武将

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【三国志14】岑威の武将能力値紹介

岑威(シンイ) 統率55 武力56 知力45 政治36 魅力43 魏の武将。【演義】司馬懿の指揮の下、諸葛亮の北伐軍を迎え撃つ作戦に参加する。蜀軍の木牛・流馬を真似て作った輸送道具を用い、兵糧輸送の任に就いた。魏軍に変装して紛れていた蜀の王平に攻められ、敗死する。【正史】記述なし。
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【三国志14】徐邈の武将能力値紹介

徐邈(ジョバク) 統率55 武力32 知力67 政治82 魅力79 魏の官僚。【演義】記述なし。【正史】曹操が河北を平定した際に見出され、南安、平陽、安平などの太守を歴任し、各地で業績を上げた。曹叡の代には涼州刺史となり、水田開発、教育、西域との通行などに尽力。西方異民族の入貢を受けるようになる。その後、中央に戻り、大司農、司隷校尉、光禄大夫などを歴任し、百官から敬慕された。晩年、司空に任ぜられたが固辞。酒好きで、禁酒令を破って曹操の怒りを買い、鮮于輔の取りなしで刑を免れたことがある。
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【三国志14】徐宣の武将能力値紹介

徐宣(ジョセン) 統率42 武力41 知力69 政治84 魅力72 魏の幕僚。【演義】記述なし。【正史】戦乱を避けて江東に避難していた。孫策の招聘を断って中原に戻り、陳矯と共に陳登に信任された。のち曹操に帰服し、各地の県令や太守を務めて治績を挙げる。曹操が馬超征討に赴いた際は、清廉公正さを認められて左護軍となり、留守を託された。曹丕の代には「国家の柱石」と評されて栄進を重ね、曹叡の代にも重職を歴任し、曹叡からの信頼も厚かった。
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【三国志14】徐盛の武将能力値紹介

徐盛(ジョセイ) 統率86 武力81 知力77 政治64 魅力71 呉の武将。【演義】孫策の後を継いだ孫権に登用された。赤壁の戦い、南郡攻略戦、関羽討伐戦、夷陵の戦いなどに参戦。中でも215年に合肥を攻めた際は、魏の大軍に包囲されながら、奮戦して囲みを切り抜ける活躍を見せた。荊州に侵攻した劉備に気圧され、孫権が曹丕に臣従して呉王となった際、「我らが不甲斐ないせいで、主君に他人の爵位を受けさせてしまった」と嘆く。その直後、曹丕が南徐に侵攻すると、偽城壁で魏軍を欺き撃退した。【正史】蒋欽、周泰と確執があったが、和解して共闘した。
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【三国志14】徐詳の武将能力値紹介

徐詳(ジョショウ) 統率54 武力42 知力63 政治73 魅力70 呉の官僚。【演義】記述なし。【正史】孫権の側近として仕え、是儀や胡綜と共に国政の機密に携わった。217年、孫権の命で講和の使者として曹操のもとに赴き、和解を成立させる。のち孫権が初めて設置した節度官に任命され、軍の兵站の管理を取り仕切った。また夷陵の戦いでは、胡綜と共に解煩[カイハン]兵を率いて戦った。
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【三国志14】徐商の武将能力値紹介

徐商(ジョショウ) 統率61 武力69 知力32 政治28 魅力37 魏の武将。【演義】関羽が樊城を包囲した際、徐晃の副将として従軍する。呂建と共に偃城の関平、四冢塞[シチョウサイ]の廖化を攻めた。【正史】演義と同様。
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【三国志14】徐庶の武将能力値紹介

徐庶(ジョショ) 統率85 武力64 知力93 政治80 魅力81 劉備の幕僚。司馬徽門下で、諸葛亮、龐統の学友。【演義】新野にいた劉備に軍師として迎えられ、曹操が派遣した呂曠、呂翔の部隊を初陣で撃破。続いて来襲した曹仁と李典も、曹仁が敷いた「八門金鎖の陣」を破って退けた。その才を欲する曹操に母親を捕らえられ、偽手紙で曹操陣営に招き寄せられる。孝心が募った徐庶は偽手紙と見抜けず、曹操のためには一計も案じないと誓って劉備の下を去った。その別れ際、後任に諸葛亮を推薦する。後に徐庶の母は子の道を誤らせたと嘆き自害した。【正史】元の名は徐福。曹丕の代、御史中丞まで昇進した。
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【三国志14】徐質の武将能力値紹介

徐質(ジョシツ) 統率66 武力83 知力24 政治18 魅力43 魏の武将。大斧の使い手。司馬師に武勇を評価される。【演義】253年、羌族と結託した蜀の姜維が北伐を起こした際、司馬昭の先鋒となり、廖化と張嶷を撃退。しかし、鉄籠山[テツロウザン]で姜維の伏兵に遭い、戦死した。【正史】249年、姜維が麹山に進出した時、陳泰の指揮下で鄧艾と共に迎撃し、蜀の句安、李歆らを包囲して投降させた。254年、狄道[テキドウ]で蜀軍と交戦し、張嶷を戦死させるが、狄道を守備していた李簡が姜維に降伏したため襄武で包囲され、討ち取られた。
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【三国志14】徐氏の武将能力値紹介

徐氏(ジョシ) 統率48 武力16 知力75 政治52 魅力70 孫権の弟・孫翊の妻。才色兼備で卜占に通じる。【演義】孫翊が県の役人を集めて宴会を開こうとした時、卜占で大凶と出たため中止を勧める。しかし、孫翊は予定通り酒宴を開き、嬀覧、戴員、辺洪らに暗殺された。その後、嬀覧に再婚を強要され、その場は承知したふりをして、孫翊の腹心だった孫高と傅嬰に仇討ちを相談。孫翊の喪が明けた後、嬀覧、戴員を招き寄せて孫高らに討たせた。このことで江東の人々から称賛され、後に孫権の館に引き取られ、余生を過ごした。【正史】嬀覧と戴員は、孫権が殺害した盛憲の部下だった。
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【三国志14】徐琨の武将能力値紹介

徐琨(ジョコン) 統率66 武力68 知力53 政治55 魅力48 孫堅の外甥。父は徐真、母は孫堅の妹。娘は後に孫権の妻の一人となる。【演義】記述なし。【正史】孫堅の挙兵に従軍し、功により偏将軍となった。孫堅死後は孫策に従い、母から授かった策を進言して劉繇軍を撃破した。江東平定後、孫策から丹陽太守に任命されたが、袁術軍から呉景が戻ってくると、呉景が丹陽太守となり、自身は督軍中郎将に転じた。のち孫権の黄祖討伐の際、流れ矢に当たって戦死した。
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