の従子。【演義】袁紹と誼を通じ、袁煕と袁尚が曹操に追われて北方に逃げてきた際は、かくまって曹操軍と戦う。だが、曹操の勇将・張遼に白狼山で大敗し、首を斬られた。【正史】丘力居が死ぬと、その子の楼班が年少で、蹋頓の武略が優れていたため、後を継いで部族を統率し、烏桓王を名乗った。白狼山の戦いに敗れると、曹純が督率する虎豹騎に捕縛された。
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【三国志14】董荼那の武将能力値紹介

董荼那(トウトナ) 統率68 武力73 知力33 政治37 魅力49 孟獲の配下。第二洞の元帥。【演義】諸葛亮の南蛮征伐で、張嶷に襲撃されて捕らえられる。阿会喃ともども、諸葛亮に解放されて心服するが、同じく解放されながら服従しない孟獲の命で再度出陣。馬岱に恥知らずと叱責されて退却すると、孟獲から棒打ちの刑を受け、阿会喃と結託して孟獲を蜀軍に引き渡す。孟獲が再び釈放されると、今度こそ孟獲も心服したものと誤解し、だまし討ちに遭って殺された。【正史】記述なし。
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【三国志14】董朝の武将能力値紹介

董朝(トウチョウ) 統率16 武力13 知力54 政治69 魅力67 呉の官僚。【演義】孫綝が孫亮を廃立して琅邪王・孫休を新皇帝とした際、孫楷と共に虎林まで孫休を迎えに行った。【正史】孫晧の代に中書令兼司徒となる。丞相の陸凱が臨終の際に孫晧から派遣され、陸凱の遺言を聞き受けた。
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【三国志14】程咨の武将能力値紹介

程咨(テイシ) 統率53 武力52 知力50 政治47 魅力55 呉の武将。程普の子。【演義】赤壁の戦いの前、周瑜が大都督となったのを快く思わない父に代わり、周瑜の軍令を受けた。帰宅後、周瑜の采配がすべて兵法に適ったものであることを報告すると、程普は周瑜に謝罪して戦陣に加わった。【正史】孫権が皇帝に即位した時、亡き父の功により亭侯に封じられた。
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【三国志14】鄧忠の武将能力値紹介

鄧忠(トウチュウ) 統率72 武力85 知力68 政治53 魅力67 魏の武将。鄧艾の子。【演義】鄧艾に従い、姜維の北伐軍と戦う。258年、長城の戦いで姜維と一騎討ちし、互角に渡り合った。263年、鍾会と鄧艾が蜀討伐戦を起こすと、鄧艾の先鋒として陰平の山岳を踏破。江油城、涪城[フジョウ]を落とし、綿竹関で諸葛瞻を破る。間もなく蜀は降伏するが、戦後の統治策を巡り鍾会と鄧艾が対立。鍾会の計略で父ともども衛瓘に捕らえられる。その後、鍾会は自立を図って討たれるが、その混乱の最中、衛瓘、田続に殺された。【正史】洛陽にいた兄弟も処刑された。
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【三国志14】鄭渾の武将能力値紹介

鄭渾(テイコン) 統率68 武力32 知力67 政治87 魅力82 魏の幕僚。鄭衆の曾孫。鄭泰の弟。子に鄭崇。【演義】記述なし。【正史】戦乱を避けて淮南に逃れ、袁術に賓客として厚遇されたが、袁術の没落を予見して予章太守だった華歆に身を寄せた。のち曹操に招聘されると、各地の県令や太守を歴任。農耕と養蚕の奨励、稲田の開発など農業を盛り立てると共に、法令を明確にして民に慕われた。特に曹丕の代に行った灌漑工事での治績は大きく、その堤防は「鄭陂[テイハ]」と呼ばれた。その功は曹叡の代に広く流布され、将作大匠にまで昇進した。
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【三国志14】董卓の武将能力値紹介

董卓(トウタク) 統率85 武力85 知力69 政治19 魅力37 事実上、後漢を滅ぼし、群雄割拠の時代を招いた梟雄。【演義】黄巾討伐では戦果なく、十常侍に賄賂を贈って地位を保つ。涼州で軍勢を整え、何進が宦官を一掃するために諸侯を召集した際に上洛。何進暗殺、十常侍壊滅の混乱の中で少帝を保護。最強の豪傑・呂布を従え、少帝を廃立するなど権勢を欲しいままにする。袁紹、曹操ら連合軍に攻められると、長安への遷都を強行。王允の連環の計で貂蝉を巡って呂布と対立し、呂布に討たれた。【正史】怪力を誇り、騎射に長けた。黄巾の乱後、西羌族の反乱鎮圧で活躍し、徐々に中央の統制に従わなくなる。
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