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【三国志13】馬休 の武将能力値紹介

馬休(バキュウ) 統率68 武力73 知力48 政治45 馬騰の次男。馬超の弟。馬鉄の兄。【演義】孫権討伐の勅命を受けた馬騰に従い許昌に入った。しかし、馬騰と黄奎[コウケイ]による曹操討伐の密議が発覚し、曹操軍に包囲される。馬騰と共に勇戦するが、捕らえられ処刑された。その報せを受けた馬超は曹操に復讐戦を挑む。【正史】馬騰、馬鉄と共に上京し、鄴に住む。兄の馬超が曹操に反旗を翻したため、父弟ともども処刑された。
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【三国志13】張休 の武将能力値紹介

張休(チョウキュウ) 統率63 武力27 知力74 政治80 呉の重臣・張昭の末子。張承の弟。【演義】孫権が呉の初代皇帝に即位した時、皇太子・孫登の補佐役となる。【正史】諸葛恪、顧譚、陳表と共に孫登の学友となり、孫登に「漢書」を講義した。兄の張承は別の侯に封ぜられていたため、張昭の死後、その爵位を受け継いだ。孫登が若死にすると、中央に戻って侍中、揚武将軍に昇進。しかし、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、孫覇一味が流した悪評により交州への移住を命じられる。その後、対立していた孫弘の謀略により自害を命じられた。
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【三国志13】龐娥 の武将能力値紹介

龐娥(ホウガ) 統率52 武力72 知力54 政治30 酒泉の烈女。趙娥、龐娥親とも。【演義】記述なし。【正史】李寿に父を殺されると、三人の弟と共に復讐を計画。弟がいずれも疫病で倒れ、李寿がもう安全だと油断していることを聞き、一人でも復讐を遂げることを誓う。179年、白昼堂々と李寿を討ち取ると、その足で役所に自首。法に従い罰してほしいと訴えたが、聞き入れられずに釈放された。話を伝え聞いた涼州刺史・周洪、酒泉太守・劉班らは、いずれも龐娥に敬意を表し、その義挙を称えて石碑を建てさせたという。
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【三国志13】孫静 の武将能力値紹介

孫静(ソンセイ) 統率66 武力53 知力73 政治71 孫堅の末弟。孫策、孫権の叔父。孫瑜、孫皎の父。【演義】董卓討伐戦の後、敵対関係となった劉表を攻めようとする孫堅をいさめるが、聞き入れられなかった。孫堅の死後、孫策と共に江東に進出し、王朗を追討して会稽郡を守る。孫権が黄祖を討った際は、呉郡を守った。後に曾孫の孫峻、孫綝が呉の政権を欲しいままにした。【正史】王朗討伐に功があったため、孫策から重要な地位を与えられそうになるが、断って故郷の呉郡富春県の守備に就いた。孫権の代に昭義中郎将に任ぜられるが、後に官を退き、家で死亡した。
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【三国志13】穆順 の武将能力値紹介

穆順(ボクジュン) 統率52 武力77 知力11 政治21 張楊の武将。【演義】反董卓連合軍に張楊の配下として参加。虎牢関の戦いで、呂布の勇猛ぶりに連合軍の諸将が尻込みする中、槍を片手に単騎で迎え撃つ。しかし、呂布の方天画戟でひと突きにされた。【正史】記述なし。
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【三国志13】曹芳 の武将能力値紹介

曹芳(ソウホウ) 統率20 武力14 知力27 政治48 魏の明帝・曹叡の養子。任城王・曹楷の子とも言われるが出生は謎。斉王。魏の第3代皇帝。張皇后は張緝の娘。【演義】曹叡の死後、わずか8歳で即位。当初は曹爽に政権を掌握されるが、249年に司馬懿が曹爽を打倒した後は、司馬一族が政治を取り仕切った。254年、自らをないがしろにする司馬師を憎み、夏侯玄、李豊、張緝らに司馬一族打倒の密勅を与えるが、露見。夏侯玄らと張緝の娘に当たる張皇后は殺され、自らは斉王に格下げされた。【正史】退位して都を離れる際、司馬孚ら数十人の群臣が涙を流して見送った。
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【三国志13】馮習 の武将能力値紹介

馮習(フウシュウ) 統率72 武力71 知力39 政治41 蜀の武将。【演義】関羽の仇討ちのため荊州へ進攻した劉備の副将となる。宜都[ギト]では呉班、張南と共に夜襲をかけ、孫桓を撃退した。夏になり、兵士が暑さで苦しむと、木陰に陣を移すよう進言。そこへ陸遜の火攻めを受け、蜀軍は壊滅する。火の手が上がる中、呉班、張南らと奮戦するが、前後を呉軍に囲まれ、張南と共に戦死した。【正史】劉備の益州平定に従軍する。劉備の呉討伐で総指揮官となり、呉班と共に李異を撃破。しかし、陸遜に大敗し、潘璋の配下に斬られた。
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【三国志13】薛瑩 の武将能力値紹介

薛瑩(セツエイ) 統率49 武力18 知力64 政治74 呉の官僚・薛綜の子。薛珝の弟。【演義】光禄勲。晋の大軍が建業に迫ると、蜀の劉禅が魏に降伏したのにならって晋軍に降伏するよう、呉帝・孫晧に勧めた。【正史】孫休の代に散騎中常侍となるが一時、病気で辞職。孫晧の代に再び登用され、韋昭、華覈らと共に「呉書」の編纂に当たった。陸凱が臨終の際、孫晧に送った書状で、楼玄、賀邵[ガショウ]、張悌、滕脩、陸抗らと共に呉の根幹を担う臣と記されている。呉が晋に降伏した時は、降伏文書を起草。晋に仕え、散騎常侍まで昇進した。
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【三国志13】馬玩 の武将能力値紹介

馬玩(バガン) 統率71 武力74 知力16 政治23 韓遂の武将。【演義】曹操に暗殺された馬騰の復讐のために挙兵した馬超と韓遂の軍に参加。長安、潼関を陥落させるが、渭水の戦いで戦線が膠着。賈詡の離間の計で馬超と韓遂が不和になると、韓遂と共に曹操に投降するか協議する。しかし、その最中、馬超に斬り込まれ、真っ先に討ち取られた。【正史】後漢末、関中に割拠した軍閥の一角。211年、曹操が西征の動きを見せると、馬超、韓遂らと共に挙兵するが、敗れた。
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【三国志13】諸葛靚 の武将能力値紹介

諸葛靚(ショカツセイ) 統率58 武力63 知力66 政治65 魏の武将・諸葛誕の子。【演義】諸葛誕が反乱を起こすと、呉に援軍を求めるための人質として呉綱と共に孫綝の下に送られた。その後は呉に仕え、右将軍まで昇進。279年、晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩と共に迎撃に向かうが、あまりに劣勢のため降伏を主張。しかし、張悌に拒否された。【正史】孫皓が武昌に遷都した時、丁固と共に建業を守る。山賊の施但が来襲すると牛屯で撃破した。268年には丁奉と共に合肥[ガッピ]を攻める。呉滅亡後、幼少期に親しかった武帝・司馬炎から侍中に迎えられるが、固辞した。
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