三国志14

武将

【三国志14】陸遜の武将能力値紹介

陸遜(リクソン) 統率96 武力69 知力95 政治88 魅力91 呉の武将。元の名は陸議。「呉の四姓」陸家の出。陸抗の父。年少の又従兄弟・陸績に代わり一族を率いる。【演義】孫策の死後、孫権の幕下に招かれる。219年、へりくだった書状を送って関羽を油断させ、呂蒙の荊州攻略を支援した。夷陵の戦いでは、劉備の大軍に火攻めで勝利。石亭の戦いでも曹休を大破し、呉の大黒柱となる。【正史】早くに父を失い、陸康の下に身を寄せるが、陸康は孫策に討たれる。孫権の代に和解し、孫策の娘を妻とした。以後、異民族の討伐に活躍。244年、丞相となるが、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、憤死。
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【三国志14】楊昂の武将能力値紹介

楊昂(ヨウコウ) 統率67 武力72 知力38 政治34 魅力42 張魯の武将。【演義】曹操軍が漢中に攻め寄せた際、楊任と共に陽平関を守る。曹操軍先鋒の夏侯淵と張郃を夜襲で撃退した。さらに楊任と協力して、張衛の陣地を見聞している曹操に襲いかかるが、許褚に阻まれる。その後、楊任の制止を振り切って霧の中を出陣し、張郃に討たれた。【正史】渭水の戦いに敗れた後、隴西を攻めていた馬超を援助する。曹操が漢中に攻め寄せると、張衛と共に陽平関で防戦した。
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【三国志14】楊弘の武将能力値紹介

楊弘(ヨウコウ) 統率23 武力15 知力76 政治60 魅力48 袁術の幕僚。演義では楊大将。【演義】袁術が独立を宣言した孫策を討とうした時、先に劉備を討つよう進言。その際、呂布を味方に引き入れるため、食糧を送ることを献策する。しかし、袁術は呂布を手なずけようとせず、劉備に敗れた。その後、曹操が領内に侵攻すると、淮水を渡って逃げるよう袁術に勧め、自らも同行した。【正史】袁術が死ぬと、張勳らと共に孫策を頼る。しかし、その途上で劉勳に待ち伏せされ、捕虜となった。
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【三国志14】陸績の武将能力値紹介

陸績(リクセキ) 統率15 武力7 知力65 政治72 魅力43 呉の官僚。「呉の四姓」陸家の出。陸康の子。陸遜の又従兄弟。【演義】6歳で袁術と対面した時、懐に蜜柑を入れたのをとがめられると、「母上に差し上げようと思ったのです」と言って袁術に感心される。孫策の死後、孫権に登用された。赤壁の戦いの前、孫権と同盟を結ぶため呉を訪れた諸葛亮に論戦を挑むが敗れた。【正史】博学多識で天文、暦法、算術に通じ、「渾天図」を著す。正しいと思うことを遠慮せずに発言したため、孫権に煙たがられ、鬱林[ウツリン]太守に出向となった。
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【三国志14】羊祜の武将能力値紹介

羊祜(ヨウコ) 統率90 武力64 知力85 政治87 魅力91 晋の武将。姉は司馬師の妻。妻は夏侯覇の娘。【演義】呉の陸抗と対抗し、襄陽に駐屯。互いの才覚を認め合い、陸抗が病気になると薬を送った。陸抗が孫晧に晋への内通を疑われ左遷されると、呉を討つ好機と上表。しかし、賈充らに反対され、出兵は見送られる。間もなく病気になり、杜預を後任に推薦して死亡。領民はその死を嘆いて碑と廟を建て、後に「堕涙の碑」と呼ばれた。【正史】272年、晋に投降した歩闡を救うため西陵を救援したが、陸抗に阻まれた。呉討伐のため、王濬に軍船の建造を命令。船は杜預が呉を討伐した際に使用された。
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【三国志14】陸抗の武将能力値紹介

陸抗(リクコウ) 統率91 武力63 知力87 政治85 魅力87 呉の武将。陸遜の次男。孫策の外孫。【演義】孫休の代に鎮東大将軍、荊州牧となり、荊州戦線の軍事を一任される。孫晧から襄陽攻略の命を受け、晋の羊祜と対陣。互いの才覚を認め合い、羊祜に酒を贈って敬意を表した。その後、再度襄陽攻略の命を受けるが、晋を攻めることの不利を説いたため内通の疑いを買い、軍権を奪われ降格された。【正史】272年、西陵で謀反した歩闡を討伐した時、歩闡の救援に来た羊祜を撃退。大司馬、荊州牧となるが、程なく病死。演義に書かれている降格の事実はない。
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【三国志14】楊欣の武将能力値紹介

楊欣(ヨウキン) 統率60 武力68 知力61 政治58 魅力64 魏の金城太守。【演義】263年、鍾会と鄧艾による蜀討伐戦に参加。鄧艾の指揮下で姜維と戦い、甘松[カンショウ]の蜀軍陣地を焼き払った。【正史】晋代に涼州刺史となって、敦煌を統治していた令狐宏[レイココウ]を斬った。278年、涼州に攻め寄せた鮮卑の若羅拔能[ジャクラバツノウ]と戦い、敗死した。
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【三国志14】羊徽瑜の武将能力値紹介

羊徽瑜(ヨウキユ) 統率20 武力14 知力71 政治65 魅力74 司馬師の妻。父は羊琇、母は蔡邕の娘、弟に羊祜。【演義】記述なし。【正史】司馬師の3番目の妻。司馬炎が皇帝に即位すると、弘訓太后と号した。死後、景献皇后と諡され、司馬師の眠る峻平陵に合葬された。聡明で才知に溢れる女性だったという。
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【三国志14】楊戯の武将能力値紹介

楊戯(ヨウギ) 統率47 武力26 知力58 政治74 魅力50 蜀の幕僚。【演義】記述なし。【正史】若い頃から諸葛亮に注目され、20余歳で益州の書佐から督軍従事になって軍中の裁判を仕切り、その公正さを称賛されて丞相府の主簿となった。諸葛亮死後、蒋琬に請われて丞相府に入り、のち各地の太守や中央の要職を歴任。どの職においても清潔簡約で、煩瑣なことはなかった。しかし、姜維とは反りが合わず、酒席での態度が問題となって庶民に落とされた。なお、蜀の人物を讃える書物である「季漢輔臣賛」は楊戯の著作。
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【三国志14】楊儀の武将能力値紹介

楊儀(ヨウギ) 統率68 武力40 知力82 政治79 魅力19 蜀の幕僚。【演義】諸葛亮の北伐に参加。相次ぐ出兵による兵の消耗を懸念し、231年の北伐では、兵を二交代制にするよう進言した。諸葛亮が五丈原で陣没すると、丞相代理となって撤退を指揮し、諸葛亮の遺策に従って魏延を斬った。成都に帰還後、中軍師となるが、自分よりも経歴の短い蒋琬が諸葛亮の後継者となった不満を費禕にぶつける。劉禅に通報され、漢嘉郡に流された後、自害した。【正史】偏狭な性格で、劉巴、魏延と対立した。諸葛亮には才覚を買われたが、性格が災いし後継者から外された。
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