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【三国志14】石苞の武将能力値紹介

石苞(セキホウ) 統率69 武力71 知力57 政治53 魅力62 魏、晋の武将。【演義】諸葛誕が反乱を起こした際、司馬昭が指揮する反乱鎮圧軍に参加。諸葛誕の救援に来た呉の軍勢を、鍾会の計に従い、伏兵で大破した。司馬炎が晋王になると、驃騎将軍に任ぜられた。【正史】同じく農民の出だった鄧艾と共に郭玄信の御者となり、2人とも大臣まで出世するだろうと評価された。同じ頃、管輅と出会い、陰陽の術について説明を求めたことがある。長安で鉄売りをしている時に司馬懿に見出され、青州刺史や鎮東将軍を歴任した。
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【三国志14】曹節の武将能力値紹介

曹節(ソウセツ) 統率36 武力4 知力68 政治70 魅力82 曹操の娘。姉に曹憲、妹に曹華。献帝の皇后。【演義】曹操暗殺計画が露見し伏皇后が殺された翌215年元旦、曹操の奏上により皇后に立てられる。兄の曹丕が献帝に禅譲を迫った際、「父(曹操)はそのようなことはなさらなかった」と曹丕の不忠を罵った。【正史】姉の曹憲、妹の曹華と共に献帝に嫁ぎ、後に皇后となる。曹丕の命で玉璽を受け取るための使者が遣わされて来ると、泣きながらこれを投げ捨てた。以降、山陽公夫人となる。260年死去。葬儀は漢の制度に則って行われた。
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【三国志14】曹性の武将能力値紹介

曹性(ソウセイ) 統率54 武力74 知力38 政治27 魅力34 呂布の武将。【演義】兗州を巡る曹操軍との戦いに参加するが、兵糧調達中に呂布が敗れたため、呂布と共に徐州に落ち延びた。曹操軍が徐州に侵攻すると、迎撃。夏侯惇の左目を射るが、なおも戦い続ける夏侯惇に討ち取られた。【正史】呂布に仕える郝萌の配下。郝萌が袁術と通じて呂布に謀反すると、郝萌と戦い、負傷しながらも郝萌の片腕を斬り落とした。郝萌が高順に討たれると、郝萌の部隊の統率を任された。夏侯惇は呂布軍と交戦中、流れ矢で左目を失ったとあり、曹性が射たという記述はない。
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【三国志14】石韜の武将能力値紹介

石韜(セキトウ) 統率40 武力34 知力70 政治75 魅力65 諸葛亮の友人。【演義】諸葛亮の留守中、その庵で友人の孟建と酒を飲んでいた際、三顧の礼で庵を訪れた劉備と出会っている。【正史】諸葛亮・徐庶・孟建らと同じく、司馬徽の門下生。諸葛亮からは「仕官すれば刺史か郡守になれるだろう」と評されている。のち荊州が曹操の手に落ちると帰順し、徐庶らと共に魏に仕えたとされる。
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【三国志14】曹仁の武将能力値紹介

曹仁(ソウジン) 統率90 武力87 知力58 政治46 魅力78 曹操の従弟。【演義】陳留で挙兵した曹操に従い、以後、曹操軍の主力として各地を転戦。李典と共に新野の劉備軍を攻めた際は「八門金鎖の陣」を敷いて戦うが、徐庶に敗れ、逆に樊城を奪われた。赤壁の戦いの後は、南郡の守備を任される。侵攻してきた周瑜を負傷させながらも、諸葛亮の計略で城を奪われ撤退した。その後、関羽が襄陽に侵攻すると、満寵と共に樊城に籠もって抗戦し、徐晃が来援して関羽が撤退するまで守り抜いた。【正史】法の運用で曹丕から信頼され、大司馬まで昇った。
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【三国志14】石鑒の武将能力値紹介

石鑒(セキカン) 統率70 武力60 知力73 政治67 魅力22 魏、晋の武将。【演義】記述なし。【正史】寒門の出ながら志高く、魏に仕えていた時は御史中丞などを歴任し、転じて并州刺史、護匈奴中郎将に任命された。晋成立後も重職を歴任したが、秦州、涼州での鮮卑討伐で論功行賞を偽って罷免。のち復帰して鎮南将軍となるも、呉との戦いで首級の数を多めに報告して再び罷免された。その後、またも復帰を果たし、晩年は太尉にまで昇進した。
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【三国志14】曹真の武将能力値紹介

曹真(ソウシン) 統率88 武力74 知力68 政治72 魅力89 曹操の族子。曹邵[ソウショウ]の子(秦伯南説も)。【演義】曹丕が呉を討伐した時、夏侯尚と共に南郡を攻撃した。曹丕の臨終の際は、陳羣、司馬懿と共に後事を託される。蜀の諸葛亮が北伐を開始し、夏侯楙が迎撃に失敗すると、大都督となり防衛に当たった。蜀軍の長安への侵攻は阻止したが、諸葛亮や司馬懿の才には及ばず、心労から病を得、諸葛亮に書状で挑発されて憤死した。【正史】曹邵が曹操の身代わりとなって死んだため、曹操に引き取られ、曹丕と兄弟同然に育てられた。蜀との戦いの後に病死するが、諸葛亮の書状に関する記述はない。
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【三国志14】成廉の武将能力値紹介

成廉(セイレン) 統率63 武力73 知力36 政治23 魅力34 呂布の武将。【演義】呂布の配下で活躍した八健将の一人。序列は将のうち五位。濮陽での戦いで曹操を追いつめたが、典韋に敗れた。楽進に射られ、戦死する。【正史】呂布が長安から追われた後、これに従って張燕を攻める。呂布と共にわずかな供回りのみで、張燕の本陣に一日数度もの波状突撃を行い、撃破したという。下邳での戦いで曹操に敗れて捕虜になり、以降の記述はない。
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【三国志14】曹植の武将能力値紹介

曹植(ソウショク) 統率20 武力22 知力81 政治70 魅力80 曹操の四男。母は卞氏。曹丕、曹彰の弟。曹熊の兄。建安文学を代表する詩人。臨淄侯[リンシコウ]。陳王。【演義】曹操から才能を愛され、曹丕と後継の座を争った。楊脩の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊脩の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。【正史】「贈白馬王彪」「野田黄雀行」「洛神賦」などの遺作がある。「洛神賦」は甄氏への想いを詠ったとも。
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【三国志14】盛曼の武将能力値紹介

盛曼(セイマン) 統率61 武力68 知力66 政治51 魅力56 呉の武将。【演義】記述なし。【正史】建平太守。蜀が滅びた直後の264年、陸抗、歩協、留平らと共に軍勢を率いて旧蜀領へ侵攻し、巴東で羅憲を包囲する。しかし、魏の胡烈が2万の兵を率いて羅憲の救援に来たため、撤退した。
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