三国志13

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【三国志13】岳飛 の武将能力値紹介

岳飛(ガクヒ) 統率99 武力91 知力86 政治31 南宋の武将。武穆。岳王。農家に生まれながらも文武に励み、辺境防衛の義勇軍に参加。数々の軍功を上げて頭角を現し、次第にその地位を高めた。その後、南宋に侵攻する金と対峙し、中原回復を目指して度々戦果を上げている。名声を高める一方で、他の官僚や軍閥との協調を欠いて次第に孤立。金との和平を主張する秦檜[シンカイ]が宰相に就任すると、無実の罪を着せられた処断された。その背中には「尽忠報国」と刺青されていたという。のちに名誉を回復し、現在は救国の英雄として関羽と共に武廟に合祀されている。
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【三国志13】田単 の武将能力値紹介

田単(デンタン) 統率96 武力74 知力95 政治64 戦国時代の斉の将軍。斉の王族・田氏の遠縁にあたるが、斉の都・臨淄の市場の役人をしていた。燕の将軍・楽毅が斉に侵攻し、70余城を攻略。残すは斉王の逃亡先の莒と田単が居る即墨の2城のみとなる。楽毅を迎撃した即墨の大夫の敗死後、田単が将軍に立てられ、即墨城を守ることとなった。燕の昭王が死去し、恵王が即位すると、恵王と楽毅の仲が悪い事を知った田単は、謀略で楽毅を失脚させ、亡命に追い込むことに成功。その後、「火牛の計」で燕軍を破って70余城を奪還し、戦功により斉の襄王から安平君に封ぜられた。
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【三国志13】項籍 の武将能力値紹介

項籍(コウセキ) 統率98 武力100 知力69 政治20 中国史最強の武将。西楚の覇王。楚の名将・項燕の孫。若い頃より武芸、兵法を修め、陳勝・呉広の乱が起こると叔父の項梁に従い挙兵した。秦討伐戦では各地の秦軍を破って名を馳せ、項梁死後は楚軍の総帥となる。関中争奪では劉邦に遅れたが、実力で諸侯を黙らせ、秦を滅ぼして覇王となった。だが、その後は各地の反乱に悩まされる。後に劉邦との抗争が激化すると、戦えば必ず勝利したものの、次第に戦力を消耗。四面楚歌の中、垓下の戦いで漢軍に敗れる。鬼神の如き強さを見せて漢軍の包囲を抜くが、天命に挑み力を示した後、自害。
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【三国志13】馬忠 の武将能力値紹介

馬忠(バチュウ) 統率67 武力80 知力64 政治36 呉の潘璋の部下。【演義】219年、呉が荊州に進攻した際、関羽父子を捕らえた。その功績で、関羽の乗馬・赤兎馬を与えられるが、赤兎馬は何も食べなくなり、間もなく死ぬ。222年、関羽の復讐のため劉備が荊州に進軍すると、迎撃に赴く。緒戦で黄忠を撃退し、主将の潘璋を討った関興を追いつめるなど活躍するが、降将の糜芳と傅士仁に寝首をかかれ、関羽の霊前に供えられた。【正史】関羽父子の他、趙累も捕虜にする。その後の記述はない。
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【三国志13】張顗 の武将能力値紹介

張顗(チョウギ) 統率43 武力67 知力30 政治21 袁尚の武将。のち曹操の武将。【演義】袁紹死後に家督争いでは、馬延と共に袁譚を攻撃した。のち審配の守る城が曹操に攻められると、救援に向かったが大敗。曹操の捕虜となり、呂翔らの説得を受けて帰順、配下となった。その後、長坂の戦いで単騎の趙雲を包囲したが逃げられている。赤壁の敗戦で落ち延びようとする曹操とは合流を果たしたが、甘寧に討ち取られた。【正史】曹操の捕虜になって以降の記述はない。
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【三国志13】夏侯惇 の武将能力値紹介

夏侯惇(カコウトン) 統率89 武力91 知力62 政治72 曹操の重臣。前漢の夏侯嬰[カコウエイ]の末裔。【演義】曹操の挙兵以来、常に従軍。董卓追撃戦では、徐栄に敗れた曹操を救出し、徐栄を突き殺す。呂布との戦いでは、曹性の矢を左目に受けながらも曹性を討った。劉備が諸葛亮を登用すると新野に侵攻するが、諸葛亮の火攻めに遭って大敗。許都で耿紀と韋晃が曹操に反乱を起こした時は鎮圧に当たった。劉備軍との漢中攻防戦で、曹操が漏らした「鶏肋」という言葉の意を楊脩に尋ね、撤退を指揮。曹操が死ぬと後を追うように病死した。【正史】左目を失い盲夏侯と呼ばれる。曹丕の代に大将軍。
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【三国志13】荀惲 の武将能力値紹介

荀惲(ジュンウン) 統率43 武力41 知力68 政治69 曹操の幕僚。荀彧の子。【演義】父・荀彧が自害した際、その死を曹操に伝えた。【正史】荀彧の死後、後を継ぐ。曹操の三男である曹植と親しかったため、曹操の死後、曹丕から疎まれた。曹丕の妹を妻としていたため、粛清などは免れたとされる。
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【三国志13】王粛 の武将能力値紹介

王粛(オウシュク) 統率36 武力22 知力76 政治78 王朗の子。王元姫の父。魏の黄門侍郎。【演義】230年、蜀を攻めた曹真と司馬懿が長雨で苦戦すると撤退を奏上。毌丘倹の反乱時、反乱軍の家族を厚遇して士気を緩める策(呂蒙が関羽討伐で採用)を司馬師に献じる。司馬師の死後、司馬昭に封爵を与えるよう曹髦に進言。娘は司馬昭の妻となり、司馬炎、司馬攸を生む。【正史】18歳で宋忠から「太玄経」を学んだ。広平太守、侍中、太常などを歴任。鄭玄[ジョウゲン]の学説に反対して「尚書」「詩経」などに注釈を加え、「孔子家語[コウシケゴ]」を偽作した。
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【三国志13】蔡琰 の武将能力値紹介

蔡琰(サイエン) 統率61 武力11 知力77 政治80 女流詩人。学者・蔡邕の娘。もと衛道玠の妻。【演義】匈奴に連れ去られ、琴曲歌辞「胡笳十八拍[コカジュウハッパク]」で流転の境遇の悲しさを詠んだ。蔡邕と親交のあった曹操が河北に勢力を拡大し、千金で買い戻そうとすると、曹操の威勢を恐れた左賢王から送り返された。その後、曹操の仲立ちで董祀の妻となる。曹操が劉備との漢中攻防戦に出立する際、荘園に曹操の訪問を受け、2人で協力して蔡邕の遺文の謎解きをした。【正史】遺作では「悲憤詩」が現存する。「胡笳十八拍」は別人が蔡琰の境遇を悲しんで詠んだともいわれている。
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【三国志13】閻象 の武将能力値紹介

閻象(エンショウ) 統率30 武力27 知力71 政治74 袁術の幕僚。【演義】袁術が皇帝に即位しようとすると、天下の三分の二を領しながら、なお殷[イン]に臣従した周の文王の故事を出していさめた。しかし、袁術は「漢に代わる者は当塗高ならん(当塗は袁術の字である公路に通じる)」という予言を信じて、取り合わなかった。【正史】195年、献帝が李傕らに追われ、袁術が臣下に皇帝即位を謀ると、周の文王の故事を出していさめた。しかし197年、瑞兆が降ったとして袁術は皇帝を自称した。
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