武将

武将

【三国志14】濮陽興の武将能力値紹介

濮陽興(ボクヨウコウ) 統率37 武力35 知力70 政治72 魅力62 呉の丞相。【演義】孫休臨終の際、太子・孫吒[ソンワン]を即位させるように遺言されるが、万彧、張布らと共謀して孫晧を擁立した。即位後、暴虐な政治を行うようになった孫晧をいさめ、怒りを買って一族もろとも殺された。【正史】孫権の代に会稽太守となり、当時、会稽にいた孫休と親交を結んだ。孫休が即位すると、太常、衛将軍を経て、丞相に就任。孫休のもう1人の寵臣・張布と結託して政治を思いのままにした。孫晧即位後、万彧の謀略にかかり交州に流される途中、孫晧の命で殺された。
武将

【三国志14】畢軌の武将能力値紹介

畢軌(ヒツキ) 統率38 武力25 知力42 政治44 魅力16 魏の官僚。曹爽の腹心。【演義】曹爽が政権を握ると、司隷校尉となり政治に参画する。曹爽に従って巻狩りに出ている間に司馬懿に政権を奪われ、一族もろとも処刑された。【正史】曹叡と親しく、また息子が公主を妻としたこともあって累進を重ねた。曹叡死後、曹爽に従って司隷校尉まで昇進したが、以後の顛末は演義と同様。
武将

【三国志14】穆順の武将能力値紹介

穆順(ボクジュン) 統率52 武力77 知力11 政治21 魅力22 張楊の武将。【演義】反董卓連合軍に張楊の配下として参加。虎牢関の戦いで、呂布の勇猛ぶりに連合軍の諸将が尻込みする中、槍を片手に単騎で迎え撃つ。しかし、呂布の方天画戟でひと突きにされた。【正史】記述なし。
武将

【三国志14】糜竺の武将能力値紹介

糜竺(ビジク) 統率33 武力29 知力77 政治83 魅力84 徐州の富豪。劉備の幕僚。糜芳の兄。妹は劉備に嫁ぐ。【演義】陶謙に仕えていたが、陶謙の死後は劉備に仕え、妹を劉備に嫁がせる。以後、各地を流浪する劉備を、孫乾と共に政治面や外交面で補佐。劉備の益州進攻時には荊州に残って関羽を補佐し、益州が平定されると安漢将軍に任ぜられた。220年、曹丕が漢を滅ぼして魏帝となると、諸葛亮らと共に、劉備に即位するよう勧めた。【正史】劉備の益州平定後の席次では諸葛亮を上回る厚遇を受けた。後に関羽が敗死すると、その原因が弟・糜芳の裏切りだったことを恥じ、間もなく病死した。
武将

【三国志14】輔匡の武将能力値紹介

輔匡(ホキョウ) 統率68 武力71 知力41 政治36 魅力64 蜀の武将。【演義】記述なし。【正史】劉備に従って入蜀し、益州平定後に巴郡太守を任された。劉備が呉征討の軍を起こした時は、趙融、傅彤らと共に夷陵で別動隊を率いた。その地位と年齢は李厳に次いだという。のち劉禅の代には鎮南将軍から右将軍、中郷侯にまで進んだ。豪毅な性格で、辺境の地で活躍したと伝わる。
武将

【三国志14】糜氏の武将能力値紹介

糜氏(ビシ) 統率22 武力9 知力67 政治68 魅力73 劉備の妻。糜竺の妹。【演義】劉備の第二夫人。劉備と呂布の争いの中、甘氏と共にたびたび呂布に捕らえられた。徐州で自立した劉備が曹操に敗れると、関羽に付き添われて曹操に降伏。その後、関羽に護衛されながら五関を突破し、劉備と再会を果たす。208年、長坂坡で曹操軍に襲撃され、負傷しながらも幼い劉禅を連れて逃走。救援に来た趙雲に劉禅を託し、自身は井戸に身を投じた。後に追尊されて皇后となる。【正史】長坂坡の戦いで趙雲が救ったのは甘氏。蜀の妃子伝に記述はなく、皇后に追尊されたという記述はない。
武将

【三国志14】歩協の武将能力値紹介

歩協(ホキョウ) 統率71 武力49 知力69 政治65 魅力67 呉の重臣・歩騭の子。歩闡の兄。【演義】記述なし。【正史】歩騭の死後、爵位を継いで西陵都督となり、王昶、王基らの侵攻を防いだ。蜀が魏に滅ぼされた後、264年に旧蜀領の巴東を攻撃するが、元蜀将の羅憲に敗れる。その後、呉軍は陸抗、留平、盛曼らを援軍に出すが、魏からも胡烈が援軍に駆けつけ、攻略できずに撤退した。
武将

【三国志14】費詩の武将能力値紹介

費詩(ヒシ) 統率14 武力28 知力63 政治71 魅力66 蜀の官僚。もとは劉璋の配下。【演義】劉璋が劉備に降伏すると、そのまま劉備に仕える。漢中王になった劉備が関羽を五虎将軍筆頭に任じた際、老将の黄忠と同格にされて不満を漏らす関羽を説得し、受領させた。後に諸葛亮が北伐を起こすと、郤正と共に秘書を命じられ、成都に残った。【正史】劉璋配下で、綿竹の令。劉備が攻め寄せると率先して臣従した。劉備の皇帝就任に反対して永昌に左遷されるが、諸葛亮に重用され、南蛮征伐にも従軍。蒋琬が政権を握ると、諫議大夫に就任した。
武将

【三国志14】費桟の武将能力値紹介

費桟(ヒサン) 統率57 武力69 知力41 政治34 魅力31 山越族の頭目。【演義】記述なし。【正史】丹陽郡を根拠とする不服従民の首領で、曹操に印綬を与えられて内応し、山越を扇動して孫権に抵抗した。孫権は陸遜を費桟討伐に派遣。陸遜の兵は費桟の一味より寡勢であったが、計略を用いて大軍に見せかけ、夜襲によって打ち破った。
武将

【三国志14】龐林の武将能力値紹介

龐林(ホウリン) 統率54 武力42 知力67 政治69 魅力58 劉備の幕僚。龐統の弟。妻は習禎の妹。【演義】記述なし。【正史】夷陵の戦いで黄権の軍に従う。劉備が敗れて呉軍に包囲されると、黄権と共にやむなく魏に投降。魏では曹丕から列侯に封ぜられ、のち鉅鹿太守となった。また、この時、魏に投降したことで、曹操が荊州を制圧した際に離れ離れになっていた妻と十数年ぶりに再会。女手一つで娘を育てていた妻の節義を、曹丕から顕彰された。
タイトルとURLをコピーしました