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【三国志14】胡沖の武将能力値紹介

胡沖(コチュウ) 統率20 武力18 知力58 政治71 魅力62 呉の官僚。中書令。胡綜の子。「呉歴」六巻を著す。【演義】記述なし。【正史】晋の呉侵攻で敗北が決定的になると、孫晧は降伏することを決める。胡沖は薛瑩と共に降伏文書を書き、司馬伷、王渾、王濬の元へ使者として赴いた。呉の滅亡後は、尚書郎、呉郡太守に任じられた。
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【三国志14】公孫晃の武将能力値紹介

公孫晃(コウソンコウ) 統率52 武力42 知力64 政治49 魅力67 公孫康の長男。公孫恭の甥。公孫淵の兄。【演義】公孫淵が燕王を称した際、兄として名前のみ紹介されている。【正史】叔父の命で洛陽に住み、魏から官位を得ていた。のち弟の公孫淵が叔父から遼東太守の地位を剥奪すると、いずれ弟は乱を起こすと曹叡に進言した。その後、公孫淵が燕王を称して実際に乱を起こすと、家族と共に拘束される。以前に進言していたこともあり、曹叡も公孫晃を助命するつもりだったが、廷臣たちの意見もあって処刑された。
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【三国志14】顧譚の武将能力値紹介

顧譚(コタン) 統率33 武力23 知力69 政治77 魅力75 呉の丞相・顧雍の孫。顧邵の長男。顧承の兄。【演義】記述なし。【正史】諸葛恪、張休、陳表と共に皇太子・孫登の学友となる。その優れた見識は並ぶ者がなかった。顧雍の死後、太常となる。太子・孫和を差し置いて魯王・孫覇を寵愛する孫権に、嫡子と庶子は分けて接するように進言。孫覇との関係が悪化する。更に孫覇派の全寄を蔑視していたため、全琮親子に陥れられ、交州に流された。その憤りから「新言」20巻を著し、流刑から2年後、42歳で死去した。
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【三国志14】公孫康の武将能力値紹介

公孫康(コウソンコウ) 統率73 武力66 知力65 政治62 魅力57 公孫度の子。公孫恭の兄。公孫晃、公孫淵の父。【演義】公孫度の死後、遼東太守の位を継いだ。207年、曹操に敗れた袁煕と袁尚に保護を求められる。しかし、曹操が遼東に侵攻する動きを見せなかったため、公孫恭の計に従って袁兄弟を討ち、首級を曹操に送って恭順の意を示した。間もなく、曹操から襄平侯、左将軍に任ぜられた。【正史】204年、死亡した公孫度の位を継いだ。その際、公孫度が生前、不服として拒否した永寧郷侯の位を公孫恭に継がせた。
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【三国志14】公孫恭の武将能力値紹介

公孫恭(コウソンキョウ) 統率40 武力17 知力69 政治61 魅力47 公孫度の子。公孫康の弟。公孫淵の叔父。【演義】曹操に敗北した袁尚と袁煕が公孫康を頼った際、2人の首を斬って曹操に届けるよう公孫康に勧めた。公孫康が死んだ時、公孫康の長男・公孫晃が幼かったため、代わりに遼東太守となる。曹丕が即位すると車騎将軍に任ぜられるが、228年、公孫晃の弟・公孫淵に位を奪われた。【正史】国を治める能力には欠けていた。公孫晃のために官位を得て、洛陽に住まわせていた。
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【三国志14】胡綜の武将能力値紹介

胡綜(コソウ) 統率69 武力53 知力77 政治69 魅力64 呉の官僚。胡沖の父。【演義】記述なし。【正史】14歳で孫策に仕え、孫権と机を並べて学問に励んだ。孫策死後、孫権から書部に任ぜられ、是儀や徐詳と共に国政の機密に携わった。軍事にも才を示し、夷陵の戦いでは解煩[カイハン]兵を編成して戦い、魏に寝返った晋宗を賀斉と共に討伐するなどした。孫権即位後も昇進を重ねて重職を歴任し、孫権の文章や命令書のほとんどを作成していた。
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【三国志14】公孫淵の武将能力値紹介

公孫淵(コウソンエン) 統率66 武力70 知力60 政治42 魅力50 公孫康の次男。公孫恭の甥。公孫晃の弟。公孫脩の父。【演義】父の後を継いだ公孫恭の位を奪い、曹叡から揚烈将軍、遼東太守に任ぜられる。呉帝・孫権からも燕王に封ぜられるが、使者の張弥[チョウビ]と許宴を殺害し、首を曹叡に送る。その後、与えられた大司馬の位に不満を持ち、結局自ら燕王を自称。賈範や綸直の忠告を無視して挙兵するが、司馬懿に大敗する。降伏を願い出るが拒否され、公孫脩と共に逃走を図るも、捕らえられ殺された。【正史】燕王を自称後、毌丘倹率いる最初の討伐軍は撃退している。公孫淵の滅亡後、倭は魏に遣使する。
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【三国志14】胡済の武将能力値紹介

胡済(コセイ) 統率58 武力40 知力68 政治72 魅力66 蜀の武将。【演義】諸葛亮の北伐に参加。258年の姜維の北伐では後詰めを務め、漢寿城を守る。鍾会の蜀討伐軍によって陽平関が破られると、成都に救援を求めに向かった。【正史】諸葛亮に仕え、忠実でよく助言したため称賛を受けた。諸葛亮の北伐に従軍し、諸葛亮の死後は漢中の諸軍を統括した。蜀にはもう1人、胡済がいる。鎮西将軍に任ぜられ、256年の姜維の北伐に参加。姜維の援軍となるが合流できず、鄧艾に大敗を喫した。258年、姜維の命で漢寿に入る。演義は両者を同一人物と扱っている。
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【三国志14】公孫越の武将能力値紹介

公孫越(コウソンエツ) 統率73 武力71 知力48 政治53 魅力66 公孫瓚の弟(正史では従弟)。【演義】袁紹が公孫瓚と共謀して冀州を奪った後、領土の取り分を交渉するため袁紹を訪ねる。しかし、袁紹には公孫瓚に領土を与える意志はなく、帰還中、董卓の部下を装った袁紹の兵に射殺された。【正史】公孫瓚の命で袁術に協力する。袁術配下の孫堅が董卓軍と交戦中、袁紹軍の周昂に攻められた際、袁術から援軍として派遣された。孫堅と共に周昂を迎撃するが、流れ矢に当たって戦死した。
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【三国志14】胡軫の武将能力値紹介

胡軫(コシン) 統率65 武力76 知力12 政治14 魅力15 董卓の武将。【演義】袁紹を盟主とする反董卓連合が来襲すると、華雄の副将となって汜水関を守る。連合軍の先鋒・孫堅と交戦中、程普に討ち取られた。【正史】陳郡太守。孫堅が陽人に進出すると、呂布と共に迎撃に向かう。しかし、呂布や諸将の反感を買って味方に偽情報を流され、満足に戦わないうちに敗走した。孫堅軍との戦いで討死したという描写はない。
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