三国志14

武将

【三国志14】司馬懿の武将能力値紹介

司馬懿(シバイ) 統率99 武力63 知力96 政治92 魅力90 魏の重臣。司馬師、昭の父。司馬炎の祖父。晋の宣帝。【演義】荊州の関羽が襄陽を攻撃した際、孫権と同盟して関羽を攻める策を献じた。曹丕の信任を受け、曹叡の代には雍州と涼州の軍事を統括。諸葛亮と馬謖の計略で謀反を疑われ、一度は職を解かれるが、諸葛亮が北伐を始めると復職。以後、諸葛亮が五丈原で陣没するまで、蜀軍を防ぎきった。また、遼東で公孫淵が自立すると、電撃的な速さで遠征し、討伐した。曹芳の代、曹爽の陰謀で実権を奪われるが、249年、曹爽を討伐して政権を奪取。【正史】王淩の反乱を平定後、洛陽で死去。晋の礎を築いた。
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【三国志14】士孫瑞の武将能力値紹介

士孫瑞(シソンズイ) 統率24 武力13 知力65 政治73 魅力67 後漢の尚書僕射。【演義】王允が董卓暗殺を企てた際、董卓を宮中に誘い込む策を提案した。【正史】のち献帝が長安を脱したのに同行するが、弘農で李傕、郭汜の軍勢に追いつかれて殺された。
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【三国志14】史蹟の武将能力値紹介

史蹟(シセキ) 統率53 武力62 知力32 政治18 魅力22 呉の武将。【演義】夷陵の戦いで、劉備率いる蜀軍が押し寄せた際、潘璋の指揮下で迎撃に出る。先陣を任され、黄忠と遭遇すると、黄忠を老将と侮って打ちかかり、ものの三合で討ち取られた。【正史】記述なし。
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【三国志14】士燮の武将能力値紹介

士燮(シショウ) 統率53 武力31 知力78 政治90 魅力89 後漢の臣。【演義】記述なし。【正史】父の死後、交阯太守となる。孫権が交阯を支配するとその配下となった。都より離れた土地で権勢をほしいままにし、多くの献上品を孫権に贈った。
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【三国志14】士祗の武将能力値紹介

士祗(シシ) 統率63 武力58 知力42 政治52 魅力43 呉の交趾太守・士燮の次男。士廞の弟。士徽の兄。【演義】記述なし。【正史】父の死後、弟の士徽と共に孫権に反抗する。呂岱の言葉を信じて降伏するが、油断したところを捕まり、殺された。
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【三国志14】師纂の武将能力値紹介

師纂(シサン) 統率61 武力71 知力54 政治46 魅力15 魏の武将。【演義】鄧艾の指揮下で姜維の北伐軍と戦う。鄧艾と鍾会が蜀討伐戦を起こすと、鄧艾に従って陰平の間道を越え、綿竹関を攻撃。鄧忠ともども一度は諸葛瞻に敗れるが、再戦して綿竹関を攻略した。劉禅を降伏させた後、益州刺史に任ぜられた。【正史】鄧艾軍の武将だったが、蜀が降伏した後、鍾会、胡烈らと結託し、鄧艾が謀反を起こす気配があると奏上した。しかし、鄧艾親子が衛瓘や田続に斬られた際、一緒に殺される。
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【三国志14】胡遵の武将能力値紹介

胡遵(コジュン) 統率77 武力73 知力52 政治50 魅力63 魏の武将。胡烈の父。胡淵の祖父。【演義】司馬懿の公孫淵討伐で先鋒を務めた。後に征東将軍となる。孫権が死ぬと、王昶、毌丘倹と共に呉を討伐するよう、司馬師の命を受ける。しかし、東興城を攻撃中に丁奉の奇襲を受け、配下の桓嘉らを討ち取られて大敗した。後に毌丘倹が反乱を起こすと、王基、鄧艾らと協力して鎮圧した。【正史】張既に召し出された。223年、匈奴の胡薄居姿職[コハクキョシショク]が反乱を起こすと、司馬懿の命を受け鎮圧する。征東大将軍、衛将軍、車騎将軍を歴任した。
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【三国志14】施朔の武将能力値紹介

施朔(シサク) 統率38 武力65 知力45 政治21 魅力50 呉の武衛士。【演義】実権を握っていた孫綝が武昌に駐屯した際、魏邈と共に「孫綝に謀反の動きがある」と呉帝・孫休に奏上した。丁奉の計画で張布が孫綝を討った後、丁奉、魏邈と協力して孫綝の弟たちを捕らえた。【正史】孫綝が武昌に駐屯したいと願い出た時、孫綝が謀反を企てている証拠をつかんだと孫休に報告した。
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【三国志14】伍習の武将能力値紹介

伍習(ゴシュウ) 統率53 武力64 知力42 政治28 魅力32 郭汜の武将。【演義】郭汜を裏切って殺し、その首を曹操に献上し、長安の守護を命じられる。【正史】献帝を長安から洛陽へ護送する途中、郭汜は献帝の独占を目論んで伍習に宿所を襲撃させるが、楊奉、楊定らに阻止される。情勢が悪化すると、伍習は郭汜を裏切って殺害した。
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【三国志14】士廞の武将能力値紹介

士廞(シキン) 統率50 武力38 知力55 政治68 魅力60 呉の交趾太守・士燮の長男。士祗、士徽の兄。【演義】記述なし。【正史】父が孫権に帰順した時、人質として呉に入り、武昌太守に任命された。弟の士徽が謀反を起こすと庶民に落とされ、のち病死した。
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