三国志14

武将

【三国志14】呂岱の武将能力値紹介

呂岱(リョタイ) 統率79 武力71 知力69 政治74 魅力65 呉の武将。【演義】大司馬。孫権の臨終の際、諸葛恪と共に枕元に呼ばれ、後事を託された。【正史】孫権が孫策の後を継いだ後、出仕して地方官を務めた。215年、呂蒙らと共に長沙、零陵、桂陽を攻略し、長沙に留まって鎮撫した。220年、歩騭の後を継いで交州刺史に就任。交趾太守・士燮の死後、士燮の息子の士徽を討って交州を平定した。潘濬の死後、陸遜と共に武昌に入り、荊州を守る。陸遜の死後は上大将軍、孫亮の代には大司馬となる。
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【三国志14】呂翔の武将能力値紹介

呂翔(リョショウ) 統率55 武力69 知力12 政治19 魅力25 袁尚の武将。後に曹操に仕える。演義では呂曠の弟。【演義】袁尚と袁譚が争った時、呂曠と共に先陣となる。しかし、袁譚が曹操に通じたのを知って、降伏。曹操から列侯に封ぜられる。壺関の戦いでは荀攸の策に従い、偽って降伏して高幹をおびき出した。曹操が南下を開始すると、曹仁の先鋒として新野の劉備を攻撃。張飛に返り討ちにされた。【正史】袁尚と袁譚が争っている間、呂曠と共に袁尚の下を離れ、曹操に降伏。新野攻めに加わったという記述はない。
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【三国志14】呂曠の武将能力値紹介

呂曠(リョコウ) 統率56 武力68 知力13 政治22 魅力21 袁尚の武将。後に曹操に仕える。演義では呂翔の兄。【演義】袁尚と袁譚が争った時、袁尚の先鋒として岑壁を斬った。しかし、袁譚が曹操に通じると、形勢不利と見て降伏。曹操から列侯に封ぜられ、袁尚側の馬延らを帰順させる。壺関では高幹に偽って降伏し、楽進、李典らの伏兵を成功させた。曹操が荊州に狙いを定めると、曹仁の指揮下で新野の劉備を攻めるが、趙雲に討たれた。【正史】袁尚と袁譚が争うようになると、呂翔と共に袁尚から背き、陽平に駐屯。その後、曹操に降った。新野攻めに加わったという記述はない。
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【三国志14】呂公の武将能力値紹介

呂公(リョコウ) 統率51 武力60 知力48 政治23 魅力42 劉表の武将。【演義】劉表が孫堅に攻められた時、蒯良に計略を授けられて山中に伏兵し、寡兵で突出してきた孫堅に石と矢を浴びせて討ち取った。そのまま敗走する孫堅軍を追撃したが、程普に出くわして突き殺された。【正史】演義と同様。程普に討ち取られたという記載はない。
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【三国志14】呂建の武将能力値紹介

呂建(リョケン) 統率60 武力71 知力35 政治30 魅力34 魏の武将。【演義】関羽が樊城[ハンジョウ]を包囲した際、徐晃の副将として従軍する。徐商と共に偃城の関平、四冢塞[シチョウサイ]の廖化を攻めた。【正史】演義と同様。
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【三国志14】呂虔の武将能力値紹介

呂虔(リョケン) 統率57 武力70 知力61 政治72 魅力59 曹操の武将。【演義】劉曄の推薦で、満寵と共に曹操に仕え、毛玠を推挙する。呂布との戦いでは薛蘭を射殺し、曹操の兗州奪還に貢献した。その後、官渡の戦い、赤壁の戦いなどに参加。224年、曹丕の呉討伐戦で許褚と共に中護軍として参加するが、大敗を喫した。【正史】曹操に登用されて泰山太守となり、精鋭を組織して済南の黄巾賊・徐和を鎮圧した。泰山を十数年治め、曹丕の即位後、徐州刺史に昇進。評判の高かった王祥に民政を委ね、世間から評価された。
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【三国志14】呂拠の武将能力値紹介

呂拠(リョキョ) 統率73 武力62 知力71 政治62 魅力64 呉の重臣・呂範の次子。【演義】252年、孫権の死に乗じて呉に攻め入った司馬昭の軍を迎撃。唐咨、留賛と共に、諸葛恪の指揮に従い魏軍を破った。その後、実権を握った孫綝に殺された。【正史】兄が早くに死んだため、呂範の死後、後を継ぐ。孫峻が政権を握ると、驃騎将軍に昇進し、孫峻の合肥攻めに同行した。256年にも魏を攻めるが、その途上で孫峻が病死。孫峻の従弟の孫綝が勝手に後を継いだことに激怒し、軍を率いて孫綝を廃そうとする。しかし、孫憲の軍に江都で阻まれ、自害。一族は皆殺しにされた。
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【三国志14】呂乂の武将能力値紹介

呂乂(リョガイ) 統率53 武力32 知力63 政治77 魅力51 蜀の武将。【演義】呂義の名で登場。はじめ劉璋に仕え、劉備が蜀を平定すると定遠将軍、漢中太守に任ぜられた。のちに諸葛亮が起こした北伐軍に参加。後軍において李恢の副将を務めた。【正史】劉備の益州平定に際し、塩府校尉に任じられた王連に招聘されて典曹都尉として出仕した。優れた政務が評価されて巴西、漢中、蜀郡の太守を歴任。のちに入朝し、董允の後任として尚書令となった。
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【三国志14】呂凱の武将能力値紹介

呂凱(リョガイ) 統率53 武力30 知力66 政治77 魅力72 蜀の官僚。【演義】南蛮攻略のため軍略図「平蛮指掌図」を作る。225年、孟獲が永昌郡に攻め入ると、太守の王伉を助けて籠城。諸葛亮が来援した際、「平蛮指掌図」を渡し、南蛮征伐の道案内となる。孟獲の降伏後、王伉と共に益州、越嶲[エッスイ]、牂牁[ソウカ]、永昌4郡を統治した。【正史】劉備の死後、孫権と通じて反乱を起こした雍闓から、味方するように再三要請されるが断る。諸葛亮が来援すると、忠義を称賛され、雲南太守に就任。その後、反乱を起こした異民族に殺された。
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【三国志14】廖立の武将能力値紹介

廖立(リョウリツ) 統率22 武力15 知力69 政治76 魅力25 蜀の官僚。【演義】自らの才能におごり、高い地位を与えぬ諸葛亮を中傷したため、庶民に落とされる。234年、諸葛亮が五丈原で陣没すると、召還の望みを絶たれ、嘆いた。【正史】劉備が南荊州を支配すると、召し出されて長沙太守となる。諸葛亮からは「龐統と並び、我が功業を補佐する者」と評された。215年、呂蒙に長沙、零陵、桂陽を奪われると、脱出して成都に戻り、巴郡太守に就任。劉備が漢中王になると侍中に任ぜられるが、劉禅の代には閑職に回され、朝政を批判。庶民に落とされた。
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