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【三国志13】張紹 の武将能力値紹介

張紹(チョウショウ) 統率23 武力56 知力31 政治59 蜀の官僚。張飛の次男。張苞の弟。【演義】張飛の死後、夷陵に出陣した兄の張苞に代わり、領地を守った。後に私署侍中、尚書僕射となる。263年、魏の鄧艾に綿竹関を突破されると、劉禅の決断に従い、譙周、鄧良と共に玉璽を鄧艾に渡して降伏を申し出た。蜀の滅亡後、張峻と共に国内諸郡を回って、抵抗を続ける軍民に降伏を説いた。翌年、譙周、樊建、郤正と共に劉禅に付き従って洛陽に移った。【正史】兄の張苞が若くして死んだので、後を継いだ。蜀の降伏後、劉禅の洛陽行きには同行していない。
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【三国志13】曹奐 の武将能力値紹介

曹奐(ソウカン) 統率30 武力28 知力30 政治45 魏の燕王・曹宇の子。演義では曹丕の孫だが、正史では曹操の孫に当たる。常道郷公。魏の第5代皇帝・元帝。元の名は曹璜[ソウコウ]。【演義】260年、第4代皇帝・曹髦が殺されると、司馬昭に迎えられて皇帝に即位し、曹奐と改名した。265年、司馬昭の子・司馬炎に譲位を強要される。情けを請うが聞き入れられず、賈充、裴秀の勧めによって禅譲を決意した。こうして魏は滅び、曹奐自身は陳留王となった。【正史】禅譲後は鄴に移住した。
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【三国志13】朱儁 の武将能力値紹介

朱儁(シュシュン) 統率84 武力66 知力70 政治71 後漢の官僚。【演義】張角が黄巾の乱を起こすと、何進の命令で盧植、皇甫嵩と共に乱の鎮圧に当たる。曹操、劉備、孫堅らの加勢を得て張宝を破り、乱の鎮圧に貢献。その功績から車騎将軍、河南尹となるが、宦官への賄賂を拒んだため罷免された。董卓の死後、李傕と郭汜が政権をつかんだ時に招聘され太僕となる。後に仲違いした李傕と郭汜に和睦を勧めるが捕らえられ、釈放された後、病死した。【正史】黄巾の乱では孫堅を指揮下に加えて勇戦し、乱平定後、孫堅を昇進させた。董卓の長安遷都には反対した。
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【三国志13】皇甫闓 の武将能力値紹介

皇甫闓(コウホガイ) 統率72 武力52 知力63 政治56 魏の武将。【演義】蜀討伐の際、鍾会に従う将の一人として名を挙げられている。【正史】鍾会に従い、魏の蜀討伐に参戦。味方の鄧艾が綿竹で諸葛瞻らを討ち取ると、姜維率いる蜀軍は退却の動きを見せる。そこで鍾会は、皇甫闓ら配下の諸将を動かして蜀軍の退路を断ち、姜維に降伏を促した。
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【三国志13】胡班 の武将能力値紹介

胡班(コハン) 統率55 武力55 知力59 政治50 桓帝に仕えた胡華の子。曹操の滎陽[ケイヨウ]太守・王植の従事。【演義】曹操に降伏した関羽が、劉備の下に帰参するため滎陽を通った際、王植の命で焼き討ちしようとする。しかし、関羽は胡華の書状を持っており、自らも関羽の人柄に惚れたため見逃す。後に関羽を頼って荊州に移った。劉備が漢中王となり、関羽が五虎将軍に任ぜられると、関羽の代理として成都に派遣され、爵位を受け取った。【正史】記述なし。
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【三国志13】関統 の武将能力値紹介

関統(カントウ) 統率63 武力60 知力61 政治63 関羽の孫。関興の子。【演義】記述なし。【正史】関興の後を継ぎ、公主(内親王)を娶って、官位は虎賁中郎将まで登った。死後、子がなかったので、関興の庶子・関彝が後を継いだ。
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【三国志13】霍弋 の武将能力値紹介

霍弋(カクヨク) 統率73 武力69 知力69 政治74 霍峻の子。蜀の建寧太守。演義では霍戈[カクカ]。【演義】鄧艾によって成都が陥落すると、喪服を着用し成都に向かって3日間泣き続けた。劉禅の安全が確認されるまで降伏を拒み、劉禅が安楽公に封ぜられたことを知ると、部下を率いて投降した。【正史】劉禅の太子舎人。諸葛亮の北伐時、諸葛喬と各地を巡察した。その後、黄門侍郎、安南将軍を歴任。蜀が降伏した時、羅憲と共に一地方を保ち、軍を挙げて降ったため、司馬昭から称賛された。晋の南中都督となり、交趾[コウシ]、日南、九真の3郡を平定した。
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【三国志13】王渾 の武将能力値紹介

王渾(オウコン) 統率74 武力71 知力63 政治74 王昶の子。王沈の従兄弟。魏、晋に仕えた。【演義】晋の侍中。王濬が呉討伐を上表した時、あと1年様子を見て呉の疲弊を待つべきと進言。司馬炎が呉討伐を決意すると安東大将軍となり、長江を下って進軍した。【正史】呉討伐戦で張悌、沈瑩を斬り、王濬と功績を争う。司徒まで昇り、一族も高職に就いた。
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【三国志13】龐徳 の武将能力値紹介

龐徳(ホウトク) 統率89 武力94 知力75 政治44 馬超の腹心。後に張魯、曹操に仕える。【演義】馬騰が曹操に暗殺されると、馬超に従い復讐戦を挑む。馬超と韓遂が仲違いして敗北すると、馬超、馬岱と共に漢中の張魯を頼る。馬超らが劉備に降った後も張魯の下に残り、漢中へ攻め寄せた曹操軍と抗戦。勇猛を称えられ、戦後、曹操に重用された。樊城が関羽に包囲されると、于禁と共に救援に向かう。于禁が降伏しても戦い続けるが、周倉に捕らえられ、関羽に斬られた。【正史】馬超が鍾繇と共に郭援を討った時、郭援を斬る。樊城では関羽の額に矢を射当て、白馬将軍と恐れられた。
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【三国志13】田豊 の武将能力値紹介

田豊(デンポウ) 統率72 武力29 知力93 政治87 袁紹の参謀。【演義】袁紹が冀州を制圧すると、冀州の統治に当たる。曹操との決戦が迫ると長期戦を主張するが、聞き入れられなかった。官渡の戦い直前も短期決戦に反対し、士気をくじくとして投獄される。袁紹が官渡の戦いで敗れると、逢紀に「田豊が獄中で笑っている」と訴えられ、処刑を命じられる。しかし、死を悟っていた田豊はすでに獄中で自害していた。荀彧の評は「剛直で上司に逆らう」。【正史】曹操が張繍と戦っている間に献帝を奪還する策を献じたが、採用されなかった。
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