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【三国志14】薛悌の武将能力値紹介

薛悌(セツテイ) 統率45 武力19 知力65 政治76 魅力78 魏の幕僚。【演義】215年、孫権軍が合肥に攻め寄せた時、曹操の策を封じた木箱を張遼に届ける。張遼が逍遥津[ショウヨウシン]で孫権軍を大破すると、折り返して曹操に救援を求める使者となった。【正史】曹操が兗州刺史だった頃に取り立てられる。程昱らと共に呂布の侵攻から兗州を死守し、22歳という若さで泰山太守に任命された。215年、曹操が漢中に進軍した時、合肥に入って張遼らの目付役を務め、曹操の命令書を管理した。のち魏郡太守、尚書令まで昇進した。
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【三国志14】臧覇の武将能力値紹介

臧覇(ゾウハ) 統率76 武力75 知力53 政治56 魅力70 呂布の武将。後に曹操に仕える。【演義】兗州を巡って曹操軍と戦うが、兵糧調達中に呂布が曹操に敗れたため、呂布と共に徐州に逃れる。袁術が徐州に侵攻した際は、張遼と共に雷薄を撃破。曹操軍が徐州に侵攻すると、尹礼、呉敦、孫観らと共に泰山の山賊を率いて迎撃する。呂布が敗死すると曹操に帰順。赤壁の戦いでは徐庶と共に西涼の馬騰、韓遂を牽制した。【正史】黄巾の乱では、陶謙に従い鎮圧に当たる。曹操に帰順した後は青州、徐州の軍事を統括し、袁紹や孫権を牽制。曹丕の代には呉の呂範を破り、執金吾まで昇進した。
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【三国志14】薛綜の武将能力値紹介

薛綜(セツソウ) 統率34 武力16 知力72 政治79 魅力64 呉の官僚。薛珝、薛瑩の父。【演義】孫策の後を継いだ孫権に招かれた。赤壁の戦いの直前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶために呉を訪れた時、張昭らと共に論戦を挑むが退けられた。【正史】若い頃、交州に疎開し、劉煕に学んだ。交趾太守・士燮が孫権の支配下に入ると、孫権に仕えて合浦や交趾の太守となり、交州刺史・呂岱と共に九真郡まで遠征した。孫権の皇帝即位後、尚書僕射、太子少傅(皇太子の補導官)などを歴任。自らの詩賦をまとめた「私載」や「五宗図述[ゴソウズジュツ]」などの著作がある。
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【三国志14】宋忠の武将能力値紹介

宋忠(ソウチュウ) 統率29 武力30 知力64 政治53 魅力52 劉琮の幕僚。学者。【演義】劉備の反対を押し切って無断で劉琮が曹操に降伏する際、劉琮からの密使となる。関羽に捕まって張飛に殺害されそうになるが、劉備に「殺すのは簡単だがこんな男を殺しては恥だ」とされ、解放された。【正史】劉表の代から仕える。曹操への密使ではなく、劉備を説得する使者になっており、劉備に剣を突き付けられたとされる。古典の学者として高名で、尹黙、潘濬ら多くの門人を抱えた。
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【三国志14】薛珝の武将能力値紹介

薛珝(セツク) 統率16 武力15 知力68 政治72 魅力55 呉の官僚・薛綜の子。薛瑩の兄。【演義】呉で政権を牛耳った孫綝誅殺を祝う蜀からの使者に対する答礼のため、蜀へ向かう。帰還後、蜀は宦官の黄皓が政権を掌握し、それをいさめる者はなく、国土は疲弊していると、呉帝・孫休に報告した。【正史】守大匠(建設大臣代行)となり、呉帝・孫晧から、清廟(孫晧の父・孫和を祀った廟)の正殿と奥殿の造営を命じられた。269年、虞汜、陶璜らと共に合浦から交趾に攻め込み、その帰途で病死した。
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【三国志14】曹沖の武将能力値紹介

曹沖(ソウチュウ) 統率21 武力14 知力80 政治76 魅力82 曹操の子。母は環氏。曹拠、曹宇の兄。鄧哀王。【演義】記述なし。【正史】年少期から聡明で理解力に優れていた。202年、孫権から象が献上された際、群臣の中で1人だけ象の重さの量り方を考案し、曹操を喜ばせた(象を船に乗せ、水面が来た所に印を付け、象を降ろした後に同じ印の所まで石を積み、石の総重量を量る)。判断力、仁愛の情を曹操から愛されていたが、13歳で病没。名医の華佗を処刑したことを曹操に後悔させた。曹丕も「倉舒が生きていたら後継者になれなかった」と漏らしている。
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【三国志14】泄帰泥の武将能力値紹介

泄帰泥(セツキデイ) 統率63 武力69 知力33 政治42 魅力47 鮮卑の大人。扶羅韓[フラカン]の子、歩度根の甥、檀石槐[ダンセキカイ]の曾孫。【演義】記述なし。【正史】泄帰尼とも。父を軻比能に殺され、部族と共に軻比能に取り込まれていたが、叔父・歩度根の誘いを受けて逃亡し、その傘下に加わった。以降、魏の牽招や田豫に協力して何度も軻比能と戦う。233年、軻比能と歩度根が和解し、魏に抗する姿勢を見せると、泄帰泥は軻比能に背いて魏に降伏。帰義王に封ぜられた。
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【三国志14】曹爽の武将能力値紹介

曹爽(ソウソウ) 統率42 武力35 知力30 政治66 魅力55 魏の重鎮・曹真の子。曹羲、曹訓、曹彦の兄。【演義】曹叡から、司馬懿と共に曹芳を補佐するよう頼まれる。曹叡の死後、腹心の何晏の進言を受け、司馬懿から実権を奪って政治を私物化した。司馬懿の老衰の演技にだまされ、安心して頻繁に巻狩りを開催。249年、曹芳と共に狩りに出ている最中、司馬懿に兵権を奪われる。知恵袋の桓範から、曹芳を擁して司馬懿を討つよう勧められたが、その気概はなく「まるで豚だ」と嘆かれた。結局、一派もろとも捕らえられ、三族すべて処刑された。【正史】244年、夏侯玄と共に蜀を攻めるが、戦果なく撤退。
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【三国志14】薛瑩の武将能力値紹介

薛瑩(セツエイ) 統率48 武力18 知力64 政治74 魅力60 呉の官僚・薛綜の子。薛珝の弟。【演義】光禄勲。晋の大軍が建業に迫ると、蜀の劉禅が魏に降伏したのにならって晋軍に降伏するよう、呉帝・孫晧に勧めた。【正史】孫休の代に散騎中常侍となるが一時、病気で辞職。孫晧の代に再び登用され、韋昭、華覈らと共に「呉書」の編纂に当たった。陸凱が臨終の際、孫晧に送った書状で、楼玄、賀邵[ガショウ]、張悌、滕脩、陸抗らと共に呉の根幹を担う臣と記されている。呉が晋に降伏した時は、降伏文書を起草。晋に仕え、散騎常侍まで昇進した。
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【三国志14】曹操の武将能力値紹介

曹操(ソウソウ) 統率98 武力72 知力91 政治94 魅力96 宦官・曹騰の孫。曹嵩の子。魏の武帝。幼名は阿瞞。【演義】許劭から「治世の能臣、乱世の奸雄」と評される。黄巾賊討伐で活躍し、董卓が実権を握ると諸侯に董卓打倒を呼びかけて挙兵。その後、兗州を平定して青州兵を加え、献帝を許昌に迎えて政権を握る。呂布、袁術らを倒し、官渡の戦いで袁紹を破って河北を支配。次いで劉琮を下し江東に迫るが、赤壁の戦いで孫権、劉備の連合軍に敗れ、全土統一の機会を逃す。以後は関中以西の平定に尽力。213年に魏公、216年に魏王となる。【正史】政戦両略に優れ、詩歌文学にも通じる万能の英雄。
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