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【三国志13】朱讃 の武将能力値紹介

朱讃(シュサン) 統率66 武力71 知力38 政治36 魏の盪寇[トウコウ]将軍。【演義】大将軍・曹真に従って、諸葛亮の第一次回北伐を迎撃し、副先鋒を務める。諸葛亮の計略に二度敗れ、趙雲に討ち取られた。【正史】曹真と同郷の出身。曹操に仕えたが若くして死亡し、遺児には曹真からも領土が分け与えられた。
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【三国志13】杜預 の武将能力値紹介

杜預(ドヨ) 統率89 武力30 知力86 政治80 晋の武将。杜畿の孫、杜恕の子。司馬懿の女婿。【演義】羊祜の遺言で鎮南大将軍、都督荊州諸軍事に任ぜられる。279年、呉討伐軍を指揮し、江陵、武昌を連破。呉を降伏させた。その際、慎重論を唱える胡奮に「竹を割るような勢いで進軍すれば、呉は戦わずに降伏する」と諭したことが「破竹の勢い」の語源となる。「春秋左氏伝」を愛読し、「左伝癖」と自称した。【正史】父の杜恕が司馬懿と対立したため、政界への参加は遅かった。鍾会の蜀討伐戦に副官として参戦。著作に「春秋左氏経伝集解」がある。馬術、武術は不得手。
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【三国志13】典満 の武将能力値紹介

典満(テンマン) 統率51 武力73 知力39 政治26 曹操の武将。典韋の子。【演義】197年、宛城における張繍との戦いで、父の典韋が曹操を守って戦死すると、側近として曹操の館に引き取られた。【正史】曹丕が王位に即くと、都尉に任ぜられた。
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【三国志13】陳登 の武将能力値紹介

陳登(チントウ) 統率79 武力64 知力81 政治80 徐州の名士。陳珪の子。【演義】陶謙と、その後を継いだ劉備に仕える。劉備が袁術討伐に出陣した際、張飛と共に下邳を守るが、張飛が泥酔した隙を突かれ、呂布に城を奪われた。その後は陳珪と共に呂布に仕えながら、呂布を陥れて劉備を復権させるための策謀を巡らせる。後に、徐州に入った劉備に協力して曹操の徐州刺史・車胄を討つが、劉備が曹操に敗れて袁紹を頼ると、徐州を曹操に献じた。【正史】呂布討伐の功績で曹操から伏波将軍に任ぜられ、広陵に侵攻した孫策軍をたびたび撃退した。39歳で急逝。
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【三国志13】張苞 の武将能力値紹介

張苞(チョウホウ) 統率78 武力87 知力48 政治46 張飛の長男。張紹の兄。張遵の父。関興の義兄。【演義】張飛が部下の范彊[ハンキョウ]、張達に殺され、范彊らが呉に逃げ込むと、劉備の指揮下に入って呉討伐軍に加わる。その先陣争いで関興と義兄弟の契りを結び、2人で協力して緒戦で勝利。呉から送り返された范彊と張達を斬って父の仇を討った。しかし、劉備軍は夷陵の戦いで陸遜に大敗を喫する。その後、諸葛亮の北伐に参加。第3次北伐で魏の郭淮、孫礼を追撃中に谷底に転落し、その傷が原因で死亡した。【正史】若くして死に、弟の張紹が後を継いだとあるのみ。
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【三国志13】張郃 の武将能力値紹介

張郃(チョウコウ) 統率89 武力89 知力73 政治57 魏の武将。もと袁紹の配下。【演義】官渡の戦いで袁紹に従軍。烏巣が曹操に急襲されると、郭図の策に従い高覧と共に曹操の本営を攻めるが敗退。郭図に責任をかぶされ、やむなく曹操に降った。その後、魏将として各地を転戦。漢中の張魯を攻めた際は夏侯淵と共に先鋒となる。劉備との漢中攻防戦では張飛に大敗し、曹洪に斬られそうになった。諸葛亮が北伐を起こすと、街亭で馬謖を破るなど蜀軍を苦しめるが、第4次北伐の際、木門道[ボクモンドウ]で戦死した。【正史】黄巾の乱では、韓馥の指揮下で鎮圧に当たった。
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【三国志13】戴陵 の武将能力値紹介

戴陵(タイリョウ) 統率70 武力75 知力39 政治48 魏の武将。【演義】229年、諸葛亮が三度目の北伐を起こして、祁山[キザン]に進出すると、張郃の副将として迎撃に当たる。司馬懿の作戦に従って蜀軍の陣を攻めるが逆に包囲され、張郃に助けられた。翌年、司馬懿の指揮下で蜀領に侵攻し、諸葛亮と司馬懿の陣比べに参加。張虎、楽綝と共に諸葛亮の八卦陣[ハッケジン]を攻めるが破れず、捕らえられると裸にされて追い返された。【正史】曹丕の狩猟好きをいさめ、怒りを買って処刑されそうになるが、一等減刑されて助かった。
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【三国志13】孫冀 の武将能力値紹介

孫冀(ソンキ) 統率60 武力67 知力51 政治60 呉の武将。【演義】左将軍。晋を攻めようとする孫晧をいさめた陸抗が兵権を奪われると、代わって軍の統率を任された。【正史】記述なし。陸抗は病死するまで兵権を奪われたことはなく、演義にあるような交代劇は記述されていない。
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【三国志13】曹植 の武将能力値紹介

曹植(ソウショク) 統率33 武力22 知力81 政治70 曹操の四男。母は卞氏。曹丕、曹彰の弟。曹熊の兄。建安文学を代表する詩人。臨淄侯[リンシコウ]。陳王。【演義】曹操から才能を愛され、曹丕と後継の座を争った。楊脩の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊脩の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。【正史】「贈白馬王彪」「野田黄雀行」「洛神賦」などの遺作がある。「洛神賦」は甄氏への想いを詠ったとも。
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【三国志13】薛珝 の武将能力値紹介

薛珝(セツク) 統率17 武力15 知力68 政治72 呉の官僚・薛綜の子。薛瑩の兄。【演義】呉で政権を牛耳った孫綝誅殺を祝う蜀からの使者に対する答礼のため、蜀へ向かう。帰還後、蜀は宦官の黄皓が政権を掌握し、それをいさめる者はなく、国土は疲弊していると、呉帝・孫休に報告した。【正史】守大匠(建設大臣代行)となり、呉帝・孫晧から、清廟(孫晧の父・孫和を祀った廟)の正殿と奥殿の造営を命じられた。269年、虞汜、陶璜らと共に合浦[ガッポ]から交趾[コウシ]に攻め込み、その帰途で病死した。
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