三国志14

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【三国志14】孫晧の武将能力値紹介

孫晧(ソンコウ) 統率13 武力28 知力31 政治6 魅力4 孫和の子。孫権の孫。呉の第4代皇帝。幼名は彭祖。【演義】264年、第3代皇帝・孫休が死ぬと、万彧、張布から推挙されて皇帝に即位。宦官の岑昏を重用し、徐々に暴政を敷くようになる。相次ぐ年号の改元、土木工事の乱発などで国民、兵士の恨みを買い、これをいさめた濮陽興、張布、万彧、留平、楼玄ら重臣を次々と処刑。晋への侵攻を企て、反対した陸抗を降格させた。279年、晋が呉討伐軍を起こし、翌年、建業まで攻め寄せられると降伏。呉は滅び、三国時代は幕を閉じた。【正史】即位当初は仁政を敷き、名君と称えられた。
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【三国志14】孫権の武将能力値紹介

孫権(ソンケン) 統率76 武力67 知力80 政治89 魅力95 孫堅の次男。母は正妻の呉氏。孫策の弟。呉の大皇帝。【演義】若くして孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後は蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。【正史】若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。
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【三国志14】孫乾の武将能力値紹介

孫乾(ソンケン) 統率34 武力33 知力78 政治84 魅力87 劉備の幕僚。【演義】陶謙の臨終の際、劉備の補佐役として推薦された。劉備が徐州で曹操から独立した時、袁紹に援軍を求める使者となる。しかし、その間に劉備軍が曹操に敗れて瓦解したため、汝南に逃れて劉備一党が再び結集するよう画策。汝南で再起した劉備軍が再び曹操に敗れると、劉表と交渉して庇護を取り付けた。その後も劉備と孫尚香の婚礼で媒酌人を務めるなど、外交面で活躍。劉備の入蜀後、諸将と共に恩賞を受けた。【正史】益州平定後、糜竺に次ぐ厚遇を得、間もなく病死。
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【三国志14】孫堅の武将能力値紹介

孫堅(ソンケン) 統率94 武力90 知力77 政治72 魅力90 後漢の長沙太守。孫策、孫権の父。呉の武烈皇帝。【演義】賊討伐で武功を立て、黄巾賊討伐でも活躍。「江東の虎」と呼ばれる。曹操が発した董卓討伐の号令に応じ、先陣を切って華雄と戦うが、袁術が兵糧を送らなかったため敗北。洛陽で手に入れた玉璽を巡って袁紹と対立し、袁紹派の劉表に襲撃される。その後、袁術と結び劉表と戦うが、蒯良の策にはまり矢岩を受けて戦死した。【正史】反董卓連合諸侯が董卓を恐れて戦わない中、孤軍で勇戦し実績を上げた。陽人の戦いで華雄を討ち、董卓に焼かれた洛陽を復興するなど漢朝に尽くした。
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【三国志14】孫歆の武将能力値紹介

孫歆(ソンキン) 統率66 武力69 知力35 政治38 魅力35 呉の武将。孫賁の孫。孫鄰[ソンリン]の子。孫述、孫震の弟。【演義】驃騎将軍。晋が呉討伐戦を起こすと、迎撃に当たる。夏口で杜預軍と交戦し、夜の間に長江を渡った周旨に斬り殺された。【正史】楽郷の督になったとあるのみ。
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【三国志14】孫匡の武将能力値紹介

孫匡(ソンキョウ) 統率52 武力46 知力44 政治64 魅力56 孫堅の四男。母は正妻の呉氏。孫策、権、翊の弟。孫朗、孫尚香の兄。孫泰の父。孫秀の祖父。【演義】孫堅が戦死すると、一族と共に曲阿に移住した。兄の孫策が江東に進出した後、孫策とよしみを結ぼうとした曹操の画策で、曹仁の娘を妻とした。孫策の臨終の間際、孫権が後継者に指名されると、兄弟で助け合うように遺訓された。【正史】孝廉に推挙されるが、官に就く前に20歳余りで死亡した。曹操の弟の娘を妻とする。
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【三国志14】孫休の武将能力値紹介

孫休(ソンキュウ) 統率57 武力39 知力78 政治75 魅力83 孫権の六男。孫登、孫和、孫覇の弟。孫亮の兄。呉の第3代皇帝・景帝。【演義】258年、孫亮を廃した孫綝に迎えられ、皇帝に即位。反逆を企てた孫綝を丁奉らに討たせた。魏の攻撃を受けた蜀の諸葛瞻から援軍を要請され、丁奉らを派遣するが間に合わなかった。蜀が滅び、魏も晋に滅ぼされると心痛から発病し、丞相の濮陽興に皇太子を託して死亡。しかし、万彧らの画策で孫和の子・孫晧が次帝となった。【正史】教育、農業を振興し、租税を軽減するが、晩年は濮陽興、張布に政治を任せ、古典研究に没頭した。
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【三国志14】孫冀の武将能力値紹介

孫冀(ソンキ) 統率60 武力66 知力51 政治60 魅力66 呉の武将。【演義】左将軍。晋を攻めようとする孫晧をいさめた陸抗が兵権を奪われると、代わって軍の統率を任された。【正史】記述なし。陸抗は病死するまで兵権を奪われたことはなく、演義にあるような交代劇は記述されていない。
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【三国志14】孫奐の武将能力値紹介

孫奐(ソンカン) 統率70 武力63 知力55 政治61 魅力62 孫静の四男。孫瑜、孫皎の弟。孫権の従弟。子に孫承、孫壱、孫封。娘2人は、それぞれ滕胤と呂拠に嫁いだ。【演義】記述なし。【正史】兄・孫皎の死後、その軍勢を引き継ぎ、揚武中郎将と江夏太守を兼任する。不器用な性格だったが、よく孫皎の旧臣を礼遇し、滞りなく職務を全うした。孫権は孫奐を鈍い人物と思っていたが、石陽を攻めた時の活躍を見て評価を改め、揚威将軍、沙羨[サイ]侯に封じた。
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【三国志14】孫観の武将能力値紹介

孫観(ソンカン) 統率71 武力75 知力51 政治39 魅力56 呂布と結ぶ泰山の山賊。後に曹操に仕える。【演義】曹操が呂布を攻めた際、呂布軍の陳宮、臧覇と結託。山賊仲間の呉敦、尹礼らと共に蕭関[ショウカン]を守るが、曹操軍に破られた。呂布が下邳で敗死した後、臧覇に説得され、呉敦や尹礼と共に曹操に仕えた。【正史】臧覇と共に兵を起こし、黄巾賊討伐戦に参加した。曹操に仕えた後は臧覇と共に戦い、常に先陣を担当して青、徐州の賊を平定。偏将軍、青州刺史となった。後に曹操に従って孫権と戦い、流れ矢を受けながらも戦い続けた。勇敢さを曹操に称賛されたが、その傷が元で死亡した。
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