三国志14

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【三国志14】関彝の武将能力値紹介

関彝(カンイ) 統率50 武力62 知力44 政治48 魅力59 関羽の子・関興の庶子。蜀の漢寿亭侯。【演義】関興の嫡子・関統に子がなかったため、関統の死後に関羽の爵位を受け継ぐ。蜀の滅亡後、益州での独立を図った鍾会の反乱に巻き込まれ、魏の兵士に殺された。【正史】蜀が滅亡すると、鄧艾と鍾会の蜀討伐戦に参加した龐会(関羽に討たれた龐徳の子)によって関羽の血統は根絶やしにされた。
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【三国志14】華雄の武将能力値紹介

華雄(カユウ) 統率83 武力92 知力58 政治40 魅力57 董卓の武将。身長9尺。【演義】袁紹を盟主とする反董卓連合軍が汜水関に攻め寄せた時、董卓軍の先鋒として胡軫、李粛、趙岑らと共に出陣。緒戦で鮑信の弟・鮑忠を斬り、連合軍の先鋒・孫堅を破って、孫堅の身代わりになった祖茂を討つ。続いて袁術配下の兪渉、韓馥配下の潘鳳を斬り、連合軍を震え上がらせるが、まだ無名だった関羽に討ち取られた。【正史】董卓の都尉。陽人で孫堅軍と交戦するが、討ち取られた。
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【三国志14】花鬘の武将能力値紹介

花鬘(カマン) 統率63 武力70 知力32 政治26 魅力59 孟獲の娘として京劇に登場する。雲南に遠征してきた関索と戦って捕虜になり、お互いに惹かれあう。孟獲が蜀軍に降伏すると、ふたりは結婚した。【演義】記述なし。【正史】記述なし。
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【三国志14】何苗の武将能力値紹介

何苗(カビョウ) 統率35 武力46 知力34 政治37 魅力32 後漢の車騎将軍。何進の義弟、何皇后の異父兄。【演義】何皇后が董太后を追放して一族が権力を握ると、張讓らに賄賂を贈られ、十常侍に籠絡される。何進が十常侍を誅滅しようとすると、これを阻止。のち何進が十常侍に暗殺され、袁紹らが宮中に踏み込むと、暗殺に加担したとして呉匡に斬られた。【正史】演義と同様。何進とは不仲だったという。
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【三国志14】軻比能の武将能力値紹介

軻比能(カヒノウ) 統率77 武力72 知力51 政治57 魅力66 鮮卑の王。【演義】劉備の死後、司馬懿は曹丕に五路から蜀に攻め込む策を進言。曹丕は軻比能に金や錦を贈り、10万の兵を起こして西平関を攻撃するよう依頼した。軻比能は西平関に攻め寄せたが、羌人が「神威天将軍」と恐れる馬超が関の守将と知るや、戦わずに逃げ帰った。【正史】曹操が蹋頓を斬って幽州を平定すると、護烏桓校尉の閻柔を通じて朝廷に従った。のちに幽州刺史・王雄は配下の勇士・韓龍に軻比能を刺殺させた。
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【三国志14】賈範の武将能力値紹介

賈範(カハン) 統率60 武力62 知力73 政治62 魅力62 公孫淵の副将。【演義】公孫淵が燕王を名乗り魏から独立しようとすると、「諸葛亮でも勝てなかった司馬懿に勝てるはずがない」といさめ、公孫淵に処刑される。後に公孫淵を討伐した司馬懿はこのことを聞いて評価し、賈範の墓を建て、子孫に爵位を与えた。【正史】記述なし。
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【三国志14】何楨の武将能力値紹介

何楨(カテイ) 統率72 武力51 知力74 政治71 魅力69 魏、晋の臣。【演義】記述なし。【正史】異民族を抑えるため幽州刺史に任じられて以降、諸葛誕の乱など多くの戦いに参戦した。晋の時代に入り、匈奴の劉猛が反乱を起こすと、これを何度も打ち破りながら、一方で劉猛配下を誘って裏切らせ、劉猛の暗殺に成功している。
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【三国志14】霍峻の武将能力値紹介

霍峻(カクシュン) 統率76 武力65 知力72 政治63 魅力70 霍弋の父。もと劉表の武将。後に劉備に仕える。【演義】益州侵攻中の劉備に孟達から推挙された。孟達と2人で葭萌関の守りにつき、張魯の幕下にいた馬超が攻め寄せた際は劉備に援軍を要請した。曹操との漢中攻防戦でも葭萌関を守護。黄忠と厳顔が来援するまで、張郃の攻撃を防いだ。【正史】劉表が死ぬと劉備に帰順した。劉璋軍の扶禁、向存らに葭萌関を包囲されるが、寡兵で1年間守り抜き、逆襲して向存を斬る。劉備が益州を平定すると梓潼太守となるが、漢中攻防戦に参加することなく死亡した。
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【三国志14】雅丹の武将能力値紹介

雅丹(ガタン) 統率60 武力54 知力69 政治51 魅力40 西羌の丞相。【演義】魏の曹真からの援軍要請を引き受けるよう、徹里吉に進言した。越吉元帥と共に羌兵15万を率いて西平関に向かうが、諸葛亮の陥穽の計の前に敗れ、馬岱に捕らえられる。諸葛亮から、魏の誘いには乗らぬよう説得され、西羌へ帰った。【正史】記述なし。
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【三国志14】楽就の武将能力値紹介

楽就(ガクシュウ) 統率53 武力66 知力58 政治39 魅力50 袁術の武将。【演義】皇帝を名乗った袁術が呂布討伐戦を起こした時、督戦官として全7軍の連絡を担当する。しかし、陳珪親子の計略で韓暹と楊奉が離反したため袁術軍は大敗。その直後、曹操の攻撃を受けると、梁綱、李豊、陳紀らと寿春を守るが、4人ともども捕らえられ、市場で斬られた。【正史】陳に侵入した袁術を曹操が自ら迎撃すると、袁術は軍を捨てて逃走した。袁術の命で橋蕤、李豊、梁綱らと共に残留し、曹操に撃破され于禁に斬られた。
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