武将

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【三国志14】王翦の武将能力値紹介

王翦(オウセン) 統率95 武力78 知力84 政治69 魅力70 秦の将軍。秦王・政(嬴政)に将軍として仕え、韓、趙、魏、燕を滅ぼし、統一事業を大きく進めた。続く楚攻略では、「20万の兵で十分」と述べた李信に対し、「60万は必要だ」と主張し、戦線から外されてしまう。李信が楚の名将・項燕に敗れると、秦王・政自らの請願を受け復帰。秦の全軍60万を率いて楚を攻撃し、項燕を破り楚を平定した。秦王・政が全軍を掌握する自分の力を恐れるのを避けるため、たびたび小さな恩賞をねだり、野心のないことを示した
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【三国志14】英布の武将能力値紹介

英布(エイフ) 統率85 武力96 知力55 政治31 魅力42 秦末漢初の群雄。楚の九江王。後に、漢の淮南王。若い頃、「刑罰を受ける運命にあるが、その後で王になる」と予言される。後に法を犯して黥(入れ墨)を入れられると、これを喜び「黥布[ゲイフ]」とあだ名がついた。陳勝・呉広の乱が起こると、荒くれ仲間を集めて項梁・項羽に従軍。豪勇を発揮して活躍する一方、義帝殺害などの汚れ役もこなした。秦滅亡後は九江王となっていたが、次第に項羽の言動に疑問を抱き、劉邦軍に加勢。淮南王に封ぜられ、項羽討伐に一役買う。統一後は粛清を恐れて反乱するも、善戦空しく敗死した。
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【三国志14】嬴政の武将能力値紹介

嬴政(エイセイ) 統率50 武力54 知力92 政治100 魅力86 秦の始皇帝。荘襄王の子。秦の第31代国王。早世した父を継ぎ、13歳で秦王となる。当初は呂不韋の補佐を受けていたが、成長してからは実権を掌握。法家の李斯を起用して国力を整える一方、韓、趙、魏、楚、燕、斉の六国を滅ぼして中国を統一した。統一後は「皇帝」の称号を作り、郡県制の導入、度量衡の統一、道路網整備など、数多くの改革を断行。封建制に代わり、法治による中央集権を目指すが、その強硬な専制政治は民衆に多くの負担も与えた。不老不死を望み、地方を巡行中に病没。そのわずか4年後に秦も滅亡する。
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【三国志14】魯淑の武将能力値紹介

魯淑(ロシュク) 統率70 武力53 知力74 政治77 魅力71 呉の武将。魯粛の子。魯睦[ロボク]の父。【演義】記述なし。【正史】濡須督・張承に見込まれ、後継者と目された。孫休の代に武昌の督、孫晧の代には夏口の督となる。任地では常に厳正な統治を行った。274年に死去し、子の魯睦が後を継いだ。
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【三国志14】魯粛の武将能力値紹介

魯粛(ロシュク) 統率81 武力56 知力92 政治92 魅力89 呉の重臣。魯淑の父。【演義】孫策の死後、周瑜の推挙で孫権に仕える。自身は諸葛瑾を推挙し、孫権に信頼された。208年、諸葛亮を招いて孫権に曹操との戦いを決意させ、赤壁の戦いを勝利に導く。周瑜の死後は後継者となり、臨江亭で関羽と会見した後、江夏、長沙、桂陽を返還させることに成功。その後、陸口で赴任中に病死した。【正史】周瑜に兵糧支援を頼まれると、貯蔵米を提供し感嘆された。孫権には天下二分の計を提示。215年、益陽で関羽と対陣し、劉備に湘水以東の領有を認めさせた。
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【三国志14】盧植の武将能力値紹介

盧植(ロショク) 統率86 武力63 知力82 政治85 魅力85 後漢の中郎将。劉備、公孫瓚の学問の師。盧毓の父。【演義】黄巾の乱が起こると、何進の命を受け、皇甫嵩、朱儁らと共に鎮圧に当たる。途中、劉備と再会するが、宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罷免された。宦官討伐のため、何進が董卓を招こうとすると、反対。上洛した董卓が少帝廃立を提言した時も反対を貫いた。【正史】鄭玄[ジョウゲン]と同門の儒学者。「尚書章句」「礼記解詁[ライキカイコ]」などを著し、蔡邕と共に「後漢記」を増補した。黄巾の乱前は九江、廬江に赴任し、蛮族討伐で活躍。董卓と対立して免官された後、隠棲。
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【三国志14】路招の武将能力値紹介

路招(ロショウ) 統率67 武力74 知力21 政治23 魅力27 曹操の武将。【演義】路昭の名で登場。曹操の命を受け、朱霊と共に、袁術討伐のため徐州に入った劉備に従軍する。袁術の死後、自立を図る劉備に兵を預けたまま帰還して曹操の怒りを買うが、荀彧の取りなしで助かった。【正史】208年、曹操が荊州を征伐した際、于禁、張遼、張郃、朱霊、李典、馮楷と共に趙儼の指揮下に入った。のち朱霊と共に夏侯淵に従って長安に駐屯し、馬超と戦った。
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【三国志14】楼班の武将能力値紹介

楼班(ロウハン) 統率65 武力75 知力39 政治30 魅力52 遼西烏桓の単于・丘力居の子。【演義】記述なし。【正史】父・丘力居が死んだ際、楼班が年少だったため、蹋頓が後を継いだ。のち楼班が成長すると、峭王[ショウオウ]・蘇僕延に奉じられて単于となり、蹋頓は王となった。曹操に追われた袁煕・袁尚兄弟が頼ってくると、これに味方して柳城で曹操と戦うが大敗。遼東に落ち延びたが、公孫康に殺され、首を曹操に送られた。
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【三国志14】楼玄の武将能力値紹介

楼玄(ロウゲン) 統率23 武力21 知力67 政治77 魅力80 呉の官僚。楼拠の父。【演義】大司農。暴政を振るう孫晧をいさめるが、怒りを買って殺された。【正史】孫休の代に監農御史となり、孫晧の代には散騎中常侍、会稽太守、大司農を歴任する。しかし、歯に衣着せぬ物言いと名声の高さを孫晧に恨まれた。後に、賀邵[ガショウ]と共に孫晧の政治を非難したと密告され、息子の楼拠ともども交州に流される。張奕の下で反乱鎮圧などに活躍するが、孫晧から殺害命令が出ていることを知り、自害した。
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【三国志14】婁圭の武将能力値紹介

婁圭(ロウケイ) 統率52 武力13 知力83 政治67 魅力11 曹操の幕僚。【演義】夢梅居士[ムバイコジ]と号し、終南山で隠居していた。渭水の戦いで馬超軍の夜襲に悩む曹操に、寒気を利用して氷の城を作るよう教えた。【正史】若い頃、曹操と縁故があった。諸侯が董卓打倒の軍を起こした時、荊州の北境で兵を集め、劉表と同盟を結ぶ。その後、曹操に仕え、軍事、国家の大計には必ず参画。馬超の討伐では多大な功績を上げ、曹操に「子伯の立てる計略は、わしも及ばぬ」と評された。しかし、後に不遜な発言をしたため、曹操に処刑された。
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