三国志13

武将

【三国志13】劉勳 の武将能力値紹介

劉勳(リュウクン) 統率47 武力63 知力35 政治16 袁術の武将。廬江太守。後に曹操に仕える。【演義】199年、孫策に攻められ、廬江を奪われた。【正史】孫策が陸康を破って廬江を平定した後、袁術から廬江太守に任ぜられる。袁術の敗死後、頼ってきた楊弘、張勳を攻撃して捕らえ、袁術の妻子を保護した。孫策に敗れて廬江を奪われた後は曹操に帰順。曹丕と酒を飲み交わすなど、曹操とのよしみをたのんで思い上がり、しばしば法を犯した。部下の過失を見逃すよう司馬芝に頼むが断られ、最後は自らの不法で処刑された。
武将

【三国志13】李堪 の武将能力値紹介

李堪(リカン) 統率58 武力69 知力33 政治37 韓遂の武将。【演義】曹操に討たれた馬騰の復讐のため、馬超と韓遂が挙兵すると、馬超らに協力。長安、潼関を攻め落とす。しかし、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が仲違いしたため、渭水の戦いで敗北。馬超を狙って于禁の放った矢が当たり、戦死した。【正史】後漢末、長安以西(関中)に割拠した軍閥。211年に曹操が張魯討伐に向かった時、馬超、韓遂らと共に反乱を起こすが、戦死した。
武将

【三国志13】楊秋 の武将能力値紹介

楊秋(ヨウシュウ) 統率67 武力64 知力60 政治63 韓遂の武将。【演義】馬騰の復讐のために挙兵した馬超と韓遂に従い、長安と潼関を連破する。渭水の戦いの最中、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が仲違いすると、韓遂の使者として曹操の陣を訪れ、降伏の意を伝える。戦後、侯選と共に列侯に封ぜられ、渭口の守りに就いた。【正史】後漢末、長安以西(関中)に割拠した軍閥。孔桂を使者として派遣し、曹操の機嫌をうかがっていた。渭水の戦いに敗れた後、安定に逃走。夏侯淵に包囲され、降伏する。曹丕の代に討寇将軍となり、重用された。
武将

【三国志13】李輔 の武将能力値紹介

李輔(リホ) 統率61 武力67 知力57 政治47 魏の武将。【演義】鍾会に従い蜀討伐に参加。先鋒として楽城を攻略した。【正史】孟達の部下。孟達は蜀から離反し、魏の将として上庸城を守っていたが、再び蜀に寝返る気配を見せる。これを受けて司馬懿率いる討伐軍が押し寄せると、李輔は司馬懿に通じて孟達を裏切り、上庸城を明け渡した。その後は、蜀討伐軍に加わっている。
武将

【三国志13】盧植 の武将能力値紹介

盧植(ロショク) 統率78 武力63 知力82 政治85 後漢の中郎将。劉備、公孫瓚の学問の師。盧毓の父。【演義】黄巾の乱が起こると、何進の命を受け、皇甫嵩、朱儁らと共に鎮圧に当たる。途中、劉備と再会するが、宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罷免された。宦官討伐のため、何進が董卓を招こうとすると、反対。上洛した董卓が少帝廃立を提言した時も反対を貫いた。【正史】鄭玄と同門の儒学者。「尚書章句」「礼記解詁[ライキカイコ]」などを著し、蔡邕と共に「後漢記」を増補した。黄巾の乱前は九江、廬江に赴任し、蛮族討伐で活躍。董卓と対立して免官された後、隠棲。
武将

【三国志13】廖立 の武将能力値紹介

廖立(リョウリツ) 統率32 武力15 知力76 政治78 蜀の官僚。【演義】自らの才能におごり、高い地位を与えぬ諸葛亮を中傷したため、庶民に落とされる。234年、諸葛亮が五丈原で陣没すると、召還の望みを絶たれ、嘆いた。【正史】劉備が南荊州を支配すると、召し出されて長沙太守となる。諸葛亮からは「龐統と並び、我が功業を補佐する者」と評された。215年、呂蒙に長沙、零陵、桂陽を奪われると、脱出して成都に戻り、巴郡太守に就任。劉備が漢中王になると侍中に任ぜられるが、劉禅の代には閑職に回され、朝政を批判。庶民に落とされた。
武将

【三国志13】劉表 の武将能力値紹介

劉表(リュウヒョウ) 統率48 武力31 知力72 政治81 荊州刺史。前漢の魯の恭王の子孫。劉琦、劉琮の父。蔡氏は後妻。陳翔、孔昱らと並び「江夏の八俊」の1人。【演義】孫堅が玉璽を持って反董卓連合を離脱すると、袁紹の要請を受けて攻撃する。これを恨んだ孫堅が攻め寄せると迎撃し、蒯良の策で孫堅を討った。201年、逃亡してきた劉備を迎え入れ、新野に駐屯させる。後に病に倒れ、長男の劉琦を後継者に指名。しかし、死後、蔡瑁らの企みで劉琮が後を継ぎ、曹操に降伏した。【正史】若い頃から儒者として有名で、党錮の禁では逃亡して難を逃れた。霊帝の死後、荊州刺史となる。
武将

【三国志13】劉虞 の武将能力値紹介

劉虞(リュウグ) 統率55 武力33 知力70 政治78 後漢の幽州牧。東海恭王・劉彊[リュウキョウ](後漢光武帝の子)の子孫。劉和の父。【演義】漁陽で反乱した張挙、張純を平定するため、幽州牧として赴任。劉備と共に乱を平定し、太尉となる。【正史】皇族の中で特に徳望が篤かった。幽州牧として赴任後、融和政策により東方異民族を統治し、民心を安定させる。董卓が献帝を擁立した後、袁紹と韓馥から皇帝に担ぎ上げられそうになるが、漢室への恭順を貫き、拒否した。異民族統治策での意見の違いから、次第に公孫瓚との仲が悪化。193年、公孫瓚と戦って敗れ、刑死した。
武将

【三国志13】李傕 の武将能力値紹介

李傕(リカク) 統率69 武力72 知力24 政治1 董卓の武将。【演義】董卓に従って洛陽に入り、郭汜と共に汜水関を守る。反董卓軍に敗れた後、孫堅に董卓の娘との縁談を持ちかけるが、断られた。董卓が王允らに討たれると、賈詡の献策を受け、郭汜、樊稠、張済らと共に長安を襲撃。王允を討って献帝を擁立し、車騎将軍、司隷校尉となって政権を握る。195年、郭汜と仲違いし、長安を荒廃させた。献帝が長安を脱出すると、郭汜と結託して献帝を追うが、曹操に敗北。段煨[ダンワイ]に討たれた。【正史】曹操に派遣された裴茂に敗れ、処刑された。
武将

【三国志13】楊脩 の武将能力値紹介

楊脩(ヨウシュウ) 統率25 武力4 知力83 政治79 後漢の太尉・楊彪の子。曹操の幕僚。【演義】禰衡に、優れた人物は孔融と楊脩だけと評される。劉璋配下の張松が曹操の怒りを買って殺されそうになると、命乞いをした。曹植の後見人となるが、曹操の歓心を買うよう模範解答集を作って曹植に入れ知恵し、曹操から憎まれる。劉備との漢中攻防戦で曹操がふと発した「鶏肋」という言葉を撤退命令と解釈し、勝手に撤退準備を始めたため、斬首された。【正史】曹操が漢中から撤退した後に処刑された。袁術の甥に当たるため、曹操に疎まれていたとも言われている。
タイトルとURLをコピーしました