三国志14

武将

【三国志14】楽毅の武将能力値紹介

楽毅(ガクキ) 統率99 武力76 知力93 政治88 魅力93 春秋戦国時代、燕の将軍。昌国君。小国・中山の宰相の子に生まれたが、中山が趙の武霊王に滅ぼされると、諸国を流浪。燕の昭王にその才能を認められて臣となった。政務に手腕を発揮する一方、諸国に脅威を与えていた斉に対抗すべく、趙、魏、楚、秦との五カ国同盟を実現。連合軍を指揮して斉軍を撃破し、暴虐な斉王を追放して2都市を除く斉全土を制圧した。間もなく昭王が急逝すると、斉の田単の離間計によって恵王に疑われ、趙に亡命。恵王と和解した後も趙に留まり、趙と燕の両国で重きを成した。
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【三国志14】郭隗の武将能力値紹介

郭隗(カクカイ) 統率30 武力21 知力82 政治83 魅力75 戦国時代の燕の臣。燕国は内乱で混乱しているところを斉軍に侵攻されて一度滅亡した。燕の昭王・姫平が即位して燕国を復興したが、領土は削られ国力は脆弱だった。姫平は富国強兵を行い、斉への復讐を果たすためには人材が必要と考え、郭隗に賢人を紹介してくれるよう依頼。郭隗は「まず隗より始めよ」と答え、郭隗を優遇することで郭隗以上の賢人たちが自分から燕にやってくるようにせよ、と諭す。姫平は進言を容れ、郭隗のために宮殿を改築し、郭隗に師事した。すると、魏から楽毅、斉から鄒衍、趙から劇辛、と各地から賢人が燕に訪れた。
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【三国志14】王翦の武将能力値紹介

王翦(オウセン) 統率95 武力78 知力84 政治69 魅力70 秦の将軍。秦王・政(嬴政)に将軍として仕え、韓、趙、魏、燕を滅ぼし、統一事業を大きく進めた。続く楚攻略では、「20万の兵で十分」と述べた李信に対し、「60万は必要だ」と主張し、戦線から外されてしまう。李信が楚の名将・項燕に敗れると、秦王・政自らの請願を受け復帰。秦の全軍60万を率いて楚を攻撃し、項燕を破り楚を平定した。秦王・政が全軍を掌握する自分の力を恐れるのを避けるため、たびたび小さな恩賞をねだり、野心のないことを示した
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【三国志14】英布の武将能力値紹介

英布(エイフ) 統率85 武力96 知力55 政治31 魅力42 秦末漢初の群雄。楚の九江王。後に、漢の淮南王。若い頃、「刑罰を受ける運命にあるが、その後で王になる」と予言される。後に法を犯して黥(入れ墨)を入れられると、これを喜び「黥布[ゲイフ]」とあだ名がついた。陳勝・呉広の乱が起こると、荒くれ仲間を集めて項梁・項羽に従軍。豪勇を発揮して活躍する一方、義帝殺害などの汚れ役もこなした。秦滅亡後は九江王となっていたが、次第に項羽の言動に疑問を抱き、劉邦軍に加勢。淮南王に封ぜられ、項羽討伐に一役買う。統一後は粛清を恐れて反乱するも、善戦空しく敗死した。
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【三国志14】嬴政の武将能力値紹介

嬴政(エイセイ) 統率50 武力54 知力92 政治100 魅力86 秦の始皇帝。荘襄王の子。秦の第31代国王。早世した父を継ぎ、13歳で秦王となる。当初は呂不韋の補佐を受けていたが、成長してからは実権を掌握。法家の李斯を起用して国力を整える一方、韓、趙、魏、楚、燕、斉の六国を滅ぼして中国を統一した。統一後は「皇帝」の称号を作り、郡県制の導入、度量衡の統一、道路網整備など、数多くの改革を断行。封建制に代わり、法治による中央集権を目指すが、その強硬な専制政治は民衆に多くの負担も与えた。不老不死を望み、地方を巡行中に病没。そのわずか4年後に秦も滅亡する。
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【三国志14】魯淑の武将能力値紹介

魯淑(ロシュク) 統率70 武力53 知力74 政治77 魅力71 呉の武将。魯粛の子。魯睦[ロボク]の父。【演義】記述なし。【正史】濡須督・張承に見込まれ、後継者と目された。孫休の代に武昌の督、孫晧の代には夏口の督となる。任地では常に厳正な統治を行った。274年に死去し、子の魯睦が後を継いだ。
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【三国志14】魯粛の武将能力値紹介

魯粛(ロシュク) 統率81 武力56 知力92 政治92 魅力89 呉の重臣。魯淑の父。【演義】孫策の死後、周瑜の推挙で孫権に仕える。自身は諸葛瑾を推挙し、孫権に信頼された。208年、諸葛亮を招いて孫権に曹操との戦いを決意させ、赤壁の戦いを勝利に導く。周瑜の死後は後継者となり、臨江亭で関羽と会見した後、江夏、長沙、桂陽を返還させることに成功。その後、陸口で赴任中に病死した。【正史】周瑜に兵糧支援を頼まれると、貯蔵米を提供し感嘆された。孫権には天下二分の計を提示。215年、益陽で関羽と対陣し、劉備に湘水以東の領有を認めさせた。
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【三国志14】盧植の武将能力値紹介

盧植(ロショク) 統率86 武力63 知力82 政治85 魅力85 後漢の中郎将。劉備、公孫瓚の学問の師。盧毓の父。【演義】黄巾の乱が起こると、何進の命を受け、皇甫嵩、朱儁らと共に鎮圧に当たる。途中、劉備と再会するが、宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罷免された。宦官討伐のため、何進が董卓を招こうとすると、反対。上洛した董卓が少帝廃立を提言した時も反対を貫いた。【正史】鄭玄[ジョウゲン]と同門の儒学者。「尚書章句」「礼記解詁[ライキカイコ]」などを著し、蔡邕と共に「後漢記」を増補した。黄巾の乱前は九江、廬江に赴任し、蛮族討伐で活躍。董卓と対立して免官された後、隠棲。
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【三国志14】路招の武将能力値紹介

路招(ロショウ) 統率67 武力74 知力21 政治23 魅力27 曹操の武将。【演義】路昭の名で登場。曹操の命を受け、朱霊と共に、袁術討伐のため徐州に入った劉備に従軍する。袁術の死後、自立を図る劉備に兵を預けたまま帰還して曹操の怒りを買うが、荀彧の取りなしで助かった。【正史】208年、曹操が荊州を征伐した際、于禁、張遼、張郃、朱霊、李典、馮楷と共に趙儼の指揮下に入った。のち朱霊と共に夏侯淵に従って長安に駐屯し、馬超と戦った。
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【三国志14】楼班の武将能力値紹介

楼班(ロウハン) 統率65 武力75 知力39 政治30 魅力52 遼西烏桓の単于・丘力居の子。【演義】記述なし。【正史】父・丘力居が死んだ際、楼班が年少だったため、蹋頓が後を継いだ。のち楼班が成長すると、峭王[ショウオウ]・蘇僕延に奉じられて単于となり、蹋頓は王となった。曹操に追われた袁煕・袁尚兄弟が頼ってくると、これに味方して柳城で曹操と戦うが大敗。遼東に落ち延びたが、公孫康に殺され、首を曹操に送られた。
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