三国志13

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【三国志13】諸葛恪 の武将能力値紹介

諸葛恪(ショカツカク) 統率72 武力47 知力90 政治80 呉の官僚。諸葛瑾の長子。諸葛喬の兄。諸葛亮の甥。【演義】聡明さを孫権に愛され、太子・孫登の学友となる。陸遜の死後に実権を握り、孫権が死ぬと孫亮を即位させた。その直後、魏の司馬師の攻撃を受けるが撃退に成功。余勢を駆って合肥新城を攻め、今度は夏の炎暑で敗退。敗戦の責任を他になすりつけて身の安全を図るが、孫峻、滕胤らに暗殺された。諸葛瑾は生前、諸葛恪は聡明すぎて諸葛家の災いになると予見していた。【正史】孫権の臨終の際、孫峻から他に並ぶ者がない大才と称された。親しかった滕胤は暗殺に加わっていない。
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【三国志13】土安 の武将能力値紹介

土安(ドアン) 統率53 武力82 知力30 政治16 烏戈国の王・兀突骨の武将。【演義】蜀軍に六度捕らえられて六度解放された孟獲は、帯来洞主の進言で烏戈国の兀突骨に援軍を要請する。土安は兀突骨らと共に藤甲軍3万を率いて出陣。藤甲軍が火に弱いことを見抜いた諸葛亮の計略によって盤蛇谷に誘い込まれ、火攻めを受けて焼死した。【正史】記述なし。
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【三国志13】蒋琬 の武将能力値紹介

蒋琬(ショウエン) 統率78 武力34 知力84 政治93 蜀の官僚。諸葛亮、費禕、董允と共に蜀の「四相」。【演義】劉備が益州の劉璋に苦戦していた頃、諸葛亮と共に益州に同行した。諸葛亮の南蛮制圧にも従い、街亭の戦いでは馬謖を斬ろうとする諸葛亮をいさめた。その後、諸葛亮が北伐を続ける間、成都からの後方支援に尽力。諸葛亮が死ぬと遺言で後継者に指名され、丞相、大将軍・録尚書事となった。【正史】諸葛亮が死んでも、蒋琬だけが動じなかった。魏の公孫淵が反乱を起こしたのに乗じて、漢中から水軍で魏興、上庸を襲撃する作戦を立案するが、病のため断念。
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【三国志13】曹節 の武将能力値紹介

曹節(ソウセツ) 統率36 武力2 知力75 政治77 曹操の娘。姉に曹憲、妹に曹華。献帝の皇后。【演義】曹操暗殺計画が露見し伏皇后が殺された翌215年元旦、曹操の奏上により皇后に立てられる。兄の曹丕が献帝に禅譲を迫った際、「父(曹操)はそのようなことはなさらなかった」と曹丕の不忠を罵った。【正史】姉の曹憲、妹の曹華と共に献帝に嫁ぎ、後に皇后となる。曹丕の命で玉璽を受け取るための使者が遣わされて来ると、泣きながらこれを投げ捨てた。以降、山陽公夫人となる。260年死去。葬儀は漢の制度に則って行われた。
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【三国志13】朱桓 の武将能力値紹介

朱桓(シュカン) 統率85 武力82 知力77 政治56 呉の武将。朱異の父。「呉の四姓」朱家の出。【演義】孫策の死後、孫権に招かれた。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、濡須で曹仁を迎撃。空城の計で曹仁軍をおびき寄せ、諸葛虔[ショカツケン]、王双を破り、常雕[ジョウチョウ]を斬る。石亭の戦いでは全琮と共に陸遜軍の都督となり、曹休軍に大勝して張普を討ち取った。【正史】山越の反乱鎮圧に活躍し、周泰の後を受けて濡須督となった。孫権が帝位に即くと前将軍、青州牧となる。気位が高く、他人の指図を嫌った。作戦を巡って全琮と対立し、狂気を理由に建業に帰還したこともある。
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【三国志13】満寵 の武将能力値紹介

満寵(マンチョウ) 統率85 武力64 知力82 政治84 曹操の幕僚。【演義】劉曄の推挙で、呂虔と共に曹操に仕える。その後、毛玠を推挙。樊城で曹仁が関羽に包囲された時は、水攻めを受け逃走しようとする曹仁を叱咤し、関羽を撃退した。234年、呉が三路から魏に攻め寄せると、曹叡と共に巣湖へ出陣し、夜襲と火攻めで呉軍を大破した。【正史】袁紹との戦いでは、袁紹の本籍である汝南の太守となり、袁紹の後方撹乱を防いだ。曹丕即位後は対呉戦線の重鎮となる。225年、曹丕が呉を攻めた際は、孫韶の夜襲を見破り、被害を抑えた。その後、太尉まで昇進。
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【三国志13】司馬望 の武将能力値紹介

司馬望(シバボウ) 統率78 武力58 知力83 政治71 魏の武将。司馬孚の子。司馬朗の養嗣子。【演義】258年、姜維が長城を攻めた際、王真、李鵬を率いて抗戦するが敗れ、鄧艾に助けられた。同年に、姜維が祁山[キザン]に出陣すると、鄧艾と共に迎撃。姜維が敷いた「長蛇捲地の陣」を見抜き、姜維と陣比べをした(諸葛亮の親友・崔州平、石広元と親交があったため、姜維が学んだ諸葛亮の兵法を知っていた)。263年、鄧艾と鍾会の蜀討伐戦が始まると、鄧艾の指令で羌族を牽制した。【正史】叔父の司馬朗の後を継いだ。魏では司徒、晋では義陽王に封ぜられ、太尉、大司馬を歴任した。
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【三国志13】方悦 の武将能力値紹介

方悦(ホウエツ) 統率68 武力80 知力44 政治46 河内[カダイ]太守・王匡に従う名将。【演義】反董卓連合に参加した王匡の配下として従軍した。虎牢関で呂布軍と激突。呂布が単騎で乗り込んでくると槍をしごいて迎え撃つ。しかし、5合もせずに討ち取られ、余勢を駆った呂布の前に王匡軍は大敗した。【正史】記述なし。
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【三国志13】崔林 の武将能力値紹介

崔林(サイリン) 統率32 武力22 知力66 政治78 魏の官僚。崔琰の従弟。【演義】記述なし。【正史】曹操が冀州を平定した後、召し出された。魏が建国されると御史中丞となり、曹丕が帝位に即くと尚書に任命された。後に幽州刺史となるが、上司にへつらわなかったため左遷され、惜しまれた。曹叡が即位すると光禄勲、司隷校尉となり、司空まで昇った。後に名士となる王経を平民の中から抜擢したことで、称賛を受けた。
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【三国志13】糜竺 の武将能力値紹介

糜竺(ビジク) 統率33 武力29 知力78 政治83 徐州の富豪。劉備の幕僚。糜芳の兄。妹は劉備に嫁ぐ。【演義】陶謙に仕えていたが、陶謙の死後は劉備に仕え、妹を劉備に嫁がせる。以後、各地を流浪する劉備を、孫乾と共に政治面や外交面で補佐。劉備の益州進攻時には荊州に残って関羽を補佐し、益州が平定されると安漢将軍に任ぜられた。220年、曹丕が漢を滅ぼして魏帝となると、諸葛亮らと共に、劉備に即位するよう勧めた。【正史】劉備の益州平定後の席次では諸葛亮を上回る厚遇を受けた。後に関羽が敗死すると、その原因が弟・糜芳の裏切りだったことを恥じ、間もなく病死した。
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