武将

武将

【三国志14】ラッチの武将能力値紹介

ラッチ(ラッチ) 統率29 武力65 知力70 政治61 魅力25 架空の人物。「蒼き狼と白き牝鹿」シリーズに登場。「蒼き狼と白き牝鹿」「ジンギスカン」「元朝秘史」ではキルギス氏族のチムスイの后、「蒼き狼と白き牝鹿Ⅳ」ではジャダラン氏族のジャムカの后として登場。対象となる勢力を征服するとオルド(後宮)に加わる。通常、后候補をオルドに加える際は選択肢が出るが、例外的に拒否することが出来ない。子孫繁栄に対して非常に積極的で協力を惜しまず、君主に「うわわ・・・うわわ・・・うわわわ~」などと呻かせた。また君主の歓心を買うために偽の占いをするなど、強引な手段に出ることもあった。
武将

【三国志14】ボルテの武将能力値紹介

ボルテ(ボルテ) 統率32 武力16 知力72 政治82 魅力88 テムジンの第一皇后。コンギラト部のデイ・セチェンの娘。ジェチ、チャガタイ、オコダイ、トルイの母。幼少の頃にテムジンに出会い、父親同士の約束もあって許嫁となる。結婚直後、メルキト部の襲撃に遭って連れ去られるが、オン・カンとジャムカの協力を得たテムジンに救出された。なお、この最中に長男が生まれ、テムジンは客、旅人を意味するジェチと名付けている。のちテムジンが勢力を拡大しても第一皇后として別格に尊重され、モンゴル帝国成立後は、テムジン直属の宮殿である第一オルド(大オルド)の運営を委ねられた。
武将

【三国志14】ジャムカの武将能力値紹介

ジャムカ(ジャムカ) 統率82 武力78 知力93 政治70 魅力82 モンゴル部ジャダラン氏族の長。テムジンと按達(アンダ)の誓いを結び、当初は盟友として協力していたが、家畜を巡る諍いで決別した。のちタイチウト氏族などを糾合すると、十三翼の戦いでテムジンに勝利。しかし、戦後の対応を誤って人望を失い、逆に勢力が衰退してしまう。その後は、着実に勢力を拡大するテムジンに対し、反テムジン派の旗頭に推戴され、タタル部、ナイマン部、メルキト部らと組んで徹底抗戦。最後はクイテンの戦いに敗れて捕縛され、テムジンからの助命を拒み、貴人の作法に則って丁重に処断された。
武将

【三国志14】チンギスカンの武将能力値紹介

チンギスカン(チンギスカン) 統率100 武力92 知力88 政治81 魅力95 モンゴル帝国の創建者。モンゴル部ボルジギン氏族キヤト氏のイェスゲイの子。名はテムジン。妻にボルテ。モンゴル諸氏族を糾合して台頭し、ジャムカ、タタル部、ケレイト部、ナイマン部、メルキト部などを次々に滅ぼして全モンゴルを統一した。1206年、モンゴル帝国を開き、チンギス・カンと称す。以後、外征に乗り出すと、精強かつ圧倒的な機動力を誇るモンゴル騎兵で各地に侵攻。東は長城を超えて金を蹂躙し、西はカスピ海に面するホラズムと西遼を滅ぼし、北はロシア、南はインドまで達し、世界史上最大の版図を誇る帝国を築き上げた。
武将

【三国志14】井伊直虎の武将能力値紹介

井伊直虎(イイナオトラ) 統率48 武力30 知力70 政治78 魅力74 今川家臣・井伊直盛の娘。養子に直政。従兄弟の直親を婿養子に迎える筈だったが、直親が謀叛の疑いで出奔していたために叶わず、出家して次郎法師と称した。桶狭間の戦いで今川義元が敗死し、直盛も戦死すると、井伊谷へ帰参していた直親が跡を継ぐが、直親も讒言に遭って殺される。続けて祖父の直平も急死したため、女ながらも、三河の徳川家康の後ろ盾を得て井伊谷を統治。一方で、直親の遺児・直政を育て上げ、徳川家に出仕させた。
武将

【三国志14】太原雪斎の武将能力値紹介

太原雪斎(タイゲンセッサイ) 統率85 武力50 知力96 政治97 魅力82 今川家臣。庵原政盛の子。名は崇孚。臨済宗の僧。出家して九英承菊と称し、京の建仁寺で修行していたが、今川氏親に招聘されて駿河に帰る。氏親の五男・梅岳承芳の養育を任され、善得寺で修行に励んだ。のち氏親が没し、承芳の兄たちも急死すると、花倉の乱を制して承芳を擁立。承芳は還俗して義元と名乗った。以後、義元の軍師となり、三河攻略では松平家を懐柔しつつ小豆坂の合戦で尾張の織田信秀を撃破、外交では武田信玄、北条氏康に働きかけて甲相駿三国同盟を成立させるなど、政治、文化、経済、軍事、外交すべてで義元を補佐した。
武将

【三国志14】毛利元就の武将能力値紹介

毛利元就(モウリモトナリ) 統率89 武力62 知力98 政治93 魅力89 安芸の国人、戦国大名。毛利弘元の子。幼名は松寿丸。兄・興元、甥・幸松丸が急死し、毛利家の家督を継ぐ。大内義興の傘下に入り、硬軟織り交ぜた戦略を駆使して安芸国人の盟主となった。その後、安芸武田氏を滅ぼし、三男・隆景を小早川氏に、次男・元春を吉川氏に送り込んで芸備の支配を確立する。大内義隆が陶春賢に謀叛されると、これと対峙。厳島合戦では数々の謀略で陶春賢を翻弄して勝利し、大内氏をも滅ぼして防長を版図に加えた。のち尼子晴久の死に乗じて月山富田城に尼子氏を降し、山陰山陽10カ国を領有する中国の覇者となった。
武将

【三国志14】上杉謙信の武将能力値紹介

上杉謙信(ウエスギケンシン) 統率100 武力90 知力79 政治60 魅力91 越後の戦国大名。長尾為景の子。名を景虎、政虎、輝虎。兄・晴景に代わって越後守護代に擁立されると、内乱を鎮めて越後を統一した。その後、関東管領・上杉憲政、信濃の村上義清らに頼られ、北条氏康、武田信玄と対立。信玄とは五回にわたって川中島の戦いで激戦し、また何度となく関東に出陣しては氏康を圧迫した。この間、憲政から山内上杉家の家督を相談し、関東管領となっている。のち越中、能登を平定し、手取川の戦いでは織田信長を蹴散らしたが、翌年に病没した。通称「越後の龍」。「毘」の軍旗を翻して疾駆する姿は軍神と恐れられた。
武将

【三国志14】武田信玄の武将能力値紹介

武田信玄(タケダシンゲン) 統率96 武力76 知力92 政治90 魅力92 甲斐の守護、戦国大名。武田信虎の嫡男。名を晴信。父・信虎の苛烈な政策に反対し、信虎を駿河に追放して甲斐の国主となる。信濃に侵攻して小笠原長時、村上義清と争い、これを撃破するが、義清らの要請を受けた越後の上杉謙信と対立。五回にわたる川中島の戦いで死闘を繰り広げた。一方、この間も臨機応変の戦略で北信濃、飛騨、西上野などに着実に勢力を広げ、今川義元が桶狭間で敗死すると駿河も占領した。その後、信長包囲網の一端として西上作戦を進め、三方ヶ原で徳川家康を蹴散らしたが、道半ばにして病に倒れた。通称「甲斐の虎」。
武将

【三国志14】織田信長の武将能力値紹介

織田信長(オダノブナガ) 統率94 武力75 知力91 政治95 魅力96 尾張の戦国大名。織田信秀の子。幼名は吉法師。若い頃は周囲から大うつけと呼ばれていた。家督を継ぐと、織田大和守家や斯波氏、弟との争いを制して終わりを統一する。その後、今川義元を桶狭間で破り、斎藤氏を滅ぼして美濃を攻略。この頃より「天下布武」を標榜するようになった。足利義昭を擁して上洛すると、三好、浅井、朝倉、比叡山、武田、本願寺など敵対勢力を次々と打倒し、義昭も追放して室町幕府を滅ぼした。優秀な家臣団に軍団を編成させて各地を制圧し、天下統一を目前にしたが、明智光秀の謀叛に遭って本能寺に散った。
タイトルとURLをコピーしました