三国志14

武将

【三国志14】万彧の武将能力値紹介

万彧(バンイク) 統率21 武力23 知力70 政治63 魅力36 呉の官僚。【演義】264年、孫休が病没すると、嫡男の孫吒[ソンワン]が年少であることを理由に、孫晧を即位させるよう主張。孫晧即位後に丞相となるが、孫晧の暴政をいましめて怒りを買い、殺された。【正史】烏程の役人だった頃、孫晧と親しくなる。孫晧即位後は右丞相となり、巴丘を守備。271年、孫晧が民衆に多大な犠牲を強いて各地を巡幸した際、丁奉、留平と都への帰還を相談。孫晧の怒りを買い、毒酒を飲まされそうになって、自害した。
武将

【三国志14】卞氏の武将能力値紹介

卞氏(ベンシ) 統率35 武力24 知力73 政治75 魅力88 曹操の側室。曹丕、彰、植、熊の母。もとは歌姫。【演義】曹操の正室に子がなかったため、曹操が魏王になると正室に立てられた。曹操の死後、後継問題で曹植が曹丕に殺されそうになると、命乞いをして曹植を助けた。【正史】20歳で曹操の側室となる。曹昂の戦死のことで曹操を恨む正室の丁氏が離縁されると、正夫人となった。謙虚な人柄で、倹約家。曹操が死んだという誤報を受けても動じない冷静さを備えていた。離縁された丁氏を礼遇し、曹操の子で母を亡くした者をすべて養育。曹丕が即位すると皇太后、曹叡が即位すると太皇太后となる。
武将

【三国志14】馬良の武将能力値紹介

馬良(バリョウ) 統率46 武力23 知力84 政治91 魅力86 蜀の幕僚。馬謖の兄。眉が白く、「白眉」と称される。【演義】劉備が南荊州を攻略した後、伊籍の推薦で劉備に仕える。諸葛亮が蜀に移ると、荊州を守る関羽の補佐を命じられる。関羽の襄陽進攻に従軍し、負傷した関羽が華佗の治療を受けた時は、碁の相手を務めた。荊州が呉の呂蒙に奪われると、伊籍と共に援軍を求めに成都に向かうが、その間に関羽は敗死する。夷陵の戦いでは劉備に従い、敗北。諸葛亮の南蛮征伐の最中に死亡した。【正史】諸葛亮と親しく、兄事した。夷陵の戦いで、武陵の異民族に協力を取り付けるなど活躍するが、戦死した。
武将

【三国志14】卞喜の武将能力値紹介

卞喜(ベンキ) 統率56 武力70 知力62 政治37 魅力24 黄巾の武将。後に曹操に仕える。流星鎚の使い手。【演義】曹操に仕え、沂水関を守る。劉備の二夫人を伴った関羽がやってくると、鎮国寺に兵を潜ませ待ち伏せる。しかし、僧普浄が関羽に合図したため、計画がばれて斬り殺された。【正史】記述なし。
武将

【三国志14】馬隆の武将能力値紹介

馬隆(バリュウ) 統率84 武力68 知力78 政治64 魅力66 魏、晋の武将。【演義】記述なし。【正史】司馬炎が呉を討伐せんと良将を募った際、兗州から推挙されて司馬督となった。鮮卑の禿髪樹機能[トクハツジュキノウ]が涼州で乱を起こすと、自薦して討伐に赴き、奇謀奇策を駆使して鮮卑を大破した。そのまま進んで西平太守を任されると、やはり見事な用兵で異民族を退け、その威信は隴右に響き渡った。のち厳舒の讒言で免官されることもあったが、すぐに復帰し、死ぬまで隴右に平穏をもたらし続けた。
武将

【三国志14】文聘の武将能力値紹介

文聘(ブンペイ) 統率83 武力82 知力66 政治68 魅力70 劉表の武将。後に曹操に仕える。【演義】宴席で劉備暗殺を企む蔡瑁に従い、劉備の護衛役の趙雲を劉備から引き離した。劉琮が曹操への降伏を決めると、劉備に襄陽を譲ろうとする魏延と戦う。曹操が荊州に入城しても、国を保てなかったことを恥じて出頭しなかったが、かえって曹操の信用を得る。以後、長坂坡の戦い、赤壁の戦いなどに参加。224年、曹丕が濡須を攻めて徐盛に大敗した時、曹丕を救出した。【正史】魏将となってからは長く江夏に駐屯し、蜀呉の侵攻を防ぐ。尋口では関羽を、石陽では孫権を撃退した。
武将

【三国志14】馬邈の武将能力値紹介

馬邈(ババク) 統率19 武力12 知力6 政治35 魅力15 蜀の武将。江油城を守る。【演義】263年、魏の鍾会と鄧艾が蜀討伐軍を起こし、漢中が陥落するが、前線にいる姜維を頼みに防備を怠る。黄皓が政権を握った蜀の将来を悲観し、何もしようとしないので、妻の李氏から叱責された。間もなく、陰平の山岳を越えた鄧艾軍が来襲すると、進んで降伏して道案内を買って出る。これを恥じた李氏は自害した。【正史】蜀の守将。陰平を越えて江由に迫った鄧艾軍に降伏したとあるのみ。
武将

【三国志14】文則の武将能力値紹介

文則(ブンソク) 統率59 武力53 知力32 政治35 魅力47 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】袁紹に易京を包囲された時、張燕の援軍を引き連れてきた公孫続と連絡を取るべく、公孫瓚の命を受けて城外に出た。しかし、狼煙の合図を記した書面は袁紹に奪われる。袁紹は偽の狼煙で公孫瓚を誘き出し、これを大破した。
武将

【三国志14】文醜の武将能力値紹介

文醜(ブンシュウ) 統率85 武力94 知力25 政治25 魅力40 顔良と並び、袁紹軍の双璧と呼ばれる猛将。【演義】汜水関の戦いには随軍しておらず、董卓軍の華雄に苦戦する袁紹は「顔良、文醜がいれば負けないものを」と嘆いた。界橋の戦いでは公孫瓚をあと一歩まで追いつめるが、趙雲に阻まれた。官渡の戦いの前哨戦で相方の顔良が関羽に斬られたことに怒り、仇討ちのために曹操軍を襲撃。延津で張遼、徐晃らを撃退し、曹操軍の物資を奪うが、関羽に斬り殺された。【正史】延津で曹操、荀攸の作戦にはまり、戦死。関羽に斬られたという記述はない。
武将

【三国志14】馬騰の武将能力値紹介

馬騰(バトウ) 統率82 武力80 知力51 政治59 魅力89 涼州軍閥の頭首の1人。馬超、馬休、馬鉄の父。【演義】曹操の董卓討伐の号令に応じた諸侯の1人。董承の曹操暗殺計画にも参加するが、露見した時は西涼に逃れていた。赤壁での戦いの後、曹操は馬騰を討って後顧の憂いを絶とうと画策。馬騰は謀略と知りながら上京し、黄奎[コウケイ]と謀って逆に曹操を討とうとするが失敗。同行していた馬休、馬鉄と共に討たれた。【正史】董卓討伐軍には加わっておらず、韓遂らと共に朝廷からの独立勢力を保った。後に上京して衛尉となるが、馬超の反乱に連座し処刑された。
タイトルとURLをコピーしました