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【三国志14】孫秀の武将能力値紹介

孫秀(ソンシュウ) 統率55 武力51 知力53 政治56 魅力67 呉の武将。孫権の弟・孫匡の孫。孫泰の子。【演義】晋の驃騎将軍として登場。孫晧が晋に降伏した時、「孫策が礎を築いた呉の国を、今、孫晧が捨て去ってしまった。天よ、これは誰の罪か」と嘆いた。【正史】孫晧の代に、前将軍、夏口の督となる。呉の皇族の中でも特に帝位に近く、大きな兵権を握っていたため、孫晧から警戒された。270年、身の危険を感じ、妻や子飼いの兵士を連れて晋に亡命、驃騎将軍となる。この厚遇ぶりから、以後、呉将の晋への亡命が相次いだ。呉の滅亡後、伏波将軍に降格するが、以後も重んじられた。
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【三国志14】張裔の武将能力値紹介

張裔(チョウエイ) 統率66 武力43 知力67 政治76 魅力68 蜀の幕僚。【演義】諸葛亮らと共に、劉備に皇帝になる決意をさせた幕僚の一人。諸葛亮の「出師の表」では忠節の臣と評された。【正史】はじめ劉璋に仕えた。劉備が益州を制圧すると、劉備から巴郡太守と兼ねて司金中郎将に任じられ、農具と武器の製造を司った。のち益州太守に転じたが、呉への帰服を望む雍闓に捕らわれ、孫権のもとに送られた。劉備死後、諸葛亮の命を受けた鄧芝のはたらきで蜀に帰還。以後は諸葛亮の参軍として活躍し、諸葛亮が北伐のため漢中に駐屯した際は留府長史として成都を任された。
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【三国志14】趙叡の武将能力値紹介

趙叡(チョウエイ) 統率55 武力60 知力38 政治44 魅力40 袁紹の武将。【演義】官渡の戦いで、淳于瓊の配下として烏巣の兵糧陣地を守った。大酒飲みであった淳于瓊の油断が祟り、曹操の夜襲を受けて味方の将兵ともども戦死した。【正史】淳于瓊を含む五人の将で一万の軍勢率い、兵糧を輸送したが、宿営した烏巣の地で曹操軍五千の夜襲を受け壊滅。淳于瓊は生け捕りになったが、他の四将は斬られた。
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【三国志14】孫資の武将能力値紹介

孫資(ソンシ) 統率22 武力13 知力79 政治70 魅力58 魏の幕僚。子に孫宏。孫に孫楚。玄孫に孫盛。【演義】街亭での大勝に乗じて蜀に攻め入らんとする司馬懿に対し、呉と蜀が争い、疲弊するのを待つべきだと進言した。のち曹叡が危篤に陥ると、劉放と共に機密を掌握。後事を託す大将軍には曹爽が相応しいと推挙し、本来の候補だった曹宇を帰国させた。【正史】曹操に召し出され、曹丕、曹叡の代には劉放と共に機密に携わった。曹叡が危篤に陥ると、演義同様、曹爽と司馬懿を曹芳の後見人にするよう勧め、政敵だった曹宇らを罷免。曹芳が即位すると衛将軍まで昇進した。
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【三国志14】孫氏の武将能力値紹介

孫氏(ソンシ) 統率18 武力16 知力60 政治62 魅力64 孫策の娘。陸遜の妻。【演義】記述なし。【正史】陸遜が孫権に仕えるようになると、孫権の命で陸遜の妻となった。孫策が江東に進出した際、「呉の四姓」のひとつ・陸家の陸康を討ったため、孫策と陸遜の一族は敵対関係となっていた。陸遜が孫権に出仕し、孫氏を妻に迎えたことは両家の和解を象徴する出来事だった。しかし、その後も孫権と呉の重臣たちとの対立は続き、陸遜は孫権の後継者問題に巻き込まれて憤死する。
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【三国志14】孫策の武将能力値紹介

孫策(ソンサク) 統率93 武力92 知力69 政治68 魅力91 孫堅の長男。孫権の兄。妻は大喬。呉の長沙桓王。【演義】父と共に劉表軍と戦い、父の死後は袁術に属す。玉璽を質に袁術から兵を借り、江東に進出。劉繇、厳白虎、王朗らを討って短期間に江東一帯を平定し「小覇王(覇王とは項羽のこと)」と呼ばれた。後に袁術から独立。曹操と内通したため処刑した許貢の食客に襲われ重傷を負う。後事を弟の孫権、義兄弟の周瑜に託して早世した。【正史】袁術の配下時、「呉の四姓」陸康を討ち、江東の名士層と対立。孫権と陸遜(陸康の同族)の和解で決着するが、以後も呉では皇帝と臣下の対立が頻発する。
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【三国志14】孫弘の武将能力値紹介

孫弘(ソンコウ) 統率3 武力12 知力44 政治27 魅力5 呉の官吏。【演義】記述なし。【正史】陰険で腹黒く、目上の者に媚びへつらって出世した。二宮の変では孫覇派に与す。不仲だった張休が孫覇派の讒言で交州に流されると、孫権に讒言を重ねて張休を殺させた。また孫和派の朱拠が孫亮の立太子に反対して左遷されると、詔書を捏造して自殺させた。孫権が死ぬと、同じく後事を託された諸葛恪の謀殺を画策するが、逆に殺された。
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【三国志14】孫皎の武将能力値紹介

孫皎(ソンコウ) 統率77 武力67 知力65 政治71 魅力72 孫静の三男。孫瑜の弟。孫権の従弟。【演義】字は叔明。孫権が関羽を攻めようとした時、呂蒙と共に関羽討伐の指揮を任されそうになる。しかし、指揮官を2人置くと指揮系統が混乱するとして呂蒙が拒否したため、後方からの補給を担当することになった。【正史】曹操軍が濡須に侵攻するたびに迎撃して食い止め、精鋭と評される。程普、黄蓋、孫瑜らが死ぬと、後任となり兵を引き継いだ。演義と異なり、関羽討伐戦では呂蒙と共に出陣し、荊州平定に大きく貢献している。些細な理由で甘寧と喧嘩し、孫権に仲裁されたこともある。
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【三国志14】孫晧の武将能力値紹介

孫晧(ソンコウ) 統率13 武力28 知力31 政治6 魅力4 孫和の子。孫権の孫。呉の第4代皇帝。幼名は彭祖。【演義】264年、第3代皇帝・孫休が死ぬと、万彧、張布から推挙されて皇帝に即位。宦官の岑昏を重用し、徐々に暴政を敷くようになる。相次ぐ年号の改元、土木工事の乱発などで国民、兵士の恨みを買い、これをいさめた濮陽興、張布、万彧、留平、楼玄ら重臣を次々と処刑。晋への侵攻を企て、反対した陸抗を降格させた。279年、晋が呉討伐軍を起こし、翌年、建業まで攻め寄せられると降伏。呉は滅び、三国時代は幕を閉じた。【正史】即位当初は仁政を敷き、名君と称えられた。
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【三国志14】孫権の武将能力値紹介

孫権(ソンケン) 統率76 武力67 知力80 政治89 魅力95 孫堅の次男。母は正妻の呉氏。孫策の弟。呉の大皇帝。【演義】若くして孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後は蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。【正史】若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。
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