武将 【三国志14】王思の武将能力値紹介 王思(オウシ) 統率26 武力30 知力63 政治77 魅力28 魏の豫州刺史。【演義】記述なし。【正史】梁習と共に召し出された際、曹操に意見書を書いて逆鱗に触れたが、梁習が身代わりになって王思をかばい、王思もまた正直に名乗り出たことで曹操に感心され、二人揃って刺史に抜擢された。曹丕、曹叡の代にも高く評価され、曹芳の代には大司農に任ぜられた。細かいことにうるさい性格が老年になって悪化し、晩年は常にいらいらし、怒っていたという。 武将
武将 【三国志14】王嗣の武将能力値紹介 王嗣(オウシ) 統率58 武力43 知力61 政治74 魅力81 蜀の官僚。【演義】記述なし。【正史】功徳が顕著ということで孝廉に推挙され、西安囲[セイアンイ]督、山[ブンサン]太守となり、安遠将軍の位を加えられた。羌族に対して恩愛と信義をもって接したため、羌族は蜀に帰服し、蜀の北方国境は安定した。このため、姜維が北伐を行うと、羌族は毛織物や穀物を出して蜀軍を援助した。のち王嗣が姜維の北伐に従軍して流れ矢に当たって死去すると、その葬儀には数千人の羌族が参列した。 武将
武将 【三国志14】王粲の武将能力値紹介 王粲(オウサン) 統率6 武力3 知力79 政治80 魅力57 建安七子の一人。曾祖父、祖父が三公を務めた名門の出。【演義】若くして蔡邕に才能を評価された。戦乱を避けて荊州に移り劉表を頼る。劉表が死に劉琮が後を継ぐと、傅巽と共に曹操へ降伏するよう主張。曹操に仕えると傾倒するようになり、銅雀台落成の際は曹操を称える詩を詠んだ。後に、杜襲、衛凱[エイキ]、和洽[カコウ]と共に曹操を魏王に立てようとするが、荀攸に止められた。【正史】風采が上がらず、体はひ弱で大まかな性格のため、劉表には用いられなかった。魏建国後は侍中となる。記憶力に優れ、朝廷の古制復活や奏議起草に尽力した。 武将
武将 【三国志14】王渾の武将能力値紹介 王渾(オウコン) 統率78 武力76 知力72 政治74 魅力70 王昶の子。王沈の従兄弟。魏、晋に仕えた。【演義】晋の侍中。王濬が呉討伐を上表した時、あと1年様子を見て呉の疲弊を待つべきと進言。司馬炎が呉討伐を決意すると安東大将軍となり、長江を下って進軍した。【正史】呉討伐戦で張悌、沈瑩を斬り、王濬と功績を争う。司徒まで昇り、一族も高職に就いた。 武将
武将 【三国志14】王伉の武将能力値紹介 王伉(オウコウ) 統率72 武力60 知力61 政治62 魅力63 蜀の永昌太守。【演義】孟獲が雍闓、高定、朱褒らと組んで蜀に反乱を起こした時、同調しなかったため包囲される。諸葛亮が来援するまで、呂凱と共に城を死守し、諸葛亮から称賛された。【正史】雍闓の反乱が平定された後、諸葛亮から「絶縁の地にあって忠誠を尽くすこと十数年」と称賛され、永昌太守に任ぜられた。 武将
武将 【三国志14】王元姫の武将能力値紹介 王元姫(オウゲンキ) 統率24 武力18 知力80 政治72 魅力86 司馬昭の妻。王粛の娘。王朗の孫。【演義】司馬炎(晋の初代皇帝・武帝)と司馬攸の二子を生む。【正史】8歳で「詩経」や「論語」を暗唱するなど学問に優れ品行方正であったため、祖父の王朗からは男に生まれなかったことを惜しまれた。司馬昭に嫁ぎ、司馬炎ら5男1女をもうける。鍾会の反乱を予見し、重用しないよう司馬昭にたびたび告げていた。 武将
武将 【三国志14】王経の武将能力値紹介 王経(オウケイ) 統率65 武力63 知力68 政治75 魅力77 魏の雍州刺史。平民の出から名士となった。【演義】255年、姜維の北伐軍に狄道[テキドウ]で包囲されるが、陳泰と鄧艾の救援でしのいだ。曹髦から司馬昭討伐の密議を持ちかけられるといさめたが、聞き入れられなかった。同席した王業、王沈に出頭するよう勧められるが断り、母親ともども捕らえられる。死に場所を得られたと笑う母親と共に処刑され、一族も皆殺しにされた。【正史】崔林に抜擢された。母親から出世しすぎるのは不吉だと説かれながらも、昇進を続けた。処刑されたのは王経だけで母親は無事だった。 武将
武将 【三国志14】王業の武将能力値紹介 王業(オウギョウ) 統率32 武力6 知力35 政治68 魅力50 魏の臣。【演義】王経、王沈と共に曹髦から司馬昭暗殺の計画を持ちかけられる。3人で司馬昭に通報しようとするが王経は従わず、王沈と2人で出頭した。このため、曹髦と王経は討たれた。【正史】後に晋の中護軍となった。 武将
武将 【三国志14】王匡の武将能力値紹介 王匡(オウキョウ) 統率65 武力57 知力61 政治70 魅力80 後漢の河内太守。【演義】曹操の呼びかけに応じた反董卓連合諸侯の1人。軍議の席で誰か盟主を立てるべきだと提案し、袁紹が盟主となる。虎牢関攻めの先鋒となるが大将の方悦を呂布に討たれ、窮地に陥ったところを橋瑁と袁遺に救われた。【正史】施し好きの親分肌として知られ、何進に召された。董卓に敗れた後、泰山に戻って張邈との合流を図るが、曹操に討たれた。 武将
武将 【三国志14】王頎の武将能力値紹介 王頎(オウキ) 統率69 武力67 知力61 政治70 魅力68 魏の天水太守。【演義】鄧艾の蜀討伐に参加。牽弘と共に伏兵となって諸葛瞻を破り、綿竹を陥落させた。鄧艾が成都を制圧すると牽弘と共に益州各郡の太守に封ぜられた。【正史】毌丘倹の東方遠征に参加し、東方諸郡の太守を歴任。隣国と争っていた倭の女王・卑弥呼の要請を受けた際は、和解を促した。 武将