武将 | 読み | 性別 | 生年 | 没年 |
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顧雍(元歎) | コヨウ(ゲンタン) | 男 | 168 | 197 |
顧雍の能力値
統率 | 武力 | 知力 | 政治 |
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43 | 18 | 80 | 88 |
槍兵 | 騎兵 | 弓兵 | 重臣特性 | 伝授特技 | 戦法 | 理想威名 |
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C | C | C | 合理徹底 | 農業 | 防御強化 | 高論卓説 |
顧雍の列伝
呉臣。顧邵、顧譚、顧承の父。「呉の四姓」顧家の出。
三国志演義では
張紘の推挙で孫権に仕え、太守の職務を代行する。赤壁の戦いの開戦前は、張昭と共に曹操との交戦に反対した。夷陵の戦いの前、孫権が曹丕に臣従して呉王に封ぜられた際には、他人の爵位を受けることはないと反対。229年、孫権が帝位に即くと、丞相に就任した。
正史では
蔡邕[サイヨウ]の門下。225年に丞相の孫邵[ソンショウ]が死ぬと、周囲は張昭を後任に推したが、孫権は顧雍を任用した。終始寡黙で、特に政策に反対の時は発言しなかった。顧雍が黙っていると孫権は考えを改めた。