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【三国志13】曹訓 の武将能力値紹介

曹訓(ソウクン) 統率18 武力34 知力11 政治13 魏の重臣・曹真の子。曹爽、曹羲の弟。曹彦の兄。【演義】曹芳の代に、兄の曹爽が大将軍となり政権を掌握すると、武衛将軍となり近衛を統率した。249年、曹芳を伴い、曹爽らと共に巻狩りに出ている最中、司馬懿に政権を奪われる。曹芳を擁して司馬懿を討つよう桓範に勧められるが実行できず、「曹真は己の知謀に誇りを持っていたが、この兄弟はまるで豚だ」と嘆かれた。結局、曹爽一派は司馬懿に捕らえられ、皆殺しにされた。【正史】政権掌握後、放蕩ぶりを曹羲からいさめられるが、これは暗に曹爽をいさめたものだった。
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【三国志13】盛曼 の武将能力値紹介

盛曼(セイマン) 統率61 武力68 知力66 政治50 呉の武将。【演義】記述なし。【正史】建平太守。蜀が滅びた直後の264年、陸抗、歩協、留平らと共に軍勢を率いて旧蜀領へ侵攻し、巴東で羅憲を包囲する。しかし、魏の胡烈が2万の兵を率いて羅憲の救援に来たため、撤退した。
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【三国志13】沈瑩 の武将能力値紹介

沈瑩(シンエイ) 統率70 武力77 知力61 政治42 呉の武将。【演義】左将軍。晋が呉討伐戦を起こした時、張悌、諸葛靚と共に迎撃する。晋の大軍を見て、張悌に降伏を勧めるが、この戦いを死に場所と決めた張悌の覚悟を知って出陣。最後まで戦い抜き、周旨に討ち取られた。【正史】丹陽太守で、青巾兵と呼ばれる精鋭を率いた。晋軍が来襲すると、張悌、諸葛靚、孫震と共に迎撃。版橋で張喬を包囲して降伏させた後、張翰[チョウカン]、周浚と交戦。三度攻勢をかけるが勝てず、後退したところを薛勝、蒋班、張喬に攻められ敗北。王渾に斬られた。
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【三国志13】徐栄 の武将能力値紹介

徐栄(ジョエイ) 統率81 武力76 知力62 政治43 後漢の滎陽[ケイヨウ]太守。董卓の配下。【演義】長安に遷都する途中の董卓を出迎え、董卓を追撃してきた曹操を迎撃。李儒の作戦に従い伏兵で曹操を大破し、曹操の肩に矢を射当てるまで追いつめた。しかし、追撃中に曹操の救援に来た夏侯惇と遭遇し、数合で討ち取られた。【正史】董卓に同郡出身の公孫度を推薦し、公孫度は遼東太守になった。滎陽で曹操に大勝するが、曹操軍が少数にもかかわらず奮戦するのを見て容易には勝てないと判断し、追撃せずに帰還した。
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【三国志13】鍾毓 の武将能力値紹介

鍾毓(ショウイク) 統率32 武力12 知力71 政治76 魏の重臣・鍾繇の子。鍾会の兄。【演義】8歳の時、鍾会と共に曹丕に拝謁し、平然としていた鍾会とは対照的に、満面に汗をかいて恐縮した。【正史】諸葛亮が祁山[キザン]に進出した際、自ら迎撃しようとする曹叡をいさめた。後に曹爽が蜀に遠征し、夏の暑さで苦戦した際も撤兵を勧めた。他にも農民の賦役を軽減し、農業を振興するように上奏するなど、民の労苦を考慮した献策を続けた。御史中丞、侍中、廷尉、尚書、青州刺史などを歴任し、後に徐州や荊州の軍事を統括した。
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【三国志13】周瑜 の武将能力値紹介

周瑜(シュウユ) 統率95 武力71 知力96 政治86 孫策の義兄弟。妻は小喬。揚州の名士。【演義】孫策の江東進出戦に協力。孫策は死の間際、孫権に国外の事は周瑜と謀るよう遺言する。孫策の死後は孫権に仕え、魯粛を推挙した。曹操が江東に侵攻すると、劉備軍と結んで抗戦するよう主張。大都督となって孫権軍を率い、赤壁の戦いで曹操軍を大破する。その直後、曹操軍の江陵に進出するが、曹仁に苦戦し自らも負傷。結局、江陵は諸葛亮に奪われ、苦悶の内に死んだ。【正史】諸葛亮との謀略戦や狭量さは演義の虚構。赤壁での勝利も劉備軍への荊州南部委譲も周瑜の主導による。
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【三国志13】司馬孚 の武将能力値紹介

司馬孚(シバフ) 統率70 武力37 知力77 政治79 魏の官僚。司馬懿の次弟。司馬望の父。【演義】曹操の死後、曹丕の即位に貢献し、尚書、尚書令を歴任。司馬懿が曹爽から政権を奪った際は司馬懿に協力した。司馬師が曹芳を廃すと、郭太后の意をくんで曹髦を擁立するよう提案。その曹髦が司馬昭派の賈充に討たれると、遺体を膝に抱いて号泣し、王の格式で葬ることを司馬昭に許可させた。司馬炎が即位した際、安平王に封ぜられるが拒否し、魏臣としての立場を貫いた。【正史】諸葛恪の合肥新城攻めで防衛戦を指揮。鄧艾の後続部隊として、姜維の北伐軍とも交戦した。
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【三国志13】蔡瑁 の武将能力値紹介

蔡瑁(サイボウ) 統率70 武力70 知力77 政治72 劉表の武将。劉表の後妻・蔡氏の弟。【演義】袁術の指示で孫堅が劉表を攻めた際、孫堅と戦い敗れるが、劉表の縁戚だったため許される。劉備が劉表を頼って新野に入ると、蔡氏と共に劉備暗殺を企んだ。劉表が死ぬと、遺言を偽造し甥の劉琮を後継者にする。しかし、曹操が南下の動きを見せたため、劉琮に降伏を指示し、曹操から水軍都督に任ぜられた。孫権軍との戦いの前に水軍を整備し、その威容で周瑜を驚かせるが、周瑜の計略によって内通を疑われ、張允と共に殺された。【正史】劉琮は姪の夫。曹操に殺される描写はない。
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【三国志13】呉質 の武将能力値紹介

呉質(ゴシツ) 統率16 武力29 知力68 政治57 魏の官僚。朝歌の県長。曹丕と親交があった。【演義】曹植と後継を争う曹丕から相談を受け、つづらに隠れて曹丕の館に出入りした。曹植派の楊脩に密告されるが、それを逆手に取り、絹を入れたつづらを曹丕の屋敷に入れ、見張りに検問させた。報告を受けた曹操は楊脩が曹丕を陥れようとしたと思い込み、楊脩を疎んじた。【正史】出征する曹操を見送る際、美辞麗句を並べる曹植と対照的に、曹丕に無言の涙を流させ、曹操の歓心を得させた。曹丕の即位後、傲慢な態度を取り、死後、一時期醜侯と呼ばれた。魏を代表する文人の1人。
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【三国志13】公孫範 の武将能力値紹介

公孫範(コウソンハン) 統率73 武力69 知力66 政治62 公孫瓚の従弟。【演義】記述なし。【正史】袁術軍に味方した公孫越(公孫瓚の従弟)が陽城で袁紹軍の周昂に敗死すると、公孫瓚の反撃を恐れた袁紹から友好の証として渤海太守の印綬を与えられる。しかし、袁紹になびかず、公孫瓚に助勢して青州と徐州の黄巾賊を破り、界橋に進軍した。公孫瓚が界橋の戦いで敗れた後、共に渤海から薊に退却し駐屯。薊に居所を置いていた劉虞との仲が険悪になった。
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