三国志14

武将

【三国志14】徐氏の武将能力値紹介

徐氏(ジョシ) 統率48 武力16 知力75 政治52 魅力70 孫権の弟・孫翊の妻。才色兼備で卜占に通じる。【演義】孫翊が県の役人を集めて宴会を開こうとした時、卜占で大凶と出たため中止を勧める。しかし、孫翊は予定通り酒宴を開き、嬀覧、戴員、辺洪らに暗殺された。その後、嬀覧に再婚を強要され、その場は承知したふりをして、孫翊の腹心だった孫高と傅嬰に仇討ちを相談。孫翊の喪が明けた後、嬀覧、戴員を招き寄せて孫高らに討たせた。このことで江東の人々から称賛され、後に孫権の館に引き取られ、余生を過ごした。【正史】嬀覧と戴員は、孫権が殺害した盛憲の部下だった。
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【三国志14】徐琨の武将能力値紹介

徐琨(ジョコン) 統率66 武力68 知力53 政治55 魅力48 孫堅の外甥。父は徐真、母は孫堅の妹。娘は後に孫権の妻の一人となる。【演義】記述なし。【正史】孫堅の挙兵に従軍し、功により偏将軍となった。孫堅死後は孫策に従い、母から授かった策を進言して劉繇軍を撃破した。江東平定後、孫策から丹陽太守に任命されたが、袁術軍から呉景が戻ってくると、呉景が丹陽太守となり、自身は督軍中郎将に転じた。のち孫権の黄祖討伐の際、流れ矢に当たって戦死した。
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【三国志14】徐晃の武将能力値紹介

徐晃(ジョコウ) 統率88 武力90 知力74 政治48 魅力73 魏の武将。大斧の使い手。【演義】楊奉の配下だったが、満寵に説得されて曹操に仕える。呂布討伐戦では陳宮を捕らえた。官渡の戦いでは顔良、文醜に敗れるが、烏巣を急襲して勝利に貢献した。その後も赤壁、渭水、漢中などで転戦し、関羽が樊城を包囲した際は迎撃して進行を食い止めた。その後、諸葛亮の北伐に呼応して孟達が反乱すると、司馬懿と共に鎮圧に向かうが、孟達の矢を受け死亡した。【正史】関羽迎撃後、一糸乱れぬ兵の統率ぶりを見た曹操から前漢の名将・周亜夫の風あり、と称えられた。
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【三国志14】徐璆の武将能力値紹介

徐璆(ジョキュウ) 統率68 武力48 知力62 政治76 魅力56 後漢の臣。徐淑の子。【演義】袁術が死んだ際、袁胤が棺と妻子を守って廬江に落ち延びようとしたところを殺害し、玉璽を奪って曹操に献上した。【正史】荊州刺史に任ぜられ、黄巾の乱では朱儁と共に戦った。董太后の甥である張忠に恨まれて一時罷免されたが、復帰して汝南太守、東海相を歴任、各地で治績を挙げた。献帝が許昌に遷った時、中央に召されたが、袁術に抑留される。袁術死後に玉璽を得ると、許昌に入って献帝に献上した。
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【三国志14】諸葛亮の武将能力値紹介

諸葛亮(ショカツリョウ) 統率93 武力38 知力100 政治96 魅力93 諸葛珪の子。諸葛瑾の弟。諸葛均の兄。諸葛瞻の父。【演義】幼い頃、叔父の諸葛玄の庇護を受けて育ち、後に司馬徽の門に入って「伏龍」と呼ばれる。劉備に三顧の礼で招かれると、孫権軍を動かし、赤壁の戦いで曹操軍を破った。自らの天下三分の計に従い、劉備に荊州南部と益州を制覇させて蜀を建国させる。劉備が帝位に即くと丞相となり、劉備の臨終の際は劉禅の後見を託された。劉備の死後、呉との国交を回復し南蛮を平定。北伐を繰り返して魏討伐に執念を燃やすが、五丈原で病没する。【正史】神算鬼謀の軍略家よりも政治家として描かれる。
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【三国志14】諸葛融の武将能力値紹介

諸葛融(ショカツユウ) 統率59 武力52 知力55 政治63 魅力69 呉の官僚。諸葛瑾の子。諸葛恪、諸葛喬の弟。諸葛亮の甥。【演義】記述なし。【正史】父の死後、その軍と爵位を引き継いで公安に駐屯した。寛容で大らかな性格であり、何でも楽しく遊ぶことに長けていたため、兵士や役人によくなつかれたという。兄が孫峻に暗殺され、自身も軍に包囲されると、毒を仰いで自殺した。
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【三国志14】諸葛誕の武将能力値紹介

諸葛誕(ショカツタン) 統率78 武力71 知力73 政治75 魅力82 前漢の名臣・諸葛豊の子孫。呉の諸葛瑾、蜀の諸葛亮の従弟だが魏に仕える。諸葛靚の父。【演義】反乱を起こした毌丘倹を司馬師が討伐した際、従軍して活躍した。司馬昭が実権を握ると対立し、呉の孫綝の助力を受けて挙兵。緒戦で楽綝を討ち取る。しかし、司馬昭に寿春城を包囲され、迎撃策に異を唱えた文欽を斬ったことで孤立。寿春への突入を許し、胡奮に斬られた。直属の兵士数百人は全員、降伏せずに殉死した。【正史】夏侯玄、鄧颺らと親交があり、「四聡八達」と自称。才人気取りを曹叡に嫌われ、重用されなかった。
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【三国志14】荀粲の武将能力値紹介

荀粲(ジュンサン) 統率16 武力14 知力68 政治55 魅力50 荀彧の末子。兄に荀惲、荀顗。【演義】記述なし。【正史】兄たちが儒学を重んじたのに対し、ひとり道家の説を好む。傅嘏らと老荘の思想を大いに語り合い、その主張は後の「玄学」や「清談」に影響を与えた。女は容姿だと主張して、美貌に優れた曹洪の娘を妻とした。妻が病死した翌年、悲しみのあまり後を追うように病死した。
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【三国志14】諸葛瞻の武将能力値紹介

諸葛瞻(ショカツセン) 統率69 武力57 知力72 政治68 魅力69 蜀の丞相・諸葛亮の長子。母は黄氏(月英)。諸葛尚の父。劉禅の娘を妻に迎え、父の爵位を受け継ぐ。【演義】261年、行軍護衛将軍に任ぜられるが、黄皓が政権を握っていたため、病と称して屋敷に籠もる。263年、蜀に侵攻した鄧艾を綿竹関で迎撃。緒戦は子の諸葛尚と共に諸葛亮の木像を掲げて撃退に成功する。鄧艾の降伏勧告を拒否し尚も戦おうとするが、要請していた呉の援軍を待ちきれずに再度出陣し、負傷して自害した。【正史】蜀を守ることはできなかったが、蜀を裏切らず亡父の志に従った忠孝を称えられた。書画に巧みだった。
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【三国志14】荀勗の武将能力値紹介

荀勗(ジュンキョク) 統率8 武力16 知力77 政治72 魅力45 魏の従事中郎。【演義】蜀の姜維が沓中[トウチュウ]で屯田した際、姜維暗殺を主張する賈充に反対し、蜀の宮中腐敗を理由に軍事攻撃を主張。鄧艾を主将、鍾会を副将に蜀討伐軍を起こすように進言し、司馬昭に採択された。その後、晋に仕え、羊祜が呉討伐作戦を上奏した際、賈充、馮紞[フウタン]と共に司馬炎をいさめ、作戦を中止させた。【正史】晋では侍中、尚書令を歴任し、賈充らと晋律を制定した。また、張華と共に古書を整理し、経、子、史、集の四類に分類した。
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