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【三国志14】諸葛尚の武将能力値紹介

諸葛尚(ショカツショウ) 統率64 武力75 知力62 政治55 魅力69 蜀の丞相・諸葛亮の孫。諸葛瞻の長子。【演義】魏の鄧艾が蜀に侵攻した時、綿竹関で父と共に迎撃する。緒戦は諸葛亮の木像を押し立てて鄧艾軍の鄧忠、師纂らを迎撃し、自ら勇戦して両将を追い返した。しかし、呉に要請した援軍を待ちきれずに諸葛瞻が出陣し戦死すると、張遵のいさめを振り切って出陣し、乱戦の中で戦死した。【正史】「国から大恩を受けながら、黄皓を斬らなかったばかりに敗北を招いてしまった。これ以上、生きていて何になろうか」と嘆き、魏軍に突撃して戦死した。
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【三国志14】荀惲の武将能力値紹介

荀惲(ジュンウン) 統率18 武力12 知力60 政治66 魅力62 曹操の幕僚。荀彧の子。【演義】父・荀彧が自害した際、その死を曹操に伝えた。【正史】荀彧の死後、後を継ぐ。曹操の三男である曹植と親しかったため、曹操の死後、曹丕から疎まれた。曹丕の妹を妻としていたため、粛清などは免れたとされる。
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【三国志14】諸葛緒の武将能力値紹介

諸葛緒(ショカツショ) 統率41 武力40 知力27 政治46 魅力49 魏の雍州刺史。諸葛沖の父。【演義】263年、蜀討伐の総大将・鄧艾の命令で、沓中[トウチュウ]にいる姜維の退路を断った。しかし、姜維が雍州を攻める動きを見せたため雍州に軍を返し、姜維に突破を許してしまう。その後、剣閣に籠もる姜維を攻撃するが敗退。激怒した鍾会に斬られそうになるが、諸将の取りなしで命を救われ、洛陽に護送された。【正史】蜀遠征中、蜀軍に恐れをなして前進しようとしないと鍾会に告発され、軍勢を奪われて都に召還された。その後は晋に仕え、太常などを歴任した。
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【三国志14】淳于瓊の武将能力値紹介

淳于瓊(ジュンウケイ) 統率74 武力67 知力29 政治28 魅力33 後漢の官吏。後に袁紹に仕える。【演義】何進暗殺の混乱の最中、外に連れ出された少帝と陳留王が帰還した際、迎え出た。その後、袁紹に仕え、官渡の戦いに参戦。烏巣の兵糧基地を守る大将となる。しかし生来の酒好きで、泥酔していたところを曹操軍の奇襲に遭い、捕虜となる。その後、身柄を袁紹に送り返されるが、激怒した袁紹に斬られた。【正史】黄巾の乱後、蹇碩、袁紹、曹操らと共に西園八校尉に任ぜられる。烏巣で曹操軍相手に奮戦するが捕らえられ、降伏せずに惜しまれながら曹操に斬られた。
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【三国志14】諸葛均の武将能力値紹介

諸葛均(ショカツキン) 統率29 武力25 知力51 政治65 魅力67 諸葛珪の子。諸葛瑾、亮の弟。【演義】諸葛珪が早くに死んだため、兄と共に叔父の諸葛玄に育てられた。諸葛玄の死後、諸葛亮と共に臥龍岡[ガリョウコウ]の草廬で暮らし、農業を営む。劉備が二度目に諸葛亮を訪問した時、諸葛亮に間違えられた。三度目の訪問で、諸葛亮が劉備に仕えることになると草廬の管理を任された。【正史】蜀に仕え、長水校尉となった。草廬で劉備と応対したという記述はない。
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【三国志14】荀彧の武将能力値紹介

荀彧(ジュンイク) 統率54 武力14 知力95 政治99 魅力94 曹操の参謀。荀攸の従父。元は袁紹配下。【演義】兗州の黄巾残党を平定して人材を募った曹操の配下に加わる。曹操は荀彧を得ると「我が子房だ」と喜んだ。呂布に兗州を襲われた際、程昱と共に三県を死守。李傕の下を離れた献帝を保護するよう進言し、官渡の戦いでは劣勢で弱気になった曹操を励ますなど、第一の謀臣として曹操軍を支えた。しかし、曹操の魏公就任に反対したため不興を買い、何も入っていない器を送られ(お前は用済みだという意味)、服毒死した。【正史】三公を出した名門の出。「王佐の才」と評された。
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【三国志14】諸葛瑾の武将能力値紹介

諸葛瑾(ショカツキン) 統率75 武力34 知力81 政治89 魅力90 呉の官僚。諸葛恪、喬の父。諸葛亮、均の兄。【演義】魯粛の推薦で孫権に仕える。赤壁の戦いの前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶため来訪した時、諸葛亮と再会し、孫権に仕えるよう勧めた。以後、荊州の領有などを巡って、孫権の使者として劉備や関羽との交渉に当たる。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、曹真と夏侯尚の軍勢を陸遜と共に撃退。後に諸葛亮が五丈原に出陣したのに呼応して襄陽を攻めるが、曹叡に敗れた。【正史】諸葛亮とは公の場では会っても、個人的に会うことは避けた。孫権とは生死を越えた信頼関係で結ばれた。
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【三国志14】朱霊の武将能力値紹介

朱霊(シュレイ) 統率72 武力72 知力67 政治53 魅力38 もと袁紹の武将。後に曹操に仕える。【演義】曹操の命を受け、路昭と共に、袁術討伐のため徐州に入った劉備に従軍する。袁術の死後、自立を図る劉備に兵を預けたまま帰還して曹操の怒りを買うが、荀彧の取りなしで助かった。渭水の戦いでは徐晃と共に黄河を渡って伏兵し、馬超を挟撃する態勢を取った。【正史】曹操が陶謙を攻めた際、袁紹から援軍として派遣され、曹操を名君と見てそのまま仕える。しかし、曹操と性格的に合わず、兵を取り上げられ于禁の配下にされたこともある。曹丕の代に後将軍まで昇った。
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【三国志14】朱褒の武将能力値紹介

朱褒(シュホウ) 統率66 武力73 知力24 政治22 魅力40 蜀の武将。牂牁[ソウカ]太守。【演義】225年、孟獲と雍闓が反乱を起こしたのに呼応し、高定と共に永昌郡を攻める。乱の鎮圧に赴いた諸葛亮を迎撃するが、諸葛亮の離間の計にかかった高定におびき出され、高定配下の鄂煥に討たれた。【正史】劉禅が即位した223年に、益州郡の雍闓、越嶲[エッスイ]郡の高定らと同時に反乱を起こす。225年、諸葛亮によって反乱は鎮圧された。
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【三国志14】諸葛喬の武将能力値紹介

諸葛喬(ショカツキョウ) 統率58 武力23 知力75 政治68 魅力77 呉の諸葛瑾の次男。諸葛恪の弟。蜀の諸葛亮の甥。元の字は仲慎。諸葛亮の養子となる。【演義】記述なし。【正史】兄の諸葛恪と並んで評判が高く、才能では兄に及ばないが、性質では兄より優れていると評された。まだ子が無かった諸葛亮から請われて養子となり、蜀に入って字を伯松と改める。227年、諸葛亮が北伐を起こすと漢中に同行し、霍弋と共に記室(丞相事務官)として各軍を視察して回った。228年に死亡。
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