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【三国志14】李信の武将能力値紹介

李信(リシン) 統率83 武力88 知力52 政治43 魅力66 戦国末期から秦代にかけての秦の将軍。燕の太子・丹の命を受けた荊軻による秦王・嬴政[エイセイ]暗殺未遂事件の報復に燕都・薊を攻略した際、太子・丹を討ち取った。嬴政に楚攻略に必要な兵力を問われた際、「20万の兵で十分」と豪語。王翦は「60万は必要」と答えたが、嬴政は李信の意見を容れ、李信と蒙恬に20万の兵を与えて楚討伐を命じた。李信は蒙恬と二手に分かれて楚の各地を攻略したが、城父で蒙恬と合流したところを、三日三晩不休で追跡してきた項燕率いる楚軍に急襲され、大敗。王翦が楚を破った後、王賁と燕、斉を平定した。
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【三国志14】李斯の武将能力値紹介

李斯(リシ) 統率18 武力25 知力87 政治98 魅力56 秦の宰相。荀卿(荀子)の門下。楚の役人だったが、厠のネズミと穀倉のネズミを見て人の置かれている環境の重要性を知る。その後、荀子に師事。法家の才を磨き、呂不韋の推挙を得て秦に仕官する。秦王・政(嬴政)の信頼を得ると、積極的に献策し、秦の天下統一に貢献した。統一後は、群臣中で唯一、郡県政による中央集権を説き、丞相として法治国家の確立に努めた。その後、始皇帝が没すると、宦官の趙高の陰謀に乗り、二世皇帝に胡亥[コガイ]を擁立。だが、次第に趙高に疎まれ、無実の罪で処刑された。
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【三国志14】熊疑の武将能力値紹介

熊疑(ユウギ) 統率67 武力55 知力73 政治83 魅力76 戦国時代の楚の君主。楚の悼王[トウオウ]。声王(熊当)の子。声王が盗賊に殺害されると、その後を継ぐ。即位後、周・韓・魏・趙らと攻防を繰り返し、領土拡大を図った。のちに呉起を任用して変法に成功、北に魏を破り、南に越を服せしめた。秦との決戦を計画した直後に病に倒れ、死去した。死後、悼王の信任を得ていた呉起は、改革反対派の貴族らに襲われ、悼王の遺体に覆いかぶさって射殺された。悼王の遺体にも矢が突き刺さったため、父の後を継いだ粛王は、遺体を射た反呉起派の者たちを大逆の罪で処刑した。
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【三国志14】蒙恬の武将能力値紹介

蒙恬(モウテン) 統率85 武力79 知力70 政治75 魅力83 秦の将軍。祖父、父も秦の軍人。祖先は斉の出身。秦王・政(嬴政)の天下統一のため、父・蒙武を継いで将軍となる。楚攻略では楚の名将・項燕に敗れたが、斉攻略では大勝を収めた。統一後は30万の兵を率いて北上し、黄河を渡って匈奴を討伐。万里の長城を修復して連結し、辺境に駐屯して匈奴を迎え続けた。その功績から始皇帝の信頼も厚く、太子・扶蘇[フソ]の後見を任された。しかし、始皇帝が没すると、趙高と李斯の謀略によって胡亥が二世皇帝に即位。扶蘇は自決させられ、蒙恬も毒をあおって自害した。
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【三国志14】鮑叔牙の武将能力値紹介

鮑叔牙(ホウシュクガ) 統率63 武力46 知力83 政治87 魅力89 春秋時代、斉の臣。管夷吾(菅仲)とは無二の親友であり、その才能を誰よりも認めていた。斉に内乱が生じたときは、桓公の即位に貢献。桓公が、政敵に仕えていた管夷吾を殺させようとすると、「斉のみを治めるなら私で十分だが、天下を治めるならば菅仲が必要」といさめ、取り立てるように主張した。結果、管夷吾は宰相に抜擢されたが、鮑叔牙はそれを妬むことなく政務を補佐し続けた。管夷吾と鮑叔牙の友情は、後世に「菅鮑の交わり」という言葉を生み、利害にとらわれない親密な関係のたとえとなった。
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【三国志14】龐涓の武将能力値紹介

龐涓(ホウケン) 統率81 武力70 知力83 政治71 魅力62 戦国時代の魏の将軍。孫臏と共に兵法を学ぶ。魏の恵王に仕えて将軍となると、自分より優秀な孫臏の存在を恐れ、魏に呼び寄せて罪を着せ、足切り刑と黥(入れ墨)刑に処した。のちに龐涓率いる魏軍に攻め入られた韓は、斉に救援を依頼。斉は孫臏を軍師とする軍を魏都・大梁に向けて派遣する。魏軍が引き返すと斉軍はわざと退却して馬陵におびき寄せ、孫臏が大木に刻んだ「龐涓死于此樹之下」の一文を龐涓が読み終えぬうちに一万の弩を斉射。魏軍は大敗し、龐涓は「あの豎子に名を成さしめたか」と言い残して自刎した。
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【三国志14】范増の武将能力値紹介

范増(ハンゾウ) 統率37 武力9 知力94 政治80 魅力72 項羽の軍師。楚の歴陽侯。秦討伐戦の中、齢70にして項梁に仕え、楚王の遺児を推戴して人望を得ることを進言した。項梁死後は項羽を支え、「亜父」と尊称される。早くから劉邦の危険性に気づき、秦滅亡時には「鴻門の会」で劉邦暗殺を企むも失敗。項羽の決断の甘さを嘆いた。やがて項羽と劉邦の争いが激化すると、漢の陳平の離間の計にかかり、項羽に疎まれる。項羽と決別して故郷に戻ろうとするが、背中に腫瘍ができ、失意のうちに没した。真実を知った項羽は范増を疑ったことをひどく後悔したという。
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【三国志14】白起の武将能力値紹介

白起(ハクキ) 統率100 武力90 知力72 政治12 魅力46 秦の常勝将軍。武安君。一兵卒から名を上げた叩き上げの軍人。左庶長時代に頭角を現し、秦の宰相・魏冉[ギゼン]に抜擢される。韓、魏、楚を何度も打ち破り、常に数十万の敵兵を殺害して勝利。その度に出世を重ね、楚攻略時には、秦の昭襄王から武安君に封ぜられた。やがて韓の上党を巡って秦と趙が対立すると、長平で趙兵40万を生き埋めにして圧勝。しかし、魏冉に代わって宰相となった范雎[ハンショ]に進軍を止められ、これを機に自宅に籠もるようになる。最期は秦の昭襄王の命に逆らい、不興を買って自害した。
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【三国志14】田文の武将能力値紹介

田文(デンブン) 統率78 武力41 知力89 政治85 魅力94 戦国時代の斉の宰相。号は孟嘗君。戦国四君のひとり。田嬰の子で、斉の威王の孫。一芸があれば積極的に食客として迎え入れ、その数は3000人を数えた。秦の昭襄王は名声の高い田文を宰相として迎えたが、讒言をきっかけに田文を殺そうとした。危険を察した田文は食客の力を活用して、斉へ帰国。宰相として政治に当たり、斉の国力を高めたが、増長した斉王に疎んじられる。のちに魏に亡命し、宰相に迎えられた。斉が楽毅に蹂躙された後、田単の活躍によって復興すると田文も再び斉に迎えられた。「鶏鳴狗盗」の故事でも有名。
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【三国志14】田単の武将能力値紹介

田単(デンタン) 統率91 武力73 知力94 政治64 魅力71 戦国時代の斉の将軍。斉の王族・田氏の遠縁にあたるが、斉の都・臨淄の市場の役人をしていた。燕の将軍・楽毅が斉に侵攻し、70余城を攻略。残すは斉王の逃亡先の莒と田単が居る即墨の2城のみとなる。楽毅を迎撃した即墨の大夫の敗死後、田単が将軍に立てられ、即墨城を守ることとなった。燕の昭王が死去し、恵王が即位すると、恵王と楽毅の仲が悪い事を知った田単は、謀略で楽毅を失脚させ、亡命に追い込むことに成功。その後、「火牛の計」で燕軍を破って70余城を奪還し、戦功により斉の襄王から安平君に封ぜられた。
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