武将

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【三国志14】馬超の武将能力値紹介

馬超(バチョウ) 統率90 武力96 知力44 政治26 魅力82 馬騰の長男。馬休、馬鉄の兄。蜀の五虎将軍の1人。【演義】父弟が曹操に謀殺されると、馬騰の義兄弟だった韓遂と共に復讐戦を挑む。長安、潼関を連破し、渭水で曹操と対陣するが、曹操の参謀・賈詡の離間の計で韓遂と仲違いし大敗。冀城を奪って抵抗を続けるが、楊阜らの計略で駆逐され妻子を失う。その後、張魯の傘下で劉備軍と戦い張飛と激しく打ち合うが、李恢の説得に応じて劉備陣営に加わった。「錦馬超」の異名をとる。【正史】曹操の漢中征伐の動きを警戒して挙兵するが敗北。この反乱が原因で、馬騰、馬休、馬鉄らは処刑される。
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【三国志14】文欽の武将能力値紹介

文欽(ブンキン) 統率74 武力83 知力43 政治33 魅力20 魏の揚州刺史。文稷の子。文鴦、文虎の父。【演義】司馬師の曹芳廃立に怒り、毌丘倹と共に反乱を起こす。司馬師の陣を急襲しようとするが道に迷い、敗れて呉の孫峻を頼る。その際、司馬師の病状を知らせようと近づいた尹大目の意図を察せず、撃退してしまう。諸葛誕が反乱を起こすと、呉の一将として救援するが、籠城策を巡って諸葛誕と対立し、斬り殺された。【正史】魏にいた頃から、諸葛誕とは仲が悪かった。呉では孫峻に厚遇され、鎮北大将軍、幽州牧に任ぜられる。しかし、ここでも朱異らと不仲だった。
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【三国志14】馬忠の武将能力値紹介

馬忠(バチュウ) 統率78 武力72 知力68 政治78 魅力79 蜀の武将。別名、狐篤[コトク]。【演義】諸葛亮の南蛮征伐に参加。連戦し活躍するが、孟獲の妻・祝融夫人との戦いでは、張嶷と共に捕らえられた。その後、諸葛亮の北伐に参加する。【正史】劉備が夷陵で陸遜に敗れると、巴西太守・閻芝の命で救援に向かい、劉備から「黄権を失ったが、代わりに馬忠を得た」と賞された。その後、諸葛亮の出征中は、蒋琬、費禕らを補佐して政務を行う一方、羌族や南蛮など辺境の統治に手腕を発揮。思いやりがあり、太っ腹な人柄で、異民族にも敬愛された。鎮南将軍まで昇進。
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【三国志14】文鴦の武将能力値紹介

文鴦(ブンオウ) 統率78 武力91 知力63 政治32 魅力65 魏の武将。文欽の次男。文虎の兄。本名は文淑(文俶とも)。幼名が阿鴦で、文鴦は通称。身長8尺。鋼の鞭を使う。その活躍ぶりが趙雲に比較されるほどの猛将。【演義】文欽と共に毌丘倹の反乱に加わり、司馬師の陣を急襲。鄧艾に迎撃され、単騎で脱出して呉に逃亡した。諸葛誕が反乱を起こすと、文欽と共に呉の一軍を率いて救援に駆けつける。しかし、諸葛誕と仲違いした文欽が殺されたため、弟の文虎と共に魏軍に降伏した。【正史】晋代に涼州の異民族を鎮圧して名声を上げるが、司馬炎に嫌われ、罷免。反逆の罪を着せられ処刑された。
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【三国志14】馬忠の武将能力値紹介

馬忠(バチュウ) 統率67 武力79 知力60 政治35 魅力38 呉の潘璋の部下。【演義】219年、呉が荊州に進攻した際、関羽父子を捕らえた。その功績で、関羽の乗馬・赤兎馬を与えられるが、赤兎馬は何も食べなくなり、間もなく死ぬ。222年、関羽の復讐のため劉備が荊州に進軍すると、迎撃に赴く。緒戦で黄忠を撃退し、主将の潘璋を討った関興を追いつめるなど活躍するが、降将の糜芳と傅士仁に寝首をかかれ、関羽の霊前に供えられた。【正史】関羽父子の他、趙累も捕虜にする。その後の記述はない。
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【三国志14】傅彤の武将能力値紹介

傅彤(フトウ) 統率65 武力72 知力46 政治42 魅力63 蜀の武将。傅僉の父。【演義】関羽の仇討ちのために挙兵した劉備に従軍し、荊州へ進攻する。夷陵沿岸を警備中、夜襲を仕掛けてきた淳于丹を撃退。陸遜の火攻めによって蜀軍が総崩れになると、張苞と共に劉備を護衛。白帝城に逃げる劉備の後詰めとなるが、呉軍に包囲される。降伏を呼びかける丁奉に「漢の大将が呉の犬に降れるか」と叫び奮戦するが、力尽き戦死した。【正史】夷陵の戦いでは輔匡、趙融、廖化と共に別督(個々の軍団の指揮官)となった。
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【三国志14】傅巽の武将能力値紹介

傅巽(フソン) 統率14 武力10 知力69 政治71 魅力45 劉表の幕僚。後に曹操に仕える。傅嘏の伯父。【演義】劉表の死後、曹操が荊州を攻める動きを見せると、劉表の後を継いだ劉琮に降伏を進言。このことが曹操に評価され、登用された。【正史】容貌優れ、博学。龐統を「不完全な英雄」、裴潜を「清潔な品行で名を挙げる」、魏諷を「いずれ謀反を起こす」と評価し、的中させた。曹操の魏公就任、曹丕の皇帝即位に貢献。曹丕の代に侍中尚書となった。
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【三国志14】馬岱の武将能力値紹介

馬岱(バタイ) 統率78 武力85 知力59 政治54 魅力74 馬超の従兄弟。馬騰の兄の子。【演義】馬騰の上京に同行した際、曹操軍の襲撃を受けるが脱出。馬超に馬騰父子の死を伝える。馬超が曹操に復讐戦を挑むと従軍し、各地を転戦。最後は馬超と共に劉備の配下となる。その後は諸葛亮の南蛮遠征に加わり、忙牙長を1合で斬るなどして活躍。北伐の作戦を巡って魏延が諸葛亮に反抗するようになると、諸葛亮の意をくんで魏延の副将となり監視する。魏延が反乱すると、諸葛亮の遺計に従って魏延を斬り、魏延の爵位を受けた。【正史】魏延を斬る前、魏延の副将となる記述はない。
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【三国志14】傅僉の武将能力値紹介

傅僉(フセン) 統率73 武力85 知力72 政治42 魅力60 蜀の武将。傅彤の子。【演義】四角の鉄簡(鉄鞭に似た武器)を使う。蒋舒と共に姜維のお気に入りで、姜維の北伐に参加する。長城の戦いでは李鵬、王真を討ち取った。その後は陽平関を守る。263年、鍾会率いる蜀討伐軍を迎撃するが敗退。陽平関に帰陣するが、僚友の蒋舒はすでに降伏していた。乱戦の中、「死して蜀の鬼とならん」と叫び、自害。【正史】傅彤の戦死後に左中郎となり、のち関中都督となる。鍾会が攻め寄せると陽安関に籠城したが、同僚の蒋舒が開城して魏軍に降伏。傅僉は戦って討死した。
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【三国志14】馬謖の武将能力値紹介

馬謖(バショク) 統率64 武力67 知力87 政治68 魅力67 蜀の武将。馬良の弟。【演義】南蛮征伐で「南蛮人の心を攻めよ」と説き、諸葛亮の信任を得る。南蛮から帰還後、謀反の噂を流して司馬懿を失脚させ、北伐の準備を整えた。228年、街亭の守備に自ら志願するが、諸葛亮の命に背き、魏の張郃に完敗。この敗戦で、蜀軍の長安攻略は不可能となり、諸葛亮の命で処刑された(泣いて馬謖を斬る)。劉備は臨終の際、「馬謖を重用するな」と諸葛亮に遺言していた。【正史】街亭の守りは経験豊かな魏延か呉懿が適任とされていた。敗戦後、馬謖逃亡を是認した向朗は失脚した。
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