武将

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【三国志13】楼玄 の武将能力値紹介

楼玄(ロウゲン) 統率23 武力22 知力67 政治77 呉の官僚。楼拠の父。【演義】大司農。暴政を振るう孫晧をいさめるが、怒りを買って殺された。【正史】孫休の代に監農御史となり、孫晧の代には散騎中常侍、会稽太守、大司農を歴任する。しかし、歯に衣着せぬ物言いと名声の高さを孫晧に恨まれた。後に、賀邵[ガショウ]と共に孫晧の政治を非難したと密告され、息子の楼拠ともども交州に流される。張奕の下で反乱鎮圧などに活躍するが、孫晧から殺害命令が出ていることを知り、自害した。
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【三国志13】梁緒 の武将能力値紹介

梁緒(リョウショ) 統率56 武力62 知力66 政治68 天水の武将。魏に仕えた後、蜀に降る。【演義】姜維の友人。諸葛亮が天水を攻めた時、蜀に降っていた姜維と連絡を取った。同僚の尹賞と謀り、城門を開いて蜀軍を迎え入れた功績で、天水太守に任ぜられた。【正史】諸葛亮が天水を攻めた時、姜維、梁虔、尹賞と共に太守の馬遵から異心ありと疑われた。馬遵が逃走する際に置き去りにされ、4人で諸葛亮に降伏。大鴻臚まで昇進したが、蜀の滅亡前に死んだ。
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【三国志13】劉巴 の武将能力値紹介

劉巴(リュウハ) 統率29 武力22 知力75 政治81 劉璋の幕僚。後に劉備に仕える。【演義】劉璋が劉備を招いて張魯を防ごうとした時、反対した。劉璋が劉備に降伏すると、黄権と共に仕官を拒む。しかし、劉備自らの来訪を受けて感銘し、出仕。諸葛亮の第1次北伐では、中参軍として参加した。【正史】若い頃から名声を得、劉表から招かれたが拒否した。曹操が荊州を支配すると出仕し、長沙、零陵、桂陽を帰順させる。劉備が三郡を支配すると、交趾[コウシ]に亡命し、後に蜀に移住。劉備が蜀を平定すると、先に亡命したことを謝罪し、尚書令として重用された。
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【三国志13】劉焉 の武将能力値紹介

劉焉(リュウエン) 統率53 武力38 知力80 政治81 後漢の群雄。前漢の魯の恭王の子孫。劉璋の父。【演義】黄巾の乱が起きた時は幽州太守。黄巾討伐の義勇兵を募集し、応募してきた劉備に龔景の救援を命じた。【正史】皇族の末裔であるため、若くして中郎となり、冀州刺史、南陽太守などを歴任。188年、各地で相次ぐ反乱を鎮圧するため、刺史よりも権限の強い「牧」の創設を建議。可決されると自らは益州牧に就任した。以後、張魯を漢中に置いて中央との連絡を遮断させ、益州で独立体制を築き、群雄割拠の先駆けとなる。幽州の太守になったことはなく、劉備と共闘したという記述もない。
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【三国志13】羅憲 の武将能力値紹介

羅憲(ラケン) 統率84 武力70 知力77 政治72 蜀の武将。後に魏晋に仕える。羅蒙の子。羅襲の父。【演義】記述なし。【正史】劉禅が劉璿を太子に立てると、太子舎人に就任。政権を握った黄皓に同調しなかったため、巴東太守に左遷され、都督・閻宇の副将となる。263年、魏軍が蜀領内に侵入し、閻宇が中央に召還されると、閻宇の兵を指揮し永安を守る。蜀降伏後、呉の陸抗、歩協、留平、盛曼が攻め寄せると、半年以上籠城し、晋の胡烈が救援に来るまで永安を守り抜いた。その功で旧職のまま魏に仕える。晋代に冠軍将軍となり、呉の巫城を攻略した。
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【三国志13】楊昂 の武将能力値紹介

楊昂(ヨウコウ) 統率68 武力72 知力38 政治35 張魯の武将。【演義】曹操軍が漢中に攻め寄せた際、楊任と共に陽平関を守る。曹操軍先鋒の夏侯淵と張郃を夜襲で撃退した。さらに楊任と協力して、張衛の陣地を見聞している曹操に襲いかかるが、許褚に阻まれる。その後、楊任の制止を振り切って霧の中を出陣し、張郃に討たれた。【正史】渭水の戦いに敗れた後、隴西[ロウセイ]を攻めていた馬超を援助する。曹操が漢中に攻め寄せると、張衛と共に陽平関で防戦した。
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