三国志14

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【三国志14】李恢の武将能力値紹介

李恢(リカイ) 統率78 武力65 知力78 政治77 魅力74 劉璋の武将。後に劉備に仕える。【演義】劉璋が劉備に救援を求めると、反対したが聞き入れられなかった。劉璋を見限って劉備に仕え、馬超を説得して帰順させる。その後は諸葛亮の北伐に参加した。【正史】董和の推薦で州郡に赴く途中で、劉備が劉璋を攻撃したことを聞き、劉璋の敗北を予測して劉備に仕えた。劉備の死後、南方で異民族の反乱軍に包囲されるが、計略を使い包囲網を突破。諸葛亮と協力して反乱を鎮圧した。諸葛亮が去った後、再び起こった反乱も平定。物資と人員を成都に送り、北伐の原動力となった。
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【三国志14】劉虞の武将能力値紹介

劉虞(リュウグ) 統率55 武力33 知力69 政治76 魅力92 後漢の幽州牧。東海恭王・劉彊[リュウキョウ](後漢光武帝の子)の子孫。劉和の父。【演義】漁陽で反乱した張挙、張純を平定するため、幽州牧として赴任。劉備と共に乱を平定し、太尉となる。【正史】皇族の中で特に徳望が篤かった。幽州牧として赴任後、融和政策により東方異民族を統治し、民心を安定させる。董卓が献帝を擁立した後、袁紹と韓馥から皇帝に担ぎ上げられそうになるが、漢室への恭順を貫き、拒否した。異民族統治策での意見の違いから、次第に公孫瓚との仲が悪化。193年、公孫瓚と戦って敗れ、刑死した。
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【三国志14】李異の武将能力値紹介

李異(リイ) 統率59 武力77 知力20 政治18 魅力21 呉の武将。金色の斧を使う。【演義】孫桓の武将。関羽の復讐のため、劉備が荊州に攻め寄せると、宜都[ギト]で迎撃。同僚の謝旌が張苞と戦い、劣勢になると、加勢に乗り出す。20合打ち合った後、張苞の馬を同僚の譚雄が射て、張苞が落馬。討ち取ろうと斧を振り上げたところを、関興に斬り落とされた。【正史】219年、陸遜の指揮下で謝旌と共に荊州を攻め、詹晏[センアン]を破り、陳鳳を捕らえた。221年、荊州に攻め寄せた蜀の呉班、馮習に敗れる。翌年、陸遜が夷陵で蜀軍を大破すると、劉阿と共に南山まで追撃した。
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【三国志14】柳毅の武将能力値紹介

柳毅(リュウキ) 統率62 武力55 知力21 政治48 魅力45 遼東太守・公孫度の部下。【演義】記述なし。【正史】公孫度に重用された官吏の一人。中原の混乱を耳にした公孫度が、天下への野望を語った相手としてその名が伝わっている。のちに営州に駐留するが、曹操の命を受けた張遼の討伐を受け駆逐された。
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【三国志14】羅憲の武将能力値紹介

羅憲(ラケン) 統率84 武力70 知力74 政治70 魅力72 蜀の武将。後に魏晋に仕える。羅蒙の子。羅襲の父。【演義】記述なし。【正史】劉禅が劉を太子に立てると、太子舎人に就任。政権を握った黄皓に同調しなかったため、巴東太守に左遷され、都督・閻宇の副将となる。263年、魏軍が蜀領内に侵入し、閻宇が中央に召還されると、閻宇の兵を指揮し永安を守る。蜀降伏後、呉の陸抗、歩協、留平、盛曼が攻め寄せると、半年以上籠城し、晋の胡烈が救援に来るまで永安を守り抜いた。その功で旧職のまま魏に仕える。晋代に冠軍将軍となり、呉の巫城を攻略した。
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【三国志14】劉基の武将能力値紹介

劉基(リュウキ) 統率33 武力35 知力60 政治69 魅力79 呉の幕僚。劉繇の子。弟に劉鑠、劉尚。娘は孫覇の妻。【演義】記述なし。【正史】孫策に敗れた父と共に豫章に逃れ、父の没後は喪に服して隠棲していた。孫策が豫章を制した時、王朗の仲介で和解。孫権が孫策の跡を継ぐと、容姿端麗だったために寵愛され、孫権はよく劉基の言葉に耳を傾けた。孫権が呉王になると大農の官に、帝位に即くと光禄勲に任じられた。劉基の死後、孫権は劉基の遺族を厚遇し、その手厚さは全琮や張昭に匹敵した。
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【三国志14】駱統の武将能力値紹介

駱統(ラクトウ) 統率76 武力57 知力73 政治76 魅力74 孫権の武将。陳国の相・駱俊の子。【演義】孫策の死後、孫権に招かれた。208年、諸葛亮が孫権と同盟を結ぶため呉を訪れた時、張昭らと共に諸葛亮を論破しようとするが、黄蓋に阻まれた。【正史】父が袁術に討たれ、母が華歆の側室になると、母と別れて会稽に戻った。212年、会稽太守の孫権に登用され烏程の相となり、行き届いた統治を住民から称賛された。凌統が死ぬと凌統配下の兵を指揮下に加える。夷陵の戦いでは陸遜の指揮下で功績を上げ、偏将軍に就任。直後、濡須に攻め寄せた曹仁も破り、濡須の督となる。
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【三国志14】劉琦の武将能力値紹介

劉琦(リュウキ) 統率51 武力10 知力62 政治71 魅力73 荊州刺史・劉表の長子。劉琮の兄。【演義】母は陳氏。劉琮を後継者にしようとする継母の蔡氏にうとまれる。身の危険を感じるようになると、諸葛亮の助言に従って江夏太守に出向した。劉表の臨終の際、後継者に指名されるが、蔡瑁と蔡氏の陰謀で死に目に会うことも許されず、後継者は劉琮となる。曹操の南下で劉琮が降伏した後、落ち延びてきた劉備を迎え入れた。赤壁の戦いの後、荊州刺史となるが、間もなく病死。【正史】親孝行な性格。重病になった劉表を見舞うが、蔡瑁と張允に阻まれ、涙を流しながら任地に戻った。
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【三国志14】来敏の武将能力値紹介

来敏(ライビン) 統率38 武力34 知力66 政治60 魅力31 蜀の学者。荊州の名族の出。父は来艶、子に来忠。【演義】諸葛亮の第1次北伐で国内の政治を任された一人で、祭酒に任じられた。【正史】戦乱を避けて姉と共に荊州に逃れていたが、姉が劉璋の縁者だったため、劉璋に招かれて賓客となった。「左伝」に詳しく訓詁学に通じ、劉備が蜀を平定すると劉禅の家令に任じられた。劉禅の代になって重職を歴任するが、節度のない言動が多く、免職と復職を繰り返した。244年、費禕が漢中に出陣する際、別れの挨拶に訪れて囲碁をし、その胆力を試したという。
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【三国志14】劉璝の武将能力値紹介

劉璝(リュウカイ) 統率73 武力72 知力66 政治44 魅力63 劉璋の武将。【演義】張魯の侵攻を恐れた劉璋が劉備に救援を求めた時、張任と共に反対。龐統に命じられた魏延が剣舞にかこつけて劉璋を斬ろうとした時も、張任らと共に阻止した。劉備が涪水関を奪い、劉璋領内に攻め寄せると、張任、冷苞、鄧賢と協力して雒城[ラクジョウ]で防戦。味方の降伏が相次ぐ中、最後まで戦おうとする。しかし、配下の張翼に斬られ、雒城は劉備軍に明け渡された。【正史】張任、冷苞、鄧賢と共に涪城で劉備軍を迎撃するが敗れ、綿竹に籠もった。
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