三国志14

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【三国志14】雍闓の武将能力値紹介

雍闓(ヨウガイ) 統率76 武力75 知力60 政治56 魅力62 益州郡の豪族。蜀に反旗を翻す。【演義】蜀の建寧太守。225年、孟獲と組んで、蜀に反乱を起こした。牂牁[ソウカ]太守の朱褒、越嶲[エッスイ]太守の高定は反乱に応じたが、永昌郡の王伉が応じなかったため攻撃。そこに来援した諸葛亮率いる南征軍と戦い、離間の計にかかった高定配下の鄂煥に討たれた。【正史】223年、劉備が死ぬと、蜀の益州郡太守・正昂を殺し、後任の張裔を捕らえて呉に送った。孫権から永昌太守に任ぜられたが、蜀の南征軍と戦う前に、高定の配下に殺された。
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【三国志14】楊懐の武将能力値紹介

楊懐(ヨウカイ) 統率64 武力68 知力68 政治63 魅力55 劉璋の武将。白水の都督。【演義】張魯の侵攻を食い止めるため、劉備が益州に入った時、高沛と共に涪水関[フスイカン](白水関)の守りに就く。劉備から荊州防衛のため帰還すると伝えられると、高沛と共謀して劉備の暗殺を企み、見送りに出る。しかし、龐統に察知され、劉封と関平に処刑された。【正史】龐統からは劉璋軍の名将と評されている。劉備を支援しようとした張松が殺された後、劉璋から、劉備と関わりを持たないように通達される。これが劉備の怒りに触れ、呼び出されて斬られた。
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【三国志14】兪渉の武将能力値紹介

兪渉(ユショウ) 統率62 武力79 知力24 政治23 魅力30 袁術の武将。【演義】反董卓連合軍の一員として、董卓軍の華雄が守る汜水関を攻める。華雄が騎兵を率いて攻め寄せると、反董卓連合の盟主・袁紹の呼びかけに応じて出陣。しかし、3合もせずに華雄に討ち取られた。【正史】記述なし。
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【三国志14】尤突の武将能力値紹介

尤突(ユウトツ) 統率62 武力68 知力39 政治37 魅力33 山越族の頭目。【演義】記述なし。【正史】鄱陽郡を根拠とする不服従民の首領で、曹操に印綬を与えられて内応し、山越を扇動して孫権に反乱を起こした。しかし、孫権の命で派遣されてきた陸遜と賀斉に敗れて殺され、反乱は鎮圧された。
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【三国志14】游楚の武将能力値紹介

游楚(ユウソ) 統率61 武力36 知力53 政治62 魅力70 魏の武将。游殷[ユウイン]の子。【演義】記述なし。【正史】父の游殷が張既に目をかけていたこともあり、曹操の関中平定後、張既の推挙で漢興太守に取り立てられ、次いで隴西太守に転じた。228年、北伐を敢行した諸葛亮が隴右に侵攻してくると、天水と南安は蜀軍に降伏したが、隴西だけは民と一丸になって城を堅守し、蜀軍の撤退まで耐え抜いた。この功で列侯に取り立てられ、また宮中に招かれて曹叡に気に入られる。その後は、遊戯や音楽を楽しみながら気ままに暮らした。
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【三国志14】孟優の武将能力値紹介

孟優(モウユウ) 統率50 武力68 知力22 政治18 魅力37 南蛮王・孟獲の弟。【演義】孟獲と共に、諸葛亮率いる南征軍と戦う。偽って降伏し、内と外から蜀軍を攻撃する策を立てるが、諸葛亮に見抜かれて敗退。その後、孟獲と共に捕らえられては釈放される。しかし、孟獲が七度捕らえられると、兄と共に降伏した。【正史】記述なし。
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【三国志14】孟達の武将能力値紹介

孟達(モウタツ) 統率75 武力73 知力74 政治67 魅力55 劉璋の武将。後に劉備、曹丕に仕える。【演義】字は子慶。張松、法正と協力し、劉璋を追い出して劉備を蜀の主に迎える策を練る。劉備入蜀後は霍峻と共に葭萌関を守り、曹操が漢中から撤退すると、劉封、王平と共に上庸を奪う。しかし、関羽を救援しなかったため劉備に恨まれ、魏に亡命。魏帝・曹丕に可愛がられたが、曹丕の死後は魏でも孤立。諸葛亮の北伐を契機に、蜀に復帰しようと謀るが、司馬懿に討たれた。【正史】元の字は子敬。劉備入蜀の際は江陵を守り、後に宜都[ギト]太守となる。劉封、申儀とは仲が悪かった。
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【三国志14】孟宗の武将能力値紹介

孟宗(モウソウ) 統率47 武力28 知力69 政治74 魅力78 呉の官僚。後に、孫晧の字「元宗」を避けて孟仁と改名する。二十四孝の1人。孟宗竹の故事が残る。【演義】258年、孫綝の命を受け、精兵を率いて武昌に駐屯した。これが、孫綝が孫休を廃そうとしている兆しと判断され、丁奉、張布による孫綝暗殺のきっかけとなる。【正史】南陽の李粛の下で学び、李粛から「宰相の器」と評された。母親への孝行で有名。母親が亡くなると、勝手に任地を離れたら死罪という法を知りながら葬儀に駆けつけ、後に自首。陸遜の弁護で、孫権から特例として許された。光禄勲、御史大夫を経て、司空まで昇進。
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【三国志14】孟光の武将能力値紹介

孟光(モウコウ) 統率12 武力15 知力64 政治69 魅力36 蜀の官僚。【演義】劉備が皇帝に即位する際、諸葛亮に命じられて許慈と共に武典の準備を取り仕切った。第一次北伐では、諸葛亮不在の間、宮中を守る重臣の一人として、成都に留め置かれている。【正史】劉焉、劉璋に仕えたあと、劉備に仕えて議郎に任じられた。博学で漢王朝の古い制度に詳しく、宮中制度の制定を担当。劉禅の代には大司農にまで昇進したが、常に直言してはばかることがなかったため、周囲から嫌われ、爵位は上がらなかったという。
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【三国志14】孟建の武将能力値紹介

孟建(モウケン) 統率52 武力31 知力71 政治77 魅力68 諸葛亮の友人。【演義】石韜と酒を飲んでいた時、隆中の諸葛亮を再び訪れようとしていた劉備と出会う。【正史】諸葛亮、徐庶、石韜と共に荊州で遊学し、諸葛亮から「刺史か郡守の器」と評される。魏に仕え、温恢の死後涼州刺史となり、優れた政治手腕を発揮した。諸葛亮は北伐で祁山[キザン]に出陣した際、司馬懿からの書状の返答を持ち帰る杜襲に「公威によろしく」と伝えさせている。征東将軍まで昇進した。
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