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【三国志14】於夫羅の武将能力値紹介

於夫羅(オフラ) 統率71 武力68 知力22 政治38 魅力51 南匈奴の単于。羌渠[キョウキョ]の子。呼廚泉の兄。劉豹の父。【演義】記述なし。【正史】父・羌渠が単于になると、於夫羅は右賢王に立てられた。黄巾の一派である白波賊と合流し、太原郡や河内郡など各地を荒らしていた。袁術と曹操の匡亭の戦いでは、黒山賊と共に袁術を助けたが、曹操軍に大敗した。
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【三国志14】夏侯儒の武将能力値紹介

夏侯儒(カコウジュ) 統率68 武力53 知力67 政治68 魅力58 魏の武将。夏侯尚の従弟。【演義】記述なし。【正史】はじめ曹彰の司馬を務め、涼州で反乱が起きると張既に従った。のち都督となって荊州の守備を任される。241年、呉の朱然が樊城を包囲したとき救援に赴いたが、兵が少なかったため交戦はせず、司馬懿の援軍が届くと軍を合わせて朱然を退却させた。
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【三国志14】夏侯氏の武将能力値紹介

夏侯氏(カコウシ) 統率14 武力6 知力52 政治60 魅力63 夏侯淵の姪。夏侯覇の従妹。張飛の妻。劉禅の皇后・張氏の母。【演義】記述なし。【正史】200年、13、4歳の時、たきぎを取りに出かけたところを張飛に捕らえられ、張飛の妻となる。219年、夏侯淵が戦死すると、遺体を埋葬するように願い出た。後に蜀に亡命した夏侯覇は、夏侯氏と縁戚だったため厚遇され、車騎将軍まで昇進した。
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【三国志14】王朗の武将能力値紹介

王朗(オウロウ) 統率47 武力35 知力79 政治81 魅力50 王粛の父。後漢の会稽太守。【演義】厳白虎と共に孫策と戦うが敗れ、曹操に仕える。曹丕の代に御史大夫となり、華歆らと共に献帝に位を譲るよう強要。その功で司空となり、曹叡の代には司徒となる。諸葛亮の北伐で夏侯楙が敗れると、曹真を推薦して自らも従軍。陣頭で諸葛亮との論戦に敗れ、憤死した。【正史】経書に通じ、陶謙に招かれ会稽太守となる。曹操から招集されると、曲阿から長江と海を行ったり来たりして数年がかりで上京した。曹真に従軍し諸葛亮との論戦に敗れたという記述はなく、天寿を全うしている。
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【三国志14】夏侯玄の武将能力値紹介

夏侯玄(カコウゲン) 統率54 武力39 知力75 政治92 魅力65 魏将・夏侯尚の子。曹爽の従兄弟。清談家。【演義】李豊、張緝と共に、曹芳から司馬師誅殺を命じられるが、司馬師に密書を発見される。李豊らと共に市場で腰斬の刑に処せられ、三族皆殺しにされた。【正史】曹爽が政権を握ると高職を歴任し、優れた功績は後世の手本となった。244年、曹爽と共に蜀を攻めるが、費禕に敗れた。曹爽が司馬懿に討たれると、曹爽と密接だったことから厚遇されなくなる。李豊、張緝と共に司馬氏打倒を謀るが露見して殺された。同じく司馬氏に反乱を起こした諸葛誕、毌丘倹らとも親しかった。
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【三国志14】王連の武将能力値紹介

王連(オウレン) 統率17 武力9 知力69 政治82 魅力66 蜀の官僚。【演義】諫議大夫。自ら南蛮征伐に赴かんとする諸葛亮を再三いさめるが、聞き届けられなかった。【正史】劉璋の代に蜀に入り、梓潼の令となる。劉備の益州平定後も各地の県令を任され、治績を挙げた。のち司塩校尉として塩鉄の専売を管理し、国庫の収入を大きく増加させた。劉禅即位後、自ら南蛮征伐に赴かんとする諸葛亮を再三いさめ、その存命中は諸葛亮が出陣することはなかった。
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【三国志14】夏侯献の武将能力値紹介

夏侯献(カコウケン) 統率40 武力36 知力64 政治68 魅力65 魏の官僚。夏侯家の出だが、一族との関係は不詳。【演義】記述なし。【正史】曹叡が危篤に陥った際、曹宇、曹爽、曹肇、秦朗と共に曹芳を補佐するよう遺命を受ける。しかし、劉放と孫資の進言で、曹叡は曹芳の後見を曹爽と司馬懿に変更し、政争に敗れた夏侯献は曹宇らと共に免職された。
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【三国志14】王累の武将能力値紹介

王累(オウルイ) 統率28 武力30 知力78 政治77 魅力72 劉璋の従事。【演義】張松が劉備の迎え入れを献策すると強く反対。聞き入れようとしない劉璋が涪城[フジョウ]に赴いて劉備を迎えようとすると、城門から逆さ吊りになり命を賭していさめる。しかし、劉璋を止めることはできず、自ら綱を切って死んだ。【正史】劉備の迎え入れに反対し、城門に逆さ吊りになって劉璋をいさめたとあるのみ。
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【三国志14】夏侯恵の武将能力値紹介

夏侯恵(カコウケイ) 統率50 武力44 知力75 政治73 魅力68 魏将・夏侯淵の子。夏侯覇、威の弟。夏侯和の兄。【演義】夏侯淵の三男。諸葛亮が五丈原に出陣した際、司馬懿に抜擢され、弟の夏侯和と共に行軍司馬となる。上方谷[ジョウホウコク]では諸葛亮の筋書き通りに蜀軍に連勝し、司馬懿が罠に陥る一因となる。五丈原の戦いでは、諸葛亮の木像に驚いて逃走する司馬懿を、夏侯覇と共になだめた。【正史】幼い頃から才能と学問を称賛され、楽安太守などを歴任。鍾毓としばしば議論を戦わせ、多くの場合、夏侯恵の意見が採用された。37歳で死亡。
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【三国志14】王淩の武将能力値紹介

王淩(オウリョウ) 統率74 武力64 知力71 政治83 魅力73 後漢の司徒・王允の甥。司馬朗、賈逵と仲がよかった。【演義】記述なし。【正史】王允が李傕に殺された時、脱出して郷里に帰る。曹操に任用され丞相府に入り、曹丕即位後、兗州刺史となった。張遼と共に孫権を牽制して功績を挙げ、征東将軍として対呉戦線で活躍。241年、芍陂[シャクヒ]に侵入した全琮を破って司空となり、司馬懿が曹爽を倒すと太尉に昇進。甥の兗州刺史・冷孤愚と共に、曹芳を廃して楚王・曹彪を擁立する計画を立てるが発覚し、降伏後、毒を飲んで死んだ。連座した者は三族処刑された。
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