三国志14

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【三国志14】孫震の武将能力値紹介

孫震(ソンシン) 統率67 武力70 知力48 政治44 魅力54 呉の武将。孫賁の孫。孫鄰の子。孫述の弟。孫歆の兄。【演義】記述なし。【正史】無難の督となる。晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩、諸葛靚と共に迎撃に当たり、版橋で張喬を包囲して降伏させる。しかし、張翰[チョウカン]、周浚と交戦中に、沈瑩の部隊が薛勝、蒋班、張喬の攻撃を受けて壊滅したため、総崩れとなり敗北。捕らえられて王渾に斬られた。
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【三国志14】趙娥の武将能力値紹介

趙娥(チョウガ) 統率44 武力74 知力66 政治30 魅力64 酒泉の烈女。龐娥、龐娥親とも。【演義】記述なし。【正史】李寿に父を殺されると、3人の弟と共に復讐を計画。弟がいずれも疫病で倒れ、李寿がもう安全だと油断していることを聞き、1人でも復讐を遂げることを誓う。179年、白昼堂々と李寿を討ち取ると、その足で役所に自首。法に従い罰してほしいと訴えたが、聞き入れられずに釈放された。話を伝え聞いた涼州刺史・周洪、酒泉太守・劉班らは、いずれも趙娥に敬意を表し、その義挙を称えて石碑を建てさせたという。
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【三国志14】孫尚香の武将能力値紹介

孫尚香(ソンショウコウ) 統率67 武力80 知力57 政治56 魅力80 孫堅の娘。母は呉国太。孫策、孫権、孫翊、孫匡の異母妹。孫朗の実妹。武勇に優れ、「弓腰姫」とも。【演義】209年、劉備を呉に囲い込むための策略で、劉備と結婚させられる。しかし、本人も母の呉国太も劉備を気に入り、劉備が荊州に帰還する際は付き従って、劉備を捕らえようとする呉将を退けた。212年、孫権から呉国太危篤との偽りの報を受け、劉禅を連れて呉に帰ろうとするが、劉禅は趙雲と張飛に連れ戻される。後に劉備が夷陵で戦死したと伝えられ、長江に身を投げた。【正史】呉に戻った後の記述はない。
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【三国志14】張華の武将能力値紹介

張華(チョウカ) 統率43 武力27 知力83 政治88 魅力66 晋の官僚。【演義】司馬炎と碁を打っている最中に杜預から呉討伐の上奏があり、杜預に同調して作戦実行を勧めた。晋軍が連勝する中、賈充が長期戦を警戒して一度退却を命じるように進言した際、あとひと押しだから攻撃を続行する方がよいと述べ、司馬炎は攻撃を続行した。【正史】名書家として有名。陳寿は張華に認められて、「三国志」の編纂に当たった。また、博学多才で「博物志」を著している。恵帝の時に侍中、司空などを歴任したが八王の乱で趙王・司馬倫に殺された。
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【三国志14】張温の武将能力値紹介

張温(チョウオン) 統率17 武力10 知力69 政治77 魅力74 呉の官僚。「呉の四姓」張家の出。【演義】孫策の死後、後を継いだ孫権に招かれる。赤壁の戦いの前、劉備と孫権の同盟締結のために来訪した諸葛亮に論戦を挑もうとするが、黄蓋に止められた。劉備の死後、蜀と呉の同盟を結ぶために来訪した蜀の鄧芝への返礼の使者として、蜀を訪れる。孫権の威光を損ねまいとするが蜀の秦宓に言い負かされ、諸葛亮に仲裁された。【正史】外交で蜀の士から高評を得、帰国後は蜀の政治を称えた。これが孫権の気に障り、官吏の綱紀粛正に失敗して自害した曁艶[キエン]の責任を取らされ、失脚した。
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【三国志14】孫松の武将能力値紹介

孫松(ソンショウ) 統率48 武力55 知力41 政治35 魅力69 孫堅の孫。孫翊の子。孫権の甥。【演義】記述なし。【正史】人との交わりを愛し、よく人に施しをするのを好んだ。孫権に特に可愛がられ、射声校尉、都郷侯に任じられる。巴丘に駐屯していた時、兵士の訓練を怠っていたことを陸遜に問題にされた。
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【三国志14】張横の武将能力値紹介

張横(チョウオウ) 統率59 武力70 知力23 政治24 魅力49 韓遂の武将。【演義】馬超と韓遂が、曹操に謀殺された馬騰の復讐のために挙兵すると、同調して長安、潼関を攻略した。渭南にあった曹操の陣を攻めた際、落とし穴にはまり、同僚の程銀と共に戦死した。【正史】211年に馬超、侯選、程銀、李堪、梁興、成宜、馬玩、楊秋、韓遂らと共に10万の軍勢を率いて曹操に反乱を起こすが敗れた。
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【三国志14】孫邵の武将能力値紹介

孫邵(ソンショウ) 統率17 武力33 知力79 政治83 魅力71 呉の重臣。【演義】記述なし。【正史】はじめ孔融の功曹となり、「廊廟[ロウビョウ]の才」があると評された。のち江東に入って劉繇に身を寄せ、孫策死後、孫権が江東をまとめるようになると孫権に仕えた。朝廷への対応など、よく孫権に献策し、廬江太守、車騎将軍長史に昇進。孫権が呉王になると張昭を差し置いて初代丞相に任命された。
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【三国志14】張琰の武将能力値紹介

張琰(チョウエン) 統率51 武力39 知力30 政治41 魅力42 弘農郡の豪族。【演義】記述なし。【正史】205年、一時は曹操に臣従していた高幹が曹操に反逆すると、衛固、張白騎らと共に呼応。しかし、当時、池[ベンチ]太守だった賈逵の策で兵士を騙し取られ、到着した曹操軍に討ち取られた。
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【三国志14】孫韶の武将能力値紹介

孫韶(ソンショウ) 統率80 武力78 知力73 政治69 魅力72 呉の武将。孫河(兪河。孫策から孫姓を得る)の甥。【演義】孫権が兪家からもらった養子。224年、曹丕が呉に侵攻すると、徐盛に従って迎撃する。しかし、命令に従おうとしなかったため徐盛に処刑されそうになり、孫権の取りなしで助かる。徐盛の交戦中に単独で魏軍を奇襲して曹丕の水軍を壊滅させ、徐盛に次ぐ功績を得た。【正史】17歳で孫河の兵を受け継ぎ、京城を守った。孫権が帝位に即くと、鎮北将軍として魏に備え、数十年間、国境を守る。斥候を巧みに使って敵の動静をつかみ、ほとんど敗戦しなかった。後に幽州牧となる。
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