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【三国志13】焦触 の武将能力値紹介

焦触(ショウショク) 統率65 武力76 知力33 政治32 袁煕の武将。【演義】曹操が袁譚を滅ぼすと、同僚の張南と共に曹操に降伏する。袁煕の下に逃げ込んだ袁尚を曹操が攻撃した際は、他の降将と共に袁尚兄弟を追走した。その後は曹操の南征に参加。長坂坡の戦いでは劉禅を抱いて逃げる趙雲を包囲するが、突破を許す。赤壁の戦いの緒戦で張南と共に孫権軍に挑むが、韓当に槍で突き殺された。演義ではこの人物を烏丸触と誤記している箇所がある。【正史】曹操に鞍替えする前、諸郡の太守や県の令長を集め曹操に味方することを強要した。
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【三国志13】朱鑠 の武将能力値紹介

朱鑠(シュシャク) 統率32 武力35 知力55 政治66 魏の中領軍。曹丕の「四友」のひとり。【演義】記述なし。【正史】魏の太子であった曹丕と親しく、司馬懿、陳羣、呉質とともに「四友」と呼ばれた。宴席で友人の呉質から曹真の肥満体と自らの痩身を揶揄されると、地面を斬りつけて怒りを露わにした。
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【三国志13】司馬懿 の武将能力値紹介

司馬懿(シバイ) 統率97 武力63 知力98 政治91 魏の重臣。司馬師、昭の父。司馬炎の祖父。晋の宣帝。【演義】荊州の関羽が襄陽を攻撃した際、孫権と同盟して関羽を攻める策を献じた。曹丕の信任を受け、曹叡の代には雍州と涼州の軍事を統括。諸葛亮と馬謖の計略で謀反を疑われ、一度は職を解かれるが、諸葛亮が北伐を始めると復職。以後、諸葛亮が五丈原で陣没するまで、蜀軍を防ぎきった。また、遼東で公孫淵が自立すると、電撃的な速さで遠征し、討伐した。曹芳の代、曹爽の陰謀で実権を奪われるが、249年、曹爽を討伐して政権を奪取。【正史】王淩の反乱を平定後、洛陽で死去。晋の礎を築いた。
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【三国志13】姫平 の武将能力値紹介

姫平(キヘイ) 統率78 武力62 知力79 政治80 戦国時代の燕の君主。燕の昭王。父王が宰相の子之に王位を禅譲したことで、燕国は内乱状態となる。国内が混乱しているところを斉軍に蹂躙され、燕は一旦滅亡の憂き目を見た。王に即位して燕国を復活させた姫平は、富国強兵と斉への復讐のために人材が必要と考え、郭隗に共に国政を司ることができる賢人の紹介を依頼。その際の「まず隗より始めよ」という郭隗の進言を容れたことで、各地から楽毅や劇辛らの有為の士が集まった。姫平は民と甘苦を同じくして、没落していた燕を再興させ、全盛期を築き上げた。
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【三国志13】関純 の武将能力値紹介

関純(カンジュン) 統率62 武力42 知力61 政治69 韓馥の幕僚。【演義】関純の名で登場。公孫瓚が冀州を攻めると聞いて動揺した韓馥の命を受け、袁紹を冀州に招き入れる使者となる。ただし、袁紹の狙いが冀州の乗っ取りだと看破していた関純は耿武と共に袁紹暗殺を画策。冀州に入った袁紹を待ち伏せしたが、文醜に返り討ちにされた。【正史】韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとした際、耿武、李歴、沮授らと共に反対した。袁紹が冀州に入った後も耿武と共に韓馥を護衛していたが、袁紹の命を受けた田豊に密かに暗殺された。
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【三国志13】胡烈 の武将能力値紹介

胡烈(コレツ) 統率73 武力67 知力72 政治65 魏の武将。胡遵の子。胡奮の弟。胡淵の父。【演義】鍾会の蜀討伐戦に参加。蜀の降伏後、鍾会が姜維と共に謀反を起こした時、同調を拒んで投獄される。もと配下だった丘建の手引きで胡淵らが鍾会と姜維を討ち、難を免れた。【正史】諸葛誕の反乱鎮圧軍に参加し、呉の朱異が守る兵糧を焼き討ちした。蜀討伐戦では田続、龐会と共に姜維を包囲し、姜維からの降伏の書状を受け取った。鍾会と姜維の謀反を鎮圧した後、西陵で陸抗に包囲された羅憲を救援し、陸抗を撃退した。襄陽太守、荊州刺史を歴任。
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【三国志13】孔融 の武将能力値紹介

孔融(コウユウ) 統率30 武力5 知力73 政治75 後漢の官僚。孔子の20代目の子孫。建安七子の1人。【演義】北海太守。曹操の呼びかけに応じて董卓討伐戦に参加した諸侯の1人。その後、黄巾残党の管亥らに北海で包囲されるが、太史慈の活躍で難を逃れる。同じ頃、曹操から攻められた陶謙の救援要請を受け、劉備と共に駆けつけた。曹操が献帝を擁した後、都に戻る。曹操が新野の劉備攻撃を発令すると、「至不仁(曹操)が至仁(劉備)に勝てるはずがない」と漏らし、処刑された。【正史】平原の陶丘洪、陳留の辺讓と並び称された俊才。しかし、政治の実務には疎く北海を維持できなかった。
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【三国志13】高順 の武将能力値紹介

高順(コウジュン) 統率88 武力87 知力60 政治46 呂布の武将。【演義】濮陽を巡る曹操軍との戦いで活躍するが、定陶で呂布が敗れたため、陳宮と共に呂布の家族を守って徐州に逃れた。劉備が留守にしていた下邳を呂布が奪った後は小沛に駐屯。その後、曹操と結託した陳登の謀略で小沛を奪われ、下邳で曹操軍に包囲される。侯成らの裏切りによって呂布と共に捕らえられ、命乞いをする呂布とは対照的に言葉を発せず、潔く斬られた。【正史】攻撃した相手は必ず打ち破り、「陥陣営」と呼ばれた。呂布に忠言を続けたが、聞き入れられなかった。
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【三国志13】嬀覽 の武将能力値紹介

嬀覽(キラン) 統率55 武力70 知力58 政治41 呉の武将。丹陽太守・孫翊の配下。【演義】丹陽郡の督将。孫翊は気性が激しく酒を好み、酔うと士卒を鞭打った。嬀覧は戴員とともに孫翊を殺害しようと常に狙っており、孫翊の従者・辺洪を仲間に引き入れ、酒宴の後で辺洪に孫翊を殺させた。その後、辺洪ひとりに罪を着せて処刑し、孫翊の財産を戴員と山分けする。嬀覧は孫翊の妻・徐氏に我が物となるように迫ったが、徐氏に仇討ちの依頼を受けた孫翊の旧将・孫高と傅嬰に殺され、孫翊の霊前に首を供えられた。【正史】嬀覧は孫権が殺した呉郡太守・盛憲の故吏であった。
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【三国志13】関彝 の武将能力値紹介

関彝(カンイ) 統率50 武力62 知力44 政治52 関羽の子・関興の庶子。蜀の漢寿亭侯。【演義】関興の嫡子・関統に子がなかったため、関統の死後に関羽の爵位を受け継ぐ。蜀の滅亡後、益州での独立を図った鍾会の反乱に巻き込まれ、魏の兵士に殺された。【正史】蜀が滅亡すると、鄧艾と鍾会の蜀討伐戦に参加した龐会(関羽に討たれた龐徳の子)によって関羽の血統は根絶やしにされた。
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