三国志13

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【三国志13】楊任 の武将能力値紹介

楊任(ヨウジン) 統率70 武力78 知力56 政治40 張魯の武将。【演義】曹操軍が漢中に攻め寄せると、楊昂と共に陽平関で防戦。緒戦で曹操軍の先鋒・夏侯淵と張郃に夜襲を仕掛け、勝利する。曹操が巡察に出ると、楊昂と協力して襲いかかるが、許褚に撃退された。霧の中、楊昂の陣に迷い込んだ夏侯淵と打ち合うものの、背後を張郃に突かれ敗退。張魯の怒りを買い、再度出陣するが、またも夏侯淵と一騎討ちになる。30余合打ち合った後、偽って敗走した夏侯淵を深追いして返り討ちにあった。【正史】陽平関で曹操軍と戦い、斬られた。
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【三国志13】李豊 の武将能力値紹介

李豊(リホウ) 統率25 武力35 知力67 政治71 魏の官僚。李義の子。李翼の兄。李韜の父。【演義】中書令。254年、曹芳に召集され、夏侯玄、張緝と共に司馬師を討伐する策を練る。しかし、その帰途、曹芳の密詔を司馬師に発見され、一族皆殺しにされた。【正史】若い頃から清廉潔白さと優れた人物鑑定眼を評価され、その名声は呉にも届いた。政権を握った曹爽と司馬懿の間を巧みに渡り歩き、子の李韜が内親王と結婚したことで地位を得る。司馬懿が死ぬと、中書令となり、張緝、李翼、李韜らと共に夏侯玄を司馬師に取って代わらせようと画策。発覚して司馬師に殺された。
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【三国志13】呂拠 の武将能力値紹介

呂拠(リョキョ) 統率78 武力69 知力71 政治62 呉の重臣・呂範の次子。【演義】252年、孫権の死に乗じて呉に攻め入った司馬昭の軍を迎撃。唐咨、留賛と共に、諸葛恪の指揮に従い魏軍を破った。その後、実権を握った孫綝に殺された。【正史】兄が早くに死んだため、呂範の死後、後を継ぐ。孫峻が政権を握ると、驃騎将軍に昇進し、孫峻の合肥[ガッピ]攻めに同行した。256年にも魏を攻めるが、その途上で孫峻が病死。孫峻の従弟の孫綝が勝手に後を継いだことに激怒し、軍を率いて孫綝を廃そうとする。しかし、孫憲の軍に江都で阻まれ、自害。一族は皆殺しにされた。
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【三国志13】留平 の武将能力値紹介

留平(リュウヘイ) 統率70 武力71 知力68 政治57 呉の武将。留賛の子。留略の兄弟。【演義】暴政を振るう孫晧をいさめるが、怒りを買って殺された。【正史】264年、陸抗、歩協、盛曼らと共に巴東の羅憲を攻める。征西将軍、左将軍などを歴任。271年、孫晧が民衆に犠牲を強いて華里から西へ巡幸した際、万彧、丁奉らと共に「もしこのまま西に進むなら、我らだけでも帰還しよう」と相談する。後にこのことが発覚し、宴席で孫皓に毒を盛られた。この時は解毒薬で死を免れるものの、憤りと不安の余り1カ月後に死亡した。
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【三国志13】劉賢 の武将能力値紹介

劉賢(リュウケン) 統率54 武力66 知力51 政治40 零陵太守・劉度の子。【演義】赤壁の戦いの後、劉備軍が零陵に攻め込むと、邢道栄に迎撃させた。敗れた邢道栄が戻ってくると、今度は自らも出陣して劉備軍に夜襲を仕掛ける。しかし、諸葛亮に見破られ、張飛に捕らえられた。戦後、諸葛亮の説得を受けて降伏し、荊州で軍務に就いた。【正史】記述なし。
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【三国志13】陸凱 の武将能力値紹介

陸凱(リクガイ) 統率65 武力61 知力79 政治85 呉の幕僚。陸遜の甥。陸禕の父。【演義】左丞相。孫皓が武昌に遷都し、揚州の人民に武昌への物品献上を命じると、上奏していさめる。しかし、聞き入れられなかった。【正史】永興、諸曁[ショキ]の県長として功績を上げ、軍に転じてからは山越の不服従民の平定などで活躍。軍務にあっても書物を離さなかった。孫休即位後は征北将軍・豫州牧、孫皓即位後は鎮西将軍・荊州牧となる。266年、左丞相に就任。孫皓の暴政をたびたびいさめ、孫皓が寵愛した奸臣・何定を遠ざけるよう進言した。
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【三国志13】楊松 の武将能力値紹介

楊松(ヨウショウ) 統率17 武力5 知力28 政治34 張魯の幕僚。【演義】楊柏の兄。劉備と戦えば20州を譲り渡すと劉璋が提案してくると、張魯に承知するよう勧める。しかし、劉備の使者・孫乾から金銀財宝を受けると、劉璋の援軍に向かった馬超が裏切ったと通告し、馬超と張魯の仲を裂いた。曹操が漢中に攻め寄せ、龐徳が防戦した際も、曹操軍の賄賂を受け、龐徳の足を引っ張る。最後は張魯をだまして曹操軍の手に引き渡し、自身の安泰を図ったため、曹操に殺された。【正史】記述なし。
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【三国志13】李豊 の武将能力値紹介

李豊(リホウ) 統率55 武力48 知力67 政治72 蜀の武将。李厳の子。【演義】魏に降っていた孟達が蜀への内応を申し出た時、諸葛亮との連絡役を務めた。231年、父の李厳が食糧の補給をとどこおらせ、諸葛亮の遠征を失敗させた罪で罷免されると、父に代わって長史(丞相の属官)に任ぜられた。【正史】230年、李厳が曹真の軍勢を防ぐため漢中に出陣した時、父に代わって江州都督督軍の職を務める。李厳が罷免された時、諸葛亮から「蒋琬と協力して職務に従事すれば道が開ける」と励まされた。朱提太守まで昇進。
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【三国志13】呂凱 の武将能力値紹介

呂凱(リョガイ) 統率53 武力30 知力67 政治77 蜀の官僚。【演義】南蛮攻略のため、軍略図「平蛮指掌図」を作る。225年、孟獲が永昌郡に攻め入ると、太守の王伉を助けて籠城。諸葛亮が来援した際、「平蛮指掌図」を渡し、南蛮征伐の道案内となる。孟獲の降伏後、王伉と共に益州、越嶲[エッスイ]、牂牁[ソウカ]、永昌4郡を統治した。【正史】劉備の死後、孫権と通じて反乱を起こした雍闓から、味方するように再三要請されるが断る。諸葛亮が来援すると、忠義を称賛され、雲南太守に就任。その後、反乱を起こした異民族に殺された。
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【三国志13】劉馥 の武将能力値紹介

劉馥(リュウフク) 統率64 武力49 知力74 政治87 曹操の揚州刺史。【演義】揚州に学校を建て、屯田に成功するなど功績を上げた。赤壁の戦いを前に曹操が詠んだ「短歌行」の一節を不吉だと指摘して怒りを買い、殺された。【正史】袁術配下の戚寄[セキキ]と秦翊を説き伏せ、共に曹操に仕えた。曹操が袁紹一族との戦いに奔走している間、揚州刺史となり、梅乾、雷緒、陳蘭の横行に対処した。以後、学校建設、屯田、堤防や灌漑[カンガイ]の整備、合肥[ガッピ]の城壁強化など数々の功績を上げた。208年に死去。「短歌行」の逸話は演義の創作。
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