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【三国志14】朱治の武将能力値紹介

朱治(シュチ) 統率70 武力56 知力72 政治73 魅力76 呉の武将。姉の子・朱然を養子とする。【演義】孫堅の代から仕える。孫堅の死後、袁術の保護下にあった孫策に、江東に進出して自立するように勧めた。孫策が呉郡を制圧すると、呉郡太守に就任。赤壁の戦いでは呂範と共に四方巡警使を務めた。【正史】202年、孫権の代に呉郡太守となり、山越や黄巾賊の残党の陳敗、万秉[バンペイ]らを平定した。223年、安国将軍となる。孫権が呉王となった後も、朱治が目通りに来ると孫権自ら迎えに出るほど厚遇された。また感情のままに振る舞いがちな孫翊をよくいさめた。
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【三国志14】諸葛恪の武将能力値紹介

諸葛恪(ショカツカク) 統率72 武力47 知力90 政治80 魅力64 呉の官僚。諸葛瑾の長子。諸葛喬の兄。諸葛亮の甥。【演義】聡明さを孫権に愛され、太子・孫登の学友となる。陸遜の死後に実権を握り、孫権が死ぬと孫亮を即位させた。その直後、魏の司馬師の攻撃を受けるが撃退に成功。余勢を駆って合肥新城を攻め、今度は夏の炎暑で敗退。敗戦の責任を他になすりつけて身の安全を図るが、孫峻、滕胤らに暗殺された。諸葛瑾は生前、諸葛恪は聡明すぎて諸葛家の災いになると予見していた。【正史】孫権の臨終の際、孫峻から他に並ぶ者がない大才と称された。親しかった滕胤は暗殺に加わっていない。
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【三国志14】朱然の武将能力値紹介

朱然(シュゼン) 統率79 武力69 知力71 政治60 魅力77 呉の武将。元の名は施然。朱治の養子となる。【演義】呂蒙が荊州の関羽を攻めた際、従軍した。関羽の復讐のために劉備が荊州に来襲すると、孫桓と共に迎撃するが、蜀の呉班の計略によって副将の崔禹[サイウ]を討たれ、一時的に退却。新たに迎撃の指揮を執った陸遜の命で火攻めを仕掛け、敗走する劉備を追撃する。しかし、行く手を遮った趙雲にひと突きで討たれた。【正史】夷陵の戦いの後も、魏の夏侯尚を撃退するなど江陵を守った。孫権とは共に勉学した仲で、陸遜の死後、呉の重鎮となり、左大司馬、右軍師まで昇進した。
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【三国志14】徐奕の武将能力値紹介

徐奕(ジョエキ) 統率25 武力11 知力60 政治77 魅力71 魏の幕僚。甥に徐統。【演義】記述なし。【正史】戦乱を避けるため徐州から江東に避難していた。孫策の招聘を受けるが名を変えて江東を去り、のちに曹操に仕えた。曹操の馬超征討後、長安に残って関中の安定に努めた。一時、丁儀らの讒言を受けることもあったが曹操から信頼され続け、曹操が孫権征討に赴いた際は留守を託された。魏建国後は尚書、尚書令として人事を担当。のち中尉となるが、病を得て官を退いた。曹操から「邦の司直」と称えられた。
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【三国志14】朱績の武将能力値紹介

朱績(シュセキ) 統率71 武力57 知力69 政治55 魅力68 呉の武将。朱然の子。義理の祖父に朱治。【演義】記述なし。【正史】初め潘濬の配下として異民族の討伐などに功績をあげ、父の後を継いで呉軍の将軍位に就任、魏の王昶らと攻防戦を繰り広げた。諸葛恪が謀殺された際、諸葛恪と敵対する一派に協力し、諸葛融を自害に追い込み、粛清を成功させている。三つ巴の有利さを説き、蜀と連携をとってその勢力を活用するなど呉の存続に心を砕いた。晩年、旧姓の施に復し、左大司馬の位にまで昇っている。魏の詔勅でも「賊国の名臣」と評された。
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【三国志14】徐栄の武将能力値紹介

徐栄(ジョエイ) 統率81 武力74 知力62 政治43 魅力45 後漢の滎陽[ケイヨウ]太守。董卓の配下。【演義】長安に遷都する途中の董卓を出迎え、董卓を追撃してきた曹操を迎撃。李儒の作戦に従い伏兵で曹操を大破し、曹操の肩に矢を射当てるまで追いつめた。しかし、追撃中に曹操の救援に来た夏侯惇と遭遇し、数合で討ち取られた。【正史】董卓に同郡出身の公孫度を推薦し、公孫度は遼東太守になった。滎陽で曹操に大勝するが、曹操軍が少数にもかかわらず奮戦するのを見て容易には勝てないと判断し、追撃せずに帰還した。
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【三国志14】朱儁の武将能力値紹介

朱儁(シュシュン) 統率84 武力63 知力70 政治71 魅力75 後漢の官僚。【演義】張角が黄巾の乱を起こすと、何進の命令で盧植、皇甫嵩と共に乱の鎮圧に当たる。曹操、劉備、孫堅らの加勢を得て張宝を破り、乱の鎮圧に貢献。その功績から車騎将軍、河南尹となるが、宦官への賄賂を拒んだため罷免された。董卓の死後、李傕と郭汜が政権をつかんだ時に招聘され太僕となる。後に仲違いした李傕と郭汜に和睦を勧めるが捕らえられ、釈放された後、病死した。【正史】黄巾の乱では孫堅を指揮下に加えて勇戦し、乱平定後、孫堅を昇進させた。董卓の長安遷都には反対した。
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【三国志14】向朗の武将能力値紹介

向朗(ショウロウ) 統率28 武力16 知力72 政治74 魅力69 劉備の幕僚。向寵の叔父。【演義】益州制圧に苦戦する劉備を諸葛亮が救援した際、荊州に残って関羽を補佐するよう命じられた。【正史】司馬徽に師事し、徐庶、韓嵩、龐統らと親交があった。劉表に仕えていたが、劉表が病死すると劉備に仕える。劉備の蜀平定後、巴西、房陵太守などを歴任した。諸葛亮が南蛮制圧に赴くと丞相府の職務を代行し、諸葛亮が北伐を起こすと漢中に赴任。しかし、友人の馬謖をかばったため免官され成都に戻された。後に光禄勲、左将軍となり、三公に次ぐ特進の位を授かった。
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【三国志14】朱鑠の武将能力値紹介

朱鑠(シュシャク) 統率32 武力35 知力55 政治66 魅力40 魏の中領軍。曹丕の「四友」のひとり。【演義】記述なし。【正史】魏の太子であった曹丕と親しく、司馬懿、陳羣、呉質とともに「四友」と呼ばれた。宴席で友人の呉質から曹真の肥満体と自らの痩身を揶揄されると、地面を斬りつけて怒りを露わにした。
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【三国志14】常林の武将能力値紹介

常林(ジョウリン) 統率36 武力28 知力70 政治81 魅力63 魏の幕僚。父は常伯先。子に常時、常静。【演義】記述なし。【正史】寒門の出ながら自力で太学に通い、農耕に励みながら学問を修めた。袁紹軍の高幹から招聘されても応じなかったが、曹操軍の梁習に推挙されると喜んで応じた。南和県長として治績を挙げると、博陵太守、幽州刺史に抜擢される。その後、曹丕の功曹となり、魏の建国後は中央の重職を歴任。晩年、三公に推挙されるも辞退し、83歳で亡くなった。
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