三国志14

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【三国志14】雷薄の武将能力値紹介

雷薄(ライハク) 統率63 武力71 知力36 政治8 魅力13 袁術の武将。【演義】紀霊率いる劉備討伐軍に参加するが、呂布に仲裁され兵を退く。その直後の呂布討伐戦では第4軍を率いて参加。味方の楊奉、韓暹が呂布に寝返り、大敗した。その後、袁術の贅沢ぶりに見切りを付け、陳蘭と共に嵩山[スウザン]に籠もる。袁紹を頼った袁術が劉備に敗退すると、袁術軍を襲撃して、金品を奪い取った。【正史】曹操に大敗した袁術が頼ってきた際、陳蘭と共に受け入れを拒んだ。そこで袁術は袁紹に帝位を譲り、青州の袁譚を頼ろうとするが、その途上で死んだ。
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【三国志14】劉和の武将能力値紹介

劉和(リュウカ) 統率21 武力16 知力59 政治68 魅力74 後漢の幽州牧・劉虞の子。東海恭王・劉彊(後漢光武帝の子)の末裔。【演義】記述なし。【正史】侍中として献帝に仕える。長安遷都後、洛陽に戻ろうとした献帝から、劉虞に出兵を促すよう命じられた。幽州に向かう途中、袁術を訪ね、劉虞と袁術の軍勢で献帝奪還を狙う策を立てる。しかし、劉虞から派遣された軍勢は袁術に奪われ、自身も袁術に捕らわれた。後に袁術の下から脱するが、袁紹に拘留された。
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【三国志14】雷銅の武将能力値紹介

雷銅(ライドウ) 統率69 武力78 知力51 政治37 魅力53 劉備の武将。【演義】劉璋に仕える。劉備が蜀に攻め入ると、呉懿、呉蘭らと共に雒城[ラクジョウ]の張任を救援した。落鳳坡で龐統を戦死させるなど、劉備軍を苦しめるが、荊州から諸葛亮らが来援し、形勢が逆転。呉蘭ともども捕らえられ降伏した。劉備の蜀平定後は張飛と共に巴西を守備。曹操との漢中攻防戦で、張郃を一度は伏兵で破る。しかし、再戦では逆に伏兵に遭い、張郃に突き殺された。【正史】劉璋の配下という記述はない。218年、呉蘭と共に武都を攻めたが、曹操軍に全滅させられ、敗死した。
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【三国志14】劉延の武将能力値紹介

劉延(リュウエン) 統率67 武力63 知力45 政治40 魅力51 曹操の武将。【演義】東郡太守。200年、袁紹軍の顔良が白馬に攻め寄せてきたため窮地に陥るが、関羽が顔良を斬って事なきを得た。のち関羽千里行の際、黄河手前の州境で関羽を出迎える。旧恩に応えて舟を貸すよう関羽に頼まれたが、夏侯惇に咎められることを恐れ、断った。【正史】関羽千里行での登場以外は、演義と同様。
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【三国志14】劉焉の武将能力値紹介

劉焉(リュウエン) 統率54 武力38 知力79 政治81 魅力86 後漢の群雄。前漢の魯の恭王の子孫。劉璋の父。【演義】黄巾の乱が起きた時は幽州太守。黄巾討伐の義勇兵を募集し、応募してきた劉備に龔景の救援を命じた。【正史】皇族の末裔であるため、若くして中郎となり、冀州刺史、南陽太守などを歴任。188年、各地で相次ぐ反乱を鎮圧するため、刺史よりも権限の強い「牧」の創設を建議。可決されると自らは益州牧に就任した。以後、張魯を漢中に置いて中央との連絡を遮断させ、益州で独立体制を築き、群雄割拠の先駆けとなる。幽州の太守になったことはなく、劉備と共闘したという記述もない。
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【三国志14】雷叙の武将能力値紹介

雷叙(ライジョ) 統率60 武力63 知力34 政治24 魅力31 張繍の武将。【演義】宛を取り戻した張繍のもとに曹操軍が再来した際、張繍に従い張先と共に南陽城外に出陣して曹操軍を迎撃したが、許褚に蹴散らされて敗退した。【正史】記述なし。
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【三国志14】劉永の武将能力値紹介

劉永(リュウエイ) 統率36 武力25 知力49 政治55 魅力65 劉備の次男。劉禅の異母弟。劉理の兄。孫に劉玄。【演義】劉備と呉氏の子。劉備が皇帝になった際、魯王に封じられた。劉備が白帝城で危篤になると、諸葛亮に連れられ、劉理と共に父を見舞う。諸葛亮を父として仕えるよう遺言され、劉理と共に諸葛亮に拝礼した。【正史】230年、甘陵王に改封された。黄皓の讒言によって劉禅に疎まれ、十余年にわたって参内を許されなかった。蜀滅亡後、洛陽へ送られて奉車都尉に任ぜられた。
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【三国志14】雷緒の武将能力値紹介

雷緒(ライショ) 統率65 武力68 知力34 政治13 魅力22 廬江の賊徒。【演義】記述なし。【正史】200年、廬江太守の李術が揚州刺史の厳象[ゲンショウ]を殺して乱を起こすと、陳蘭、梅乾らと共に数万人を集めて加担した。曹操が新たな揚州刺史として劉馥を派遣してくると、これに従った。赤壁の戦いの後、手勢数万を率い、荊南四郡を制圧した劉備に帰順しているが、この前後、夏侯淵の討伐を受けて大敗している。
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【三国志14】柳隠の武将能力値紹介

柳隠(リュウイン) 統率77 武力74 知力68 政治43 魅力64 蜀の武将。子に柳充、柳初。【演義】記述なし。【正史】たびたび姜維の北伐に従軍し、その武勇計略は軍の筆頭と評された。263年、魏の鍾会と鄧艾が蜀に侵攻してくると、多くの要害が陥落する中、黄金囲を堅守。降伏した劉禅からの命令書を受け、はじめて鍾会のもとに出頭した。
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【三国志14】頼恭の武将能力値紹介

頼恭(ライキョウ) 統率53 武力35 知力60 政治69 魅力64 劉表の幕僚。後に劉備に仕える。子に頼広。【演義】諸葛亮らと共に、劉備に皇帝になる決意をさせた幕僚の一人。【正史】はじめ劉表に仕えて交州刺史に任じられたが、交州は士燮の勢力圏になっていたために着任できず、蒼梧[ソウゴ]太守の呉巨と行を共にした。しかし、呉巨とは上手くいかず、劉表死後、呉巨に追い出されて零陵に戻り、劉備に仕えた。劉備が漢中王になると太常に任命され、また諸葛亮、許靖らと共に劉備の皇帝即位を上奏した。
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