三国志14

武将

【三国志14】許定の武将能力値紹介

許定(キョテイ) 統率43 武力60 知力22 政治13 魅力38 魏の武将。許褚の兄。【演義】記述なし。【正史】許褚が若者を従えて黄巾の残党を討伐していた時、これに協力した。のち許褚と共に曹操に仕え、軍功によって振威将軍となり、王道巡回の虎賁を指揮した。
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【三国志14】韓当の武将能力値紹介

韓当(カントウ) 統率76 武力85 知力59 政治51 魅力68 孫堅、孫策、孫権の三代に仕える。大刀の使い手。【演義】孫堅に従い、董卓討伐戦に参加。孫堅の死後は孫策に仕え、江東進出戦では厳輿と戦った。孫権の代となり曹操が江東に攻め寄せると、抗戦を主張。周瑜の指揮の下、赤壁、南郡で曹操軍と戦った。劉備と孫権の仲が悪化すると、呂蒙に従って荊州を攻略し関羽を破る。その後、関羽の復讐戦を挑んできた劉備を迎撃する際、指揮官の陸遜に反目するが、陸遜の計を知ると感服した。【正史】弓術、馬術に優れ、将兵の心をよくつかんだ。韓当の死後、子の韓綜は魏に降り、諸葛恪に討たれた。
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【三国志14】許褚の武将能力値紹介

許褚(キョチョ) 統率66 武力96 知力36 政治20 魅力56 曹操の武将。その武勇から「虎痴」の異名有り。【演義】黄巾賊の残党を討伐中にその武勇が曹操の目にとまり、曹操軍に加えられる。新野の劉備を攻めた際は先鋒となり、赤壁の戦いでは敗走する曹操を護衛した。潼関の戦いでも馬超軍に追いつめられた曹操を命懸けで守り抜き、馬超と互角の一騎討ちを演じて「さすがは虎痴」と言わしめた。その後も濡須、漢中など曹操や曹丕が出陣する際に護衛として従軍した。【正史】慎み深い人柄で法律を遵守し、素朴で言葉少なだった。明帝の即位後に死亡した。
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【三国志14】関統の武将能力値紹介

関統(カントウ) 統率63 武力60 知力61 政治62 魅力72 関羽の孫。関興の子。【演義】記述なし。【正史】関興の後を継ぎ、公主(内親王)を娶って、官位は虎賁中郎将まで登った。死後、子がなかったので、関興の庶子・関彝が後を継いだ。
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【三国志14】許靖の武将能力値紹介

許靖(キョセイ) 統率3 武力5 知力67 政治79 魅力68 劉璋配下の蜀郡太守。後に蜀の司徒。【演義】劉備が劉璋に降伏を勧告した際、城壁を乗り越えていち早く劉備に降伏した。劉備が益州牧になった後、太傅となる。後漢の滅亡後、諸葛亮、譙周らと劉備が即位するように図り、蜀建国後は司徒となった。【正史】許劭の従兄。共に人物批評の大家として知られるが仲は悪かった。後漢の尚書令として官吏選抜を担当し、董卓政権下で韓馥、劉岱、張咨、孔伷、張邈らを抜擢。韓馥らが董卓打倒の兵を挙げると、孔伷、陳禕、許貢、王朗らに身を寄せ、後に劉璋に請われて蜀に入った。
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【三国志14】韓忠の武将能力値紹介

韓忠(カンチュウ) 統率64 武力67 知力18 政治12 魅力18 公孫康の幕僚。【演義】記述なし。【正史】公孫康の命を受け、烏桓の峭王[ショウオウ]・蘇僕延に単于の印綬を授与する使者となった。しかし、峭王との会見の場で、曹操の命で峭王の調略に来ていた牽招と衝突。韓忠は曹操を批判して峭王を説得しようとしたが、怒った牽招に殺されそうになり、結局、峭王は曹操に従った。
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【三国志14】許慈の武将能力値紹介

許慈(キョジ) 統率5 武力4 知力62 政治70 魅力45 蜀の学士。劉熙の門下。【演義】劉備が皇帝に即位する際、諸葛亮に命じられて孟光と共に武典の準備を取り仕切った。【正史】劉煕に師事して鄭玄[ジョウゲン]の学問を修め、「易」「尚書」「三礼」「毛詩[モウシ]」「論語」を学んだ。許靖らとともに交州から益州に入った。劉備の益州平定後、胡潜とともに学士に任命され、また孟光、来敏らと共に古典の諸制度を整理した。のち劉禅の代に大長秋まで昇進した。
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【三国志14】韓忠の武将能力値紹介

韓忠(カンチュウ) 統率64 武力67 知力18 政治12 魅力18 黄巾の武将。【演義】張角の死後、趙弘、孫仲らと共に数万の軍を率い、宛城を占拠。朱儁、劉備らに攻められ、乱戦の中、矢に当たって死んだ。【正史】南陽黄巾の張曼成が秦頡[シンキツ]に、趙弘が朱儁に討たれた後も、残兵を率いて宛城で抵抗を続けた。一度は降伏を申し出るが朱儁に拒否され、出陣したところを捕らえられる。最後は秦頡に斬られた。
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【三国志14】邯鄲淳の武将能力値紹介

邯鄲淳(カンタンジュン) 統率5 武力3 知力66 政治52 魅力64 後漢の儒学者、書家。別名に竺。【演義】曹操が蔡琰を訪問した際、「曹娥[ソウガ]の碑文」の作者として名が挙がっている。【正史】博識で文章に通じていた。乱を避けて荊州に逃れていたが、曹操が荊州を占領した際に招聘される。曹操から敬意を払われ、曹丕と曹植から幕下に加わるよう招かれる。曹操の命で曹植に付くと、曹植と終日論じ合い、曹植は邯鄲淳の才に感嘆した。曹丕の即位後、博士給事中に任ぜられた。著書に「投壷賦」、また書家として「説文解字[セツモンカイジ]」などに精通していた。
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【三国志14】許汜の武将能力値紹介

許汜(キョシ) 統率18 武力23 知力54 政治66 魅力30 呂布の武将。【演義】下邳城が曹操に包囲されると、呂布の娘と袁術の息子との縁談を持ちかけ、袁術に救援を求めるよう提案する。王楷と共に袁術の元へ救援要請に赴くが失敗した。【正史】呂布の死後、劉表の食客となる。劉備らと天下の士について議論をした際、陳登を「自分は寝台で休み、客人を床に寝かせる傲慢な者」と批判するが、劉備に「あなたは天下が乱れているときに邸宅を求めて役に立つ進言もしない。私ならば百尺の高さの櫓で休み、あなたを地べたに寝かせただろう」と返された。
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