三国志13

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【三国志13】雷銅 の武将能力値紹介

雷銅(ライドウ) 統率69 武力78 知力51 政治37 劉備の武将。【演義】劉璋に仕える。劉備が蜀に攻め入ると、呉懿、呉蘭らと共に雒城[ラクジョウ]の張任を救援した。落鳳坡で龐統を戦死させるなど、劉備軍を苦しめるが、荊州から諸葛亮らが来援し、形勢が逆転。呉蘭ともども捕らえられ降伏した。劉備の蜀平定後は張飛と共に巴西を守備。曹操との漢中攻防戦で、張郃を一度は伏兵で破る。しかし、再戦では逆に伏兵に遭い、張郃に突き殺された。【正史】劉璋の配下という記述はない。218年、呉蘭と共に武都を攻めたが、曹操軍に全滅させられ、敗死した。
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【三国志13】楊欣 の武将能力値紹介

楊欣(ヨウキン) 統率61 武力68 知力61 政治58 魏の金城太守。【演義】263年、鍾会と鄧艾による蜀討伐戦に参加。鄧艾の指揮下で姜維と戦い、甘松の蜀軍陣地を焼き払った。【正史】晋代に涼州刺史となり、敦煌を統治していた令狐宏[レイココウ]を斬った。278年、涼州に攻め寄せた鮮卑の若羅拔能[ジャクラバツノウ]と戦い、敗死した。
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【三国志13】呂蒙 の武将能力値紹介

呂蒙(リョモウ) 統率93 武力81 知力89 政治78 呉の武将。【演義】孫策の死後、孫権に仕える。赤壁の戦い、南郡攻略戦に参加した後、濡須口に出城を築くよう進言。合肥[ガッピ]で呉軍が大敗した時、この出城が役に立つ。219年、陸遜の計略に従い、関羽を油断させて荊州を攻略。関羽を討つが、間もなく関羽の霊にたたられ、死んだ。【正史】孫策に取り立てられる。孫権に学問を勧められて高い学識を得、魯粛を「呉下の阿蒙にあらず」と驚かせた。215年、長沙、零陵、桂陽を攻略し、劉備に湘水以東の領有を認めさせる。関羽討伐後、間もなく病死した。
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【三国志13】廖化 の武将能力値紹介

廖化(リョウカ) 統率73 武力76 知力69 政治49 黄巾の武将。後に劉備に仕える。別名、廖淳、廖惇。【演義】関羽の千里行に登場し、劉備の夫人を救出。劉備が南荊州に拠点を置くと劉備の配下となり、関羽と共に荊州を守る。219年、関羽が麦城で包囲されると、単騎で脱出。劉封と孟達に援軍を求めるが拒まれ、成都に向かった。その後、諸葛亮や姜維の北伐に参加。263年、鄧艾と鍾会の軍勢を、姜維と共に剣閣で防ぐ。しかし、成都が陥落したため降伏。間もなく病死した。【正史】関羽敗死後は呉にいたが、死んだと偽って蜀に戻った。蜀の滅亡後、洛陽に護送される途中で病死。
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【三国志13】劉禅 の武将能力値紹介

劉禅(リュウゼン) 統率34 武力19 知力30 政治35 蜀の第2代皇帝。後主。劉備の子。母は甘氏。幼名の阿斗は、甘氏が北斗七星を呑む夢を見て懐妊したことから。【演義】長坂坡の戦いで糜氏に抱かれて逃げ、趙雲に救出された。孫氏(尚香)が呉に帰ろうとした時、呉に連れていかれそうになるが、趙雲と張飛に奪還される。劉備の死後、第2代皇帝として即位。諸葛亮、蒋琬、費禕らに政権を委ねる。しかし、その後は宦官の黄皓を用いて政治を荒廃させた。263年、鄧艾に成都を包囲され降伏。翌年、洛陽に移されて安楽公となり、長寿を全うした。【正史】後世、幼名の「阿斗」は無能者を指す言葉となる。
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【三国志13】李勝 の武将能力値紹介

李勝(リショウ) 統率12 武力22 知力29 政治69 魏の官僚。曹爽の腹心。【演義】曹爽が政権を握ると、河南尹となり政治に参画。荊州刺史に転任する際、司馬懿の様子を探るために屋敷を訪問。重病の振りをした司馬懿の演技を真に受け、曹爽に「司馬懿はもう長くはない」と報告。この報を受けた曹爽は油断し、巻狩りに出てしまう。その間に司馬懿に政権を奪われ、捕らえられて処刑された。【正史】風雅で才知があると評され、何晏と並んで曹爽に信用された。しかし、曹叡からは疎まれ、官職を剥奪された。
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【三国志13】楊鋒 の武将能力値紹介

楊鋒(ヨウホウ) 統率54 武力62 知力53 政治40 銀冶洞[ギンヤドウ]二十一洞の洞主。【演義】孟獲が諸葛亮率いる蜀の南征軍に連敗すると、密かに諸葛亮と通じる。5人の息子と3万の精兵を率いて孟獲軍に加勢し、歓迎の宴席で美女の剣舞を披露。油断した孟獲と朶思大王を捕らえ、諸葛亮に引き渡した。【正史】記述なし。
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【三国志13】楊儀 の武将能力値紹介

楊儀(ヨウギ) 統率68 武力40 知力82 政治79 蜀の幕僚。【演義】諸葛亮の北伐に参加。相次ぐ出兵による兵の消耗を懸念し、231年の北伐では、兵を二交代制にするよう進言した。諸葛亮が五丈原で陣没すると、丞相代理となって撤退を指揮し、諸葛亮の遺策に従って魏延を斬った。成都に帰還後、中軍師となるが、自分よりも経歴の短い蒋琬が諸葛亮の後継者となった不満を費禕にぶつける。劉禅に通報され、漢嘉郡に流された後、自害した。【正史】偏狭な性格で、劉巴、魏延と対立した。諸葛亮には才覚を買われたが、性格が災いし後継者から外された。
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【三国志13】呂尚 の武将能力値紹介

呂尚(リョショウ) 統率97 武力50 知力100 政治96 周の軍師。斉の始祖・太公。号を「太公望」。姜族の出身とされる。渭水で釣りをしていたところを周の文王に見出され、軍師となる。文王死後はよく武王を補佐して富国強兵に努め、「師尚父」と尊称された。やがて商と周の抗争が表面化すると、諸侯の信頼を得ながら、商討伐を敢行。商の紂王[チュウオウ]を牧野の戦いで破り、商周易姓革命を実現させる。後に、その功によって斉侯に封ぜられると、能力主義による人材登用を行い、経済政策を重視して強国・斉の基盤を築き上げた。武経七書の一つ「六韜」は、呂尚の著作とされる。
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【三国志13】呂布 の武将能力値紹介

呂布(リョフ) 統率91 武力100 知力26 政治13 三国志最強の武将。丁原、董卓の養子となる。【演義】董卓から赤兎馬を贈られ、丁原を斬って寝返る。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称され、無類の強さを誇った。その後、王允の連環の計にはまり、貂蝉を巡って董卓を殺すが、李傕らに都を奪われる。袁術、袁紹、張楊らを頼って各地を放浪し、曹操が東征中に空けていた兗州を強奪。曹操に追われると、今度は保護を受けた劉備から徐州を奪った。しかし、最期は曹操と劉備の連合軍に下邳で包囲され、配下の侯成らに裏切られて処刑された。【正史】董卓の侍女と密通し、王允の企みに参画した。
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