三国志14

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【三国志14】楼玄の武将能力値紹介

楼玄(ロウゲン) 統率23 武力21 知力67 政治77 魅力80 呉の官僚。楼拠の父。【演義】大司農。暴政を振るう孫晧をいさめるが、怒りを買って殺された。【正史】孫休の代に監農御史となり、孫晧の代には散騎中常侍、会稽太守、大司農を歴任する。しかし、歯に衣着せぬ物言いと名声の高さを孫晧に恨まれた。後に、賀邵[ガショウ]と共に孫晧の政治を非難したと密告され、息子の楼拠ともども交州に流される。張奕の下で反乱鎮圧などに活躍するが、孫晧から殺害命令が出ていることを知り、自害した。
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【三国志14】婁圭の武将能力値紹介

婁圭(ロウケイ) 統率52 武力13 知力83 政治67 魅力11 曹操の幕僚。【演義】夢梅居士[ムバイコジ]と号し、終南山で隠居していた。渭水の戦いで馬超軍の夜襲に悩む曹操に、寒気を利用して氷の城を作るよう教えた。【正史】若い頃、曹操と縁故があった。諸侯が董卓打倒の軍を起こした時、荊州の北境で兵を集め、劉表と同盟を結ぶ。その後、曹操に仕え、軍事、国家の大計には必ず参画。馬超の討伐では多大な功績を上げ、曹操に「子伯の立てる計略は、わしも及ばぬ」と評された。しかし、後に不遜な発言をしたため、曹操に処刑された。
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【三国志14】盧毓の武将能力値紹介

盧毓(ロイク) 統率30 武力23 知力71 政治79 魅力78 魏の幕僚。父は盧植、子に盧欽。【演義】記述なし。【正史】若くして父や兄を失うも、戦乱の中でよく兄嫁や甥を養い、その品行と学識を称えられた。曹丕が五官中郎将になった時に招聘され、崔琰の推挙で冀州の主簿に着任。曹丕即位後は各地の太守を歴任して治績を挙げた。曹叡の代には中央に入って人材登用を任され、人格、品行に優れた人物を推挙した。のち曹爽に冷遇されたが、司馬懿が政権を握ると復帰し、曹爽の裁判を担当した。
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【三国志14】冷苞の武将能力値紹介

冷苞(レイホウ) 統率71 武力82 知力67 政治38 魅力22 劉璋の武将。【演義】張魯を防ぐために招かれた劉備を警戒する。魏延が剣舞にかこつけて劉璋を斬ろうとした時、剣舞の相手になって阻止した。劉璋と劉備の仲が決裂すると、張任、劉璝、鄧賢と共に雒城[ラクジョウ]の守りにつく。緒戦で鄧賢と共に劉備軍に挑むが、魏延に捕らえられ、この時は降伏すると偽って雒城に戻った。次いで涪江[フコウ]を決壊させ水攻めにしようと企むが、計画実行前に再び魏延に捕らえられ、今度は斬られた。【正史】劉璝、張任、鄧賢と共に涪水関で劉備軍と戦った。
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【三国志14】令狐愚の武将能力値紹介

令狐愚(レイコグ) 統率24 武力38 知力66 政治50 魅力19 魏の幕僚。元の名は浚[シュン]。族父に令狐邵[レイコショウ]。従叔父に王淩。【演義】記述なし。【正史】曹丕の怒りを買って愚か者として投獄されたため、名を愚に改めた。しかし、その後は順調に出世を重ね、曹爽が政権を握った時には兗州刺史に任命された。のち曹爽が失脚して司馬懿が朝廷を掌握すると、従叔父の王淩を首謀者に、曹芳を廃して楚王・曹彪を擁立することを画策する。しかし、事が成る前に病死し、これを機に計画も露見。王淩ほか令狐氏は三族皆殺しとなった。
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【三国志14】倫直の武将能力値紹介

倫直(リンチョク) 統率46 武力42 知力72 政治64 魅力58 公孫淵の参軍。【演義】倫直の名で登場。237年、公孫淵が魏に対して反乱を起こそうとすると、「不吉な兆しがある」といさめる。しかし、公孫淵の怒りを買い、同じくいさめた賈範ともども斬られた。公孫淵が司馬懿に討伐された後、子孫に爵位が与えられた。【正史】正史「三国志」には記述がないが、「晋書」に名が登場する。公孫淵の将軍で、事績は演義と同様。
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【三国志14】呂玲綺の武将能力値紹介

呂玲綺(リョレイキ) 統率69 武力74 知力37 政治18 魅力52 架空の人物。呂布の娘で、父親譲りの武勇を誇る。【演義】記述なし。呂布には厳氏との間に娘がいた。呂布が李傕に敗れて長安を脱出した時、置き去りにされるが龐舒[ホウジョ]にかくまわれ、呂布の下に送り届けられる。その後、袁術の息子との政略結婚話が整うが、寿春に向かう途中で連れ戻された。呂布が下邳で曹操に包囲された時、再度、結婚話が浮上するも、曹操と劉備に阻止された。呂布の死後、家族は許昌に移された。【正史】記述なし。
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【三国志14】呂蒙の武将能力値紹介

呂蒙(リョモウ) 統率92 武力81 知力89 政治78 魅力84 呉の武将。【演義】孫策の死後、孫権に仕える。赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加した後、濡須口に出城を築くよう進言。合肥で呉軍が大敗した時、この出城が役に立つ。219年、陸遜の計略に従い、関羽を油断させて荊州を攻略。関羽を討つが、間もなく関羽の霊にたたられ、死んだ。【正史】孫策に取り立てられる。孫権に学問を勧められて高い学識を得、魯粛を「呉下の阿蒙にあらず」と驚かせた。215年、長沙、零陵、桂陽を攻略し、劉備に湘水以東の領有を認めさせる。関羽討伐後、間もなく病死した。
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【三国志14】呂布の武将能力値紹介

呂布(リョフ) 統率95 武力100 知力26 政治13 魅力36 三国志最強の武将。丁原、董卓の養子となる。【演義】董卓から赤兎馬を贈られ、丁原を斬って寝返る。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称され、無類の強さを誇った。その後、王允の連環の計にはまり、貂蝉を巡って董卓を殺すが、李傕らに都を奪われる。袁術、袁紹、張楊らを頼って各地を放浪し、曹操が東征中に空けていた兗州を強奪。曹操に追われると、今度は保護を受けた劉備から徐州を奪った。しかし、最期は曹操と劉備の連合軍に下邳で包囲され、配下の侯成らに裏切られて処刑された。【正史】董卓の侍女と密通し、王允の企みに参画した。
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【三国志14】呂範の武将能力値紹介

呂範(リョハン) 統率73 武力60 知力74 政治74 魅力68 呉の重臣。呂拠の父。【演義】元は袁術の配下。袁術に身を寄せた孫策に味方し、孫策の江東進出を支援した。赤壁の戦いの後、劉備と孫尚香の婚儀を手配し、劉備を討とうとする。しかし、劉備を気に入った呉国太にとがめられ、責任を賈華になすりつけた。関羽討伐では吉凶を占って、勝利を予言。222年、曹丕が呉に攻め寄せた時、曹休の軍を破った。【正史】戦乱を避けて寿春に移り、孫策に目通りして臣下となる。222年、洞口で曹休と戦った後、揚州牧に就任した。豪華な服飾を好んだ。
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