武将

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【三国志14】曹彰の武将能力値紹介

曹彰(ソウショウ) 統率83 武力90 知力40 政治35 魅力71 曹操の三男。母は卞氏。曹丕の弟。曹植、曹熊の兄。武芸に秀で、素手で猛獣を倒した。ひげが黄色かったことから、「黄鬚児」と曹操に呼ばれた。任城王。【演義】代郡で反乱を起こした烏桓を平定した後、劉備軍との漢中攻防戦に参加。劉備軍の呉蘭を討ち取るが、戦況は変わらず、結局、曹操軍は漢中から撤退した。曹操の死後、大軍を率いて上京するが、賈逵に説得され、兵権を返上して領地に戻った。【正史】曹操から読書を課せられても、前漢の名将・衛青や霍去病のように武功を立てることを望んだ。
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【三国志14】成公英の武将能力値紹介

成公英(セイコウエイ) 統率73 武力70 知力80 政治62 魅力68 韓遂の武将。【演義】記述なし。【正史】韓遂が曹操に敗れて夏侯淵に追撃された時、羌族を頼って難をしのぎ、夏侯淵が撤退した後に勢力を挽回する策を献じた。夏侯淵が帰還し、かつて韓遂の部下だった閻行が残ると、韓遂と共に羌軍を率いて攻撃。しかし、その最中に韓遂が死んだため、曹操軍に降伏した。黄初年間、隴右[ロウユウ]で異民族の伊健妓妾[イケンギショウ]、治元多[チゲンタ]らが反乱を起こすと、涼州刺史・張既と共に鎮圧に当たるが病死した。
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【三国志14】曹純の武将能力値紹介

曹純(ソウジュン) 統率76 武力71 知力62 政治40 魅力73 曹操の武将。曹仁の弟。【演義】赤壁の戦いの後、曹仁と共に南郡を守った。周瑜の攻勢を幾度か退けるが、周瑜の偽葬儀にだまされ、おびき出されたところを撃破された。その間、南郡は劉備軍の趙雲に奪われた。【正史】精鋭騎兵「虎豹騎」を率いる。南皮包囲戦では袁譚を討ち、白狼山の戦いでは烏桓の蹋頓を捕らえた。長坂の戦いでは劉備軍を追走し、物資や敗残兵を接収。赤壁の戦い後は、曹操に従って譙に帰還し、間もなく死亡。学問好きで学者を敬愛した。
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【三国志14】成宜の武将能力値紹介

成宜(セイギ) 統率73 武力71 知力40 政治45 魅力52 韓遂の武将。【演義】曹操に殺された馬騰の復讐戦に臨む馬超と韓遂に呼応し、長安を攻め落とす。渭水の戦いで、渭水北岸にあった曹操の陣営に夜襲をかけるが見破られ、夏侯淵に斬られた。【正史】後漢末、長安以西(関中)に勢力を張った軍閥の一角。211年、曹操が西征の動きを見せると、馬超や韓遂と共に挙兵する。しかし、賈詡の離間の計によって馬超と韓遂が対立。そこを曹操軍に攻められ、李堪と共に敗死した。
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【三国志14】倉慈の武将能力値紹介

倉慈(ソウジ) 統率68 武力37 知力68 政治84 魅力83 魏の官僚。【演義】記述なし。【正史】曹操が淮南で屯田を始めた際に登用され、綏集[スイシュウ]都尉に任じられた。曹丕の代に長安県令に転じると、清廉で簡潔な統治で官民に慕われた。曹叡の代には敦煌太守に昇進。当時、敦煌は豪族たちが跋扈する無法地帯だったが、豪族たちの力を抑えつつ、貧民救済、土地の再分配、裁判の公正化、胡族との交易促進などに尽力し、多くの民に徳望を称えられた。
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【三国志14】鄒丹の武将能力値紹介

鄒丹(スウタン) 統率61 武力64 知力34 政治37 魅力39 公孫瓚の武将。【演義】記述なし。【正史】公孫瓚から漁陽の太守に任命される。元劉虞配下の鮮于輔らが推す閻柔と対立。閻柔が率いる烏桓と鮮卑の連合軍に敗れ、斬られた。
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【三国志14】臧洪の武将能力値紹介

臧洪(ゾウコウ) 統率68 武力49 知力73 政治76 魅力80 後漢の武将。【演義】記述なし。【正史】広陵太守の張超に才能を評価され、郡の功曹となって太守の実務を執った。董卓が洛陽を蹂躙した際、張超に決起を促す。決起に集まった諸侯が盟約を結ぶ際、誓約の言葉を述べる役割を担い、立派に果たした。のちに張超の窮地を袁紹が見逃したため袁紹と対立し、捕らえられて殺された。
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【三国志14】鄒靖の武将能力値紹介

鄒靖(スウセイ) 統率72 武力65 知力66 政治56 魅力68 後漢の武将。【演義】黄巾の乱に際し、幽州太守・劉焉に義勇軍を募って討伐するよう提案して採用される。その後、応募してきた劉備、関羽、張飛らを率いて青州の黄巾賊を打ち破った。劉備らが盧植の援護に向かうと、別行動を取った。【正史】黄巾の乱で、劉備らを引き連れて黄巾賊討伐戦に参加したという記述があるのみ。正史では、劉焉は幽州に赴任しておらず、鄒靖が劉焉に仕えていたという記述はない。
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【三国志14】鄒氏の武将能力値紹介

鄒氏(スウシ) 統率4 武力6 知力54 政治55 魅力72 董卓の武将・張済の妻。【演義】夫の張済が南陽攻撃中に死亡すると、甥の張繍の下に身を寄せた。197年、張繍が曹操に降伏した際、南陽に進駐した曹操に見初められた。以後、曹操は鄒氏の屋敷に入り浸りになり、激怒した張繍は曹操を攻撃。曹操を守った典韋や曹昂はここで落命した。【正史】張繍が降伏した際、曹操の側室となる。このことを張繍が不快に思っていると聞いた曹操は密かに張繍を討つ計画を練った。しかし、計画が事前に漏れ、張繍に急襲された曹操は大敗した。
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【三国志14】曹洪の武将能力値紹介

曹洪(ソウコウ) 統率79 武力81 知力44 政治35 魅力54 曹操の従弟。【演義】陳留で挙兵した曹操に従軍し、董卓討伐戦に参加。滎陽[ケイヨウ]で曹操が徐栄に大敗した時、命懸けで曹操を救出する。その後も曹操に従って転戦し、黄巾残党の何曼や袁譚を討ち取った。渭水の戦いでは馬超に潼関を奪われ、曹操に斬られそうになるが、曹操が馬超に追いつめられた時に身を挺して救出し、曹操から感謝された。その後は漢中に駐屯し、劉備軍と激戦を繰り広げた。【正史】曹丕からの借金を断って不和になり、曹丕が即位すると免職された。曹叡の代に復職し、驃騎将軍となる。
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