三国志14

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【三国志14】李蒙の武将能力値紹介

李蒙(リモウ) 統率67 武力66 知力33 政治16 魅力34 董卓の武将。【演義】董卓の死後、長安城内に取り残される。李傕と郭汜の軍勢が長安に迫ると、王方とともに城門を開いて内応した。その後、長安に攻め寄せてきた馬騰、韓遂の迎撃に向かうが、馬超に捕らえられ、処断された。【正史】徐栄と共に孫堅と戦った。董卓の死後、王方らと共に李傕、郭汜と合流。長安を包囲して陥落させた。
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【三国志14】楊密の武将能力値紹介

楊密(ヨウミツ) 統率45 武力33 知力51 政治53 魅力50 後漢の官僚。中郎将。【演義】董卓の死後、長安を制圧した李傕と郭汜は権力を二分していたが、徐々に対立。ついに交戦状態となったところで、太尉の楊彪は官僚を引き連れて郭汜の陣を訪れ、和睦を勧めた。しかし郭汜は官僚を監禁。これを批判した楊彪らを郭汜は斬り捨てようとしたが、楊密に諫められて剣を収めた。【正史】正史でも、楊彪や朱儁を斬ろうとした郭汜を、楊密が諫止したと記されている。
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【三国志14】李密の武将能力値紹介

李密(リミツ) 統率14 武力6 知力65 政治71 魅力58 蜀の幕僚。のちに晋に仕える。【演義】記述なし。【正史】学問と孝行によって知られ、蜀に仕えて大将軍主簿、太子洗馬などを歴任した。蜀が滅んだ後、司馬炎に招聘されるが、老年の祖母を置いて出仕することを憂い、「陳情事表」を上奏して司馬炎の心を動かした。のち祖母が没すると晋に仕え、温県令や漢中太守、大中正などを任された。「陳情事表」は、諸葛亮の「出師表」、韓愈[カンユ]の「祭十二郎文」と共に、三絶文に数えられている。
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【三国志14】楊鋒の武将能力値紹介

楊鋒(ヨウホウ) 統率54 武力60 知力52 政治40 魅力46 銀冶洞[ギンヤドウ]二十一洞の洞主。【演義】孟獲が諸葛亮率いる蜀の南征軍に連敗すると、密かに諸葛亮と通じる。5人の息子と3万の精兵を率いて孟獲軍に加勢し、歓迎の宴席で美女の剣舞を披露。油断した孟獲と朶思大王を捕らえ、諸葛亮に引き渡した。【正史】記述なし。
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【三国志14】李封の武将能力値紹介

李封(リホウ) 統率58 武力65 知力38 政治49 魅力54 呂布の武将。【演義】呂布に従って兗州に侵攻し、薛蘭と共に城の守りを任された。しかし、配下の兵士が略奪のために城外に出払っていたところを曹操に攻められ、許褚に斬り殺された。【正史】呂布に従って兗州に侵攻した時、治中に任じられた。この頃、李典の叔父・李乾を味方に引き入れようとしたが断られ、殺害。のち薛蘭と共に鉅野を占拠していたが、李乾の子・李整と曹操軍に攻められ、敗死した。
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【三国志14】楊奉の武将能力値紹介

楊奉(ヨウホウ) 統率67 武力65 知力34 政治20 魅力58 李傕の武将。後漢の騎都尉。【演義】195年、李傕に反旗を翻すが、敗れて逃走。長安を脱した献帝を護衛し、洛陽に入った。翌年、曹操が献帝を擁護し、許昌に遷都しようとすると、韓暹と協力して曹操に戦いを挑む。しかし、配下の徐晃が曹操軍に寝返ったため敗れ、袁術を頼る。197年、袁術の呂布討伐軍に参加。陳珪の誘いに乗って韓暹と共に呂布軍に寝返った。その後、略奪を繰り返したため、劉備に討たれた。【正史】曹操が献帝を擁立した後、韓暹と共に出奔。徐州と揚州を荒らし回り、劉備に誘い出されて殺された。
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【三国志14】李豊の武将能力値紹介

李豊(リホウ) 統率69 武力74 知力50 政治22 魅力53 袁術の武将。【演義】袁術が起こした呂布討伐戦に督戦官として参加。呂布と一騎討ちになり、槍で利き腕を突かれて逃走した。その直後、曹操に攻め込まれ、楽就、梁綱、陳紀と共に寿春を守る。しかし、力及ばず、曹操軍に捕らえられ、斬られた。【正史】197年、袁術に従い、曹操が支配する陳を攻める。しかし、曹操が自ら迎撃してきたと聞いて袁術が逃走したため、橋蕤、梁綱、楽就と共に後詰めとなって抗戦。敗北して全員、斬り殺された。
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【三国志14】楊阜の武将能力値紹介

楊阜(ヨウフ) 統率67 武力50 知力82 政治78 魅力77 涼州刺史・韋康の幕僚。後に魏に仕える。楊岳の従兄。【演義】213年、冀城が馬超に包囲されると、降伏しようとする韋康をいさめる。韋康が馬超に殺されると、馬超から義人と評され現職に留任した。その後、姜叙、尹奉、趙昂と結託し、歴城で馬超に反旗を翻す。兄弟7人が殺され、自らも負傷するが、夏侯淵の援軍によって馬超を追い払った。230年、蜀に攻め入った曹真と司馬懿が長雨に進軍を阻まれると、撤退を進言。少府となり、曹叡の宮殿造営をいさめた。【正史】張既に評価され、漢中平定後は武都太守となる。
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【三国志14】李豊の武将能力値紹介

李豊(リホウ) 統率24 武力33 知力66 政治71 魅力63 魏の官僚。李義の子。李翼の兄。李韜の父。【演義】中書令。254年、曹芳に召集され、夏侯玄、張緝と共に司馬師を討伐する策を練る。しかし、その帰途、曹芳の密詔を司馬師に発見され、一族皆殺しにされた。【正史】若い頃から清廉潔白さと優れた人物鑑定眼を評価され、その名声は呉にも届いた。政権を握った曹爽と司馬懿の間を巧みに渡り歩き、子の李韜が内親王と結婚したことで地位を得る。司馬懿が死ぬと、中書令となり、張緝、李翼、李韜らと共に夏侯玄を司馬師に取って代わらせようと画策。発覚して司馬師に殺された。
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【三国志14】楊敏の武将能力値紹介

楊敏(ヨウビン) 統率11 武力8 知力48 政治61 魅力37 蜀の官僚。【演義】記述なし。【正史】督農を任されていた。諸葛亮死後、後を継いだ蒋琬の仕事ぶりを「諸葛亮とは比べ物にならない」と批判したが、蒋琬は事実であると認めて恨みを持たなかった。のち楊敏が罪を得ることがあったが、蒋琬は私心なく公平に裁いた。
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